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(回答先: 自分で自分の首を絞めている事に気づかない人が増えている。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 2 月 10 日 09:43:58)
話が少しずれて申し訳ない。
世の中には意見として尊重すべき発言と、明らかな悪意と捉えるべき発言がある。
石原や奥谷みたいな確信犯の発言は意見と言うべきじゃない。政府の審議会や郵政公社、都庁は現状を全く無視して思いつきでモノを言う奴をのさばらせているに過ぎない。政府の審議会や都庁って一体いつからスナックや居酒屋になったんですかね?
発言即政策とみなし、発言自体で打倒すべき場合もある。政治家や政府の審議委員が「過労死は自己責任。祝日もなくせ」とか、「自殺するならさっさとせよ」と言うのはすでにはっきりとした攻撃であって、意見ではない訳です。意見交流はすでに打ち切られていて、そんな人間は問答無用の態度で迫っている訳だから、議論の余地は一切ない訳です。
政府がない方がましな場合だってあるのです。世界には部族や村落の共同体、つまり政府以外の統治機構で生活している所もあるのです。もちろん、日本には今の所政府が必要ですが、無能なトップが急ごしらえされるより、トップを作り出す過程が大事だと思います。ネロのようなトップがいるのと、トップがいないのと、どっちが良いのか。トップがない場合、責任は住民にかかります。自分で考え、動きます。実際、法務省も市役所も警察も市民が動いて始めて動き出す場合があるのです。それがなければ、全く指一本動かさない場合もあります。
反対も出来ず、かといって人民の為に全くならない独裁者はどうしようもないですね。石原や奥谷は労働者である住民と国民を守る気がないし、確信犯の悪人は政策方針の撤回もあり得ないのですから彼らが辞めない限り、自公与党を許す気はありません。また、奥谷を審議委員に選んだ自公政権の責任は追及するつもりです。
対話を拒絶しているのは奥谷と石原であります。最初から話を拒絶して凄みを利かせている人間と話は出来ないのであります。