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(回答先: Re: 議論の焦点と想定する照準 投稿者 如往 日時 2007 年 1 月 26 日 10:44:02)
如往さん、お久しぶりです。
水晶の夜に掛けて下さった事、感謝いたします。震えが止まりません。
であるのに方や
>(但し、日さんと私との間の擦り合せが何時になるのか限りなく不透明なのですが...。)
のような状態を産み出しているのも事実です。
しばらく前のやり取りの事が思い出されます。確か、使いこなせぬ草薙の剣をあなたに振るおうとして、そのまま。
性急に過ぎたかも知れませんが、ここを過ぎずに刷り合せる範囲では、ただ学識の違いしか見出されぬのではないでしょうか。
そんな事は日にはどうでも良いのです。
「答えは既に出ている」からです。
そう、まずはこのことについて、刷り合せを行なってみたいと思いますが、如何お考えでしょうか?
次に、その師匠に出合うまでは
「勝てずとも負けない、自らの足場を確立する。」ことが重要なことだと思います。
>実効性が問われるような照準を想定するためにはその分野における一定レベルのスキルの習得が最低限の要件であるのは自明ではないでしょうか。
>すなわち、論理的構成の技術がある一定の水準に達していなければ、議論での照準を想定することは云うに及ばずチューニングすらも難しいのではないかと推察されるのです。
照準は、まずはレンズの焦点を合わせた後の話ですね。議論の焦点。それが合えば、照準は自ずと絞られて来ます。
それこそが実効性を伴う段階に必須の条件ではないでしょうか。
>しかしながら、自分達にとって護らねばならぬものが未知なるが故にそこに焦点を合わせることを躊躇せざるを得ないと云った空気が蔓延している現実があります。そこで、同語反覆的ではありますが、この状態を打破していくためには、やはり何を護るべきかを議論の焦点にすることは避けては通れないプロセスであると思量します。
同意です。