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(回答先: わし頭わるいので教えて下さい 投稿者 エイプリルダンサー 日時 2007 年 1 月 26 日 23:14:54)
>エイプリルダンサーさん どうもです。
>【なんか頭が混乱しています
>「肩書きに拘らずに損をしてでも、自分の良心に対して正直に生きろ!」という意味だろう。
>しかし、今の社会では、子供にそれを教えるのは良い事なのか?
えぇ!なんで良い事なのか?って?がつくの
自分の良心に対して正直に生きてはいけないんかなぁ】
分かりませんか?
「今の社会」というのは「正直者はバカを見る」という社会になっています。
ここを「正直者が報われる社会」にしていないのに「バカを見る正直者に、自分の教え子をする」のは、本当に「教え子のためになるのか?」という問題です。
教師が「自分の自己満足」という部分において判断するのなら「正直者」を育てるのは正しいでしょう。
社会に「多くの正直者を増やす」という戦略であるなら、一つの正しい手法でしょう。
しかし、これからの人生を生きる「生徒」の立場で考えれば「社会的に自分が不利益ともなり得る行動を行う考え方を刷り込まれた」とも言えるでしょう。
人生の生き方を選択するのは「教師ではなく生徒」という部分です。
社会が「正直者が報われる社会」であるなら、こんなジレンマはないでしょう。
Kの考えでは「教師の価値観を伝えるのは、私人としての場(休日にクラスピクニックなどを行うなどの工夫をしたり)」で、と考えています。教師は「参加を強制せずに自由参加で募り」教師という立場ではなく、生徒という立場を意識させずに「人間としての立場」で「自分の考え方を伝えるべき」であるだろうと思います。
勤務時間というものは、拘束時間であり、ここは、個人の思想とは切り離す時間だろうと思います。ここの区切りを曖昧にするのは「労働者」に取っても「社会」に取っても、良い事ではないという気がします。