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現代人は先進国では特に少子高齢化というものが問題になっております。この問題の大本には第二次世界大戦にあり、その後の近代化の隆盛が大きく関与している事と思われます。現代日本では、経済的な理由が大きく関与し、また、女性の地位の向上に伴い、結婚、出産と云う人間にとってごく当たり前の行為が厭われる風潮を強く感じます。かつての日本では、成人すれば婚姻する事が当たり前であり、そうある事によって始めて社会的に認められると云う習慣があったと思っております。
年頃になって、独り者であってはいけないという価値観もあり、見合いなどを斡旋する年長者の心配、気苦労と云ったものが今でも強く残っております。現代でも地方によってはその習慣がまだ残っているようです。このような人々の思いは、婚姻、そして子育てによって人間がより人間らしく成長するのだとの強い思想があったように感じます。現代は、それらが古い価値観であり、煙たがられ、厭われる事が多くなっているようです。
人々が子育てをしなくなれば、社会というものはより利己的に変質していくような気がいたします。また、育てる子が一人しか育てられないということになれば、社会性の欠如に繋がっていくのではないでしょうか?両親と一人の子という小さな世界から子はやがて旅立たなくてはなりません、親は子よりも先に死ぬという事は多くの場合必然であります。
社会は多くの価値観、習慣、趣向を許容するものですが、一人っ子の様な小さな社会から外へ旅立つ時には、異質な存在に始めて接っする事によって、戸惑い、驚愕する事が大いに予想されます。そのような人物ばかりの社会にこれから変わってゆくのだとしたら、その現実を許容する上での動揺、軋轢に対して対応する指導者、助言者の存在が強く求められる事になります。また、価値観は今以上に多様化の一途を辿ると云ってもいいと思います。
また、そのような指導、助言者が存在しないのであれば、見近かな親の責任がより大きくなるはずですし、それに対する躊躇からさらなる少子化が進むのかもしれません。
しかし、この世を支配する存在にとっては、人々の分断、分裂がとても都合が良いのかもしれませんが、、。
人々が、相通じ合う為の新たな思想、システムを作り出さなければ、バラバラの人間関係の中で、共に殺し合うという未来になってしまうのではないでしょうか?
あくまで机上の空論ですが、最近感じた危惧を述べてみました。
失礼いたしました。