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(回答先: Narongchaiさんこんばんは 投稿者 ぼけ仙人 日時 2007 年 5 月 22 日 18:44:05)
名称と言えども、なかなか人を「ぼけ」と呼ぶのに躊躇する私です(笑)
>この時、高み(どの程度か分からんけど)に行けば自ずから神となって行くのが、人という存在らしいんじゃて。
>したがって、英霊になれば神になるなんて云う話は、菅原道真公の怨霊が怖くて神様に祀り上げたのと同じじゃわさ。
至極同感。
>しかし、祈る側とすれば、いずれの方々も犠牲的精神で命を捧げたとし、残った者、子孫が哀悼の意をささげるのは人としての当然の道じゃて。
しかるに、人々は靖国神社で感謝の念を捧げ、故郷の墓や、家の仏壇などでの慰霊と、多くの人が多くの場所で死者を供養することは、多すぎることはなく、家族は家族で懇ろに供養することが大切じゃわさ。もちろん侮辱などはありえんわのう。
これも同感です。
それで私の疑問なんですが、それが「靖国」である必要はあるのかとの思いです。
『靖国で会おう』と澄んだ気持ちで、故郷の母を想い亡くなっていった魂が、あの世界から見た靖国とはどんなところなんだろう?と思うのです。
同じく『民主主義の危機』と煽られ、お互いに殺しあった敵国の澄んだ魂と出会い、そこから眺めた靖国。
お金持ち同士の陣地取りの犠牲になった魂は、きっと「国」に故郷と家族を重ねて亡くなって行ったのでしょうね。
そして平成の今、また別の権力が「靖国」と叫んでいる。
最後には暴力にて解決しようとする団体が叫ぶ「靖国」。
戊辰の役の役割作りにされた「靖国」。
その「靖国」と、澄んだ魂が会おうとする『靖国』とは、別のものではないかと思うのです。
私の父親はすでに帰幽しておりますが、右目に義眼をしながら、普通の生活を送りました(激しい気性の人でしたがー笑)。
そんな父の戦争の思い出話で、昭和一桁生まれの新兵が亡くなって行くとき、「天皇陛下万歳」と言って亡くなって行くので驚いたそうです。
父の世代は「お母さん!」だったそうです。
同じように「靖国」も、昭和に入ってからの再教育。
戦友を祈るのに、靖国に行ったことはないようです。
自然が好きな父でしたので、ふるさとの山々に『靖国』を見ていたのでしょう。
いまこそ、「靖国」の正体を露わにして、不戦の誓いに繋げたいと思っています。