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下北よ! 原子力と私たち(4)立地村の現実伝える(朝日新聞 青森)
http://www.asyura2.com/07/genpatu4/msg/425.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 09 日 23:23:36: twUjz/PjYItws
 

(回答先: 下北よ! 原子力と私たち(3)出稼ぎ離散家族に定職(朝日新聞 青森) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 09 日 23:21:02)

http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000310801050001

(4)立地村の現実伝える

2008年01月05日


自宅に掲げた反核燃の看板を見つめる種市信雄さん。再処理工場の本格操業が間近に迫るが、「まだ、あきらめていない」と話す=六ケ所村泊で


72年、新納屋地区で開かれたむつ小川原開発に反対する集会に出席する寺下力三郎さん(中央)

 「すべてが金の力よ。金の力で人間が支配されたわけだ」


 六ケ所村新納屋地区の小泉金吾さん(78)は、たばこをくゆらせながら言った。70年代、新納屋には90戸の住民が暮らしていた。


 みんなが当時のむつ小川原開発に土地を明け渡した。85年からは小泉さん1戸だけが残る。


 水田10アールが75万円、畑は65万円で、原野が57万円……開発関係者が家々を回り、土地を買いまとめていった。だが、開発は頓挫。小泉さん宅の周辺には、荒れ果てた土地が広がっている。


 「放射性物質が出るとすれば人にも自然にもいいわけがない。自然とともに生きてきて、そういう心が芽生えた」


 漁師として、農民として生きてきた小泉さんは長年、反対運動の中心にいる。


 今も、思い出す一人の男の姿がある。「寺下さんは開発を阻止するまで村長でいる気持ちだったはず。魂をつぶしたら、その場で終わってしまうというつもりで、寺下さんはやっていた」


 寺下さん――元六ケ所村長の寺下力三郎さん。開発反対、核燃反対の象徴的存在だった。村長を務めたのは69年からの1期だが、再選を目指した73年の村長選に敗れた後も反対運動を続け、99年、86歳で逝った。


 「開発に頼らない、六ケ所らしい暮らし」――寺下さんと同じ思いで運動を続けてきた反対派の人びとに、間もなく始まる再処理工場の本格稼働という厳しい現実が迫っている。


 反対派は衰退し、微妙な考え方の違いから運動が大きくまとまることは少なくなった。しかし、小泉さんは言う。


 「生きている限り、精神を曲げずにいたい。おれは仏になっても反対を言い続ける。それが、おれの極楽だよ」


     ■    □


 「核燃は白紙撤回」


 「いのちは放射能がきらい」


 泊の種市信雄さん(70)は、自宅の壁に反核燃の看板を今も掲げている。昔は、あちこちで見られた反対の看板も、ほとんどみられなくなった。


 種市さんが看板を掲げ始めたのは87年ごろだ。泊の漁師たちが作り、種市さん自身も役員を務めた「泊漁場を守る会」の活動も活発だった。小型船の船主が主なメンバーで50〜60人いた。集会所で学習会を開き、バスを貸し切って県議会に出かけることもあった。


 「六ケ所の生活水準が低いことは分かっていた。でも、土地を手放せば農業はできない。海がなければ漁業はできない。寺下さんは基本的なものを守り、村で暮らせる環境づくりを考えていたよ」


 種市さんも寺下さんの理念に共鳴した。核燃が来れば、村に金が入り、働き口ができるかもしれない。だが、危険な職場で働かせるような政治はだめだ、と。


 しかし、反対派にとって運命とも言える89年の村長選。核燃推進派で4期務めた古川伊勢松氏(古川健治・現村長の実兄)と、核燃の「凍結」を訴えた村議・土田浩氏、「白紙撤回」を掲げた高梨酉蔵氏の3人がぶつかった。


 「計画を止めたいという思いがあったのだろう。選挙で勝つために、泊の反対派はごっそり土田支持に回った」


 種市さんには痛恨の思いが今も残る。土田氏が当選した後も核燃計画は凍結されなかった。むしろ着実に進んだ。あれが潮目だったのか。反対派は崩れていった。


 寺下さんが亡くなる前、涙を流していたことを覚えている。


 「後を頼む」というよりも、核燃を食い止められなかった無念の涙だったと、種市さんは思う。


     ■    □


 六ケ所村倉内笹崎。


 ここで「花とハーブの里」を営む菊川慶子さん(59)が、千葉県から故郷の六ケ所村に戻ったのは90年のことだった。


 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故がきっかけだった。核燃に頼らないために、農業中心の暮らしを実践している。「生活が少しくらい不便になっても、放射能汚染の緊張がなくなるならずっといい」


 薪ストーブの上にフライパンを置き、卵とベーコンを焼く。近くで採れたクレソンと畑で採れたキャベツのサラダ。自宅で焼いたパン。菊川さんの食卓は、ゆっくりとした時間が流れている。


 03年4月の村議選に、反核燃を掲げて出馬したが、41票しか獲得できず落選した。今、選挙に出るつもりはない。


 ここには、全国の仲間や核燃に関心を持った若者たちが来る。菊川さんは「原子力の立地村の住民には、電気消費者が知らない現実を伝える役目がある」と語る。


 「私は、ここから発信したい」


(北沢拓也)


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