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靖国を漢和辞典で引けば「乱れている国を安らかに治める」と、解釈されておるんじゃが、ひいて考えれば、先の大戦で日本人の幸せのため、国のために殉じた英霊の心も安らかに眠っていただきたいとする、大戦下で命をながらえた者、我々後世の者たちの祈りも含まれておると思うがどうじゃろう。
しかし、霊的な視点から考察すれば、霊主体従の法則http://www.k2.dion.ne.jp/~well0369/newpage11.html
により、英霊が霊界で安らかにお過ごしであれば、現世の我々も安らかな日常生活をおくれるということとつながるわけじゃから、実は、靖国問題は単に政治問題に留まらず、国民に大きな霊的影響を与え、人々の幸せと直結しとるんじゃて。
先ず第一に分祀について、靖国側は一体となられているので、分けようがないなど、何やら難しいたとえ話を持ち出したりして、できない行為だと申しとるそうじゃが、そういう嘘をついたらいかんわのう。神に仕える者が人をたぶらかすまねをしたらいかんぞ。
分霊は作法通りすればできるはずじゃ。それともやり方を知らんかのう。あるいは、そんなたぶらかすような御仁でも、分霊する資格がないことを自覚しとるのかのう。それなら、代わりにワシがやっても良いがのう。
第二に、こうしたことで、人々が角突き合わしたり、海外からひんしゅくをかっている以上、霊界の当人たちが辛い思いをしとるはずじゃて。
もちろん、彼らが本当に戦争責任はなかったとしても、本当の住まいである霊界へ帰った立場からすれば、自分たちのことで子孫が困っておれば苦しまれると思うわのう。
苦しめば、霊主体従の法則通り現界の者も苦しむでな。ちゃんとした方が良いと思うんじゃな。とくに、神国日本と言うならば、より一層、遺族も霊界人の立場に立って考えんといかんと思うんじゃて。
第三として、日本では人のために命を捧げた者は、死して神となれるような伝説があるように思うが、それは、まさにイスラムの聖戦における殉教者と同じ考えのようじゃわな。
実際は、そんなに甘いものではなく、残念ながら英霊といっても全員が全員天国へ行けるわけでもなく(行っているかもしれんけどな)、ゆえに子孫がしっかりと慰霊せねばならんはずが、霊界で一体でしか存在できないとするならば、各遺族が個々に呼び出しできないこととなって、各家での慰霊ができなくなるはずじゃから、ちよっとへんじゃろう。
(もっとも、既に生まれ変わっておる人もおるじゃろう)
まぁいずれにしても、靖国に限らず、神に仕える者は秩序、順序礼節を教える尊き立場だという事実を厳粛に受け止め、様々な軋轢、圧力があると思うが、正しい道を示すべきだと思うのう。そして、そうした立場の者がいいコロ加減な対応と心根では、国が乱れても当然じゃて。有史以来の地球規模の危機的時代、日本でも仏教伝来前後の国難以上の国難の時代に、道を示すべき者がその有り体ではとても立ち行かんわさ。
そうした立場が維持できないとするならば、即刻辞任すべきじゃて。命をかけてでも守るべきものがあろうて。
その上で、国政をあずかる者が、さまざまな状況を鑑みて結論を出せば良いわのう。靖国の宗教法人の立場。国と宗教団体の関係。慰霊のための施設。A級戦犯との合祀問題。いろいろあろうが、まず、英霊が霊界でやすらかに精進できるようにすることが第一義であり、そのためには、神に仕える者がきちんと発言しないといかんのじゃて。
英霊には、天皇陛下はじめ国政の責任者が堂々と、しかも国民も一緒になって神道方式で、感謝の心を真っ直ぐに届けたいもんじゃて。
そして、そうした心と行いが霊主体従の原理によって、この国を安寧とするんじゃわのう。
しかし、今の日本は彼ら英霊の死の価値に相応しい国になっとるのか、それをいつもワシは自問自答しとるんじゃが、どんなもんじゃろう。