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(回答先: 簡単な音楽史を通してみる「文化のサイクル」(haruさんへのレスも含む) 投稿者 Sun Shine 日時 2007 年 2 月 11 日 17:38:07)
Sun Shineさん、私へのレスを含みながらの日本文化の考察、ありがとうございます。
つらつら思った事を書かせていただきます。
今私は過去の日本にとても関心を持っております。
それは、偏に自分の国を知らずに生きてきた過去があるからだと思っております。
そして、その原因を他の所為にするという事は甚だ無責任ではありますが、私は世間の風潮、マスメディアの誘導によって植え付けられた価値観に起因するものと思っております。音楽に関していえば、民謡に始まり、古来からのうた、又は雅楽、、アイヌ、沖縄、まだまだ知らないものが沢山あると思っております。わたしは、ポピュラー、ロック等欧米からのものに染まって育ったので、演歌などを馬鹿にしておりましたが、現在はふと口ずさむものが、演歌のメロディだったりします。不思議なものですね。
わたしは、過去から今を通して俯瞰しますと、自分の目を日本的なものから遠ざけようとする力の存在を感じます。それは、暗に日本を世界の中で遅れた国であると思わせようとする力とも言えると思います。そして、その傾向は現在ますます強くなったと感じます。もちろん、日本的なものの復古の動きは存じておりますし、右翼的なナショナリズムの復興の動きも実感はいたしますが、それらには、地に足をおろしたものが感じられません。
およそ二十年程前、バブルの少し手前でしょうか?米国に行った事がありますが、その頃の世間の話では、日本がどこかも知らない外国人が沢山いるという事でした。実際、現地で出会った米国人の日本人に対する認識はとても現在に通用するものではありませんでした。わたしは、ただただ白人を素晴らしいと思い、批判する精神も持ち合わせておりませんでしたのでとても萎縮していたような記憶があります。アイデンティティという言葉は、当時から日本でも使われるようになったという認識ですが、当時の私には日本人ということが、ただ恥ずかしい存在の様な気がしておりました。私の存在証明の中で、日本人とは負の意味を持っておりました。
あの頃と変わったなと思うのは、野球、スポーツ、映画、企業、等の隆盛によって、日本という小さな国が、世界の中でより認知されたということです。現代なら、日本人としての自負をより強く持つ事ができると思いますが、、。
天皇について考える場合、あの戦争を知る上での情報がより豊富な現在は、その異常な国家運営によってあの戦争が引き起こされたと云う基を明治維新からの天皇制と考察ができると思います。しかし、戦後というものを考えた時に、なぜ、憲法の中の第一章に天皇についての記述があるのか?なぜ、天皇批判というものが長くタブーとされてきたのか?その理由を問わなければならないと思います。ただ、洗脳と言う二文字で済まされるものではないのではないでしょうか?
さらに私が、関心を持っているのは、汎神論、産土の神、八百万の神についてです。
ご承知の通り、明治以降の廃仏毀釈などによって、天皇の地位は揺るぎないものとして確立されましたが、庶民に汎神論的信仰は根強く残留していたものと思います。現在でも、建前には地鎮祭を執り行いますし、商売をやられる方では、普通に神棚をまつっております。
そして、鬼という存在、敵を祀って鎮めると云う風習、、、。
過去の文献でとても参考になるのが、幕末当時の他国人の残したものです。なぜなら、彼らの視点は、現在の我々の視点と似通っているからです。
日本人でありながら日本人を知らない私たち。
私は、激変の時代(近代文明、IT文明?)を過ごした人間として、またその過去を知る生き証人として様々な事象、歴史について追求し、伝えてゆかねばならないという義務を感じております。そして、埋もれてしまった古神道と国家神道には、切り離せない関わりがあると考えております。
私の知識では、天皇を論ずるにはまだまだ足らないと思っております。
更なる追求の必要性を感じております。
そして、隆盛と衰退の狭間をただ傍観しているわけにはいかないのだとの衝動を抑えられません。
失礼いたしました。