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それが、良い事か悪い事かは別にして
教師の採用条件の一つに「学校行事・式典への協力」を明示し、仮に「不起立等、社会通念上の認識において、非協力的と思われる行為を、勤務時間内に行った場合には懲戒免職もあり得る」という一文を入れれば、全ての決着は付いてしまう。
それは「憲法に反する」という見解は分からない事はない。
しかし、日本国民は「憲法違反の自衛隊を防衛省に昇格する自民党を支持してきた」という歴史を持っている事実がある。
先日、ラジオニュースで「家庭の面倒を全て学校に持ち込むという姿勢があるから、学校の先生は生徒と向かい合う時間が取れない」という問題をやっていた。
共働きの家庭が増え、子供の躾を家庭でする時間がないから「学校でやってぽしい」というのは理解できない事はない。
少なくとも教師は、子供を相手にするという事については、プロである。
各家庭では「はじめてで、最後の子育て(躾)」という可能性もかなり多い(出産率から判断すれば、平均で2人の子供は育てない)
経験のある人に任せた方が「確率的には、間違えは少ない」だろう。
しかし、教師にだって余裕はない。しかも40人程度の生徒に「知識を覚えさせながら」同時に躾をするのは「勤務時間的に困難」だろう。
だから、知識は教えるが躾は家庭の方でしてほしいのは当然だろう。
実際に「非行行為で警察に保護された生徒を迎えに教師が行く」という事もあるようであるが、他人の勤務時間を屁とも思わない親では、子供の躾が出来るとは思えない。
「教師」という職業をなぜ選んだのか?
「聖職」というのは誇り(名誉・栄誉)なのか?責任(仁術)なのか?
教師は「自分の思想」という部分まで生徒に教えた方が良いのか?
あくまで「知識」と「社会規範(学校の中の共同生活)」という所までに限定すべきか?
君が代不起立は「生徒に対する、教師としてのメッセージなのか?」
それとも「権力者(教育委員会や校長)に対する、不服従のアピールなのか?」
生徒に対する「教師としてのメッセージ」であるなら、「肩書きに拘らずに損をしてでも、自分の良心に対して正直に生きろ!」という意味だろう。
しかし、今の社会では、子供にそれを教えるのは良い事なのか?
前にテレビで「正々堂々と戦おうとして、昔からの作法に従って、戦いを挑んできた武士が、口上を言っている内に殺されてしまう」というシーンを見た事がある。
不思議に「卑怯」とか言う感情よりは「当然だよなぁ〜」と思った。
人間も回りに合わせて少しは進歩する必要がある。
昔の「価値観」は古くなっているのである。