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(回答先: 私の「ポピュリズム」、そして考えたこと 投稿者 如往 日時 2007 年 12 月 26 日 05:13:23)
如往さん、どうもです。
私が、あえて「アメリカのポピュリズム」に言及したのは、
下記、「仁王像」さんの投稿において、副島隆彦氏が、自信を持って、自身をポピュリストと自称しているらしいのに、びっくりして、この「誤解(?)」がどこから由来するのか調べていたら、19・20世紀アメリカのポピュリズムの存在を知ったのです。
>「私は、ポピュリストとして生き、ポピュリストとして死んでいくの
>だ」と随所で言っている
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/198.html
この発見(「アメリカのポピュリズム」の存在)は、しかしながら、わたし自身のポピュリストの定義に、新たな知識を付加したに過ぎません。
孫引き、および、前後の文脈が不明なので断定はさけますが、
「仁王像」さんの引用が正しければ、彼のポピュリストの使用法は誤解に基ずくものと思います。
ちなみにウィキペディア辞典の英語版においても、「アメリカにおけるポピュリズム」については、メインテーマではありません。
如往さんが言及された、
「第三者」、「大衆がこの“操作主義”をどこまで許容する、、、」
テーマが大きいので、今日のところは感覚的に書かせていただきます。
私は、その「第三者」に抗してできることのヒントは、
自分が自分でありつづけ、人間が、人間であり続けようとすることだ、と思います。
芥川龍之介が感じていたような、「ぼんやりとした不安」が、頭に去来するするのは、私だけではありますまい。