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(回答先: 議論の焦点と想定する照準 投稿者 日 日時 2007 年 1 月 26 日 03:01:54)
日さん、こんにちは、ご無沙汰しております。
標題に少なからず心を動かされるものがあり、コメントさせていただいた次第です。
>だからこそその高みを目差す前にすべき事があります。勝てずとも負けない、自らの足場を確立すること。
実効性が問われるような照準を想定するためにはその分野における一定レベルのスキルの習得が最低限の要件であるのは自明ではないでしょうか。例えば、一度も和弓を手にしたことがない者がいきなり矢を放とうにも的に到達しないことは固より、的を定められるようになるまでには相当な習練を必要とされるはずです。同様なことがコミュニケーションの分野についても云えるのではないでしょうか。すなわち、論理的構成の技術がある一定の水準に達していなければ、議論での照準を想定することは云うに及ばずチューニングすらも難しいのではないかと推察されるのです。
>決して騙されぬ、洗脳されぬ、透徹した精神をまずは確保せねばならぬ。正体も知れぬその敵の、どんな巧妙な罠が仕掛けられていようとも、敗れないためには?
忍び寄る霧が去った後にやがて訪れる“水晶の夜”を察知することやそれに対処していくための態勢を整えておかねばならぬと、そんな日さんの危機意識が表出したものとお見受けします。しかしながら、自分達にとって護らねばならぬものが未知なるが故にそこに焦点を合わせることを躊躇せざるを得ないと云った空気が蔓延している現実があります。そこで、同語反覆的ではありますが、この状態を打破していくためには、やはり何を護るべきかを議論の焦点にすることは避けては通れないプロセスであると思量します。(但し、日さんと私との間の擦り合せが何時になるのか限りなく不透明なのですが...。)
また、会いましょう。