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「正義という名の虐殺〜恐るべき国連軍の真相」山路徹(フットワーク出版‘94年)/引用者による抜粋・編集
〈国連平和執行部隊がソマリアでおこなったこと〉
・ソマリアのPKO(国連平和維持活動)は平和維持のための活動ではなく、明らかに国連が紛争当事者になってしまった同国への軍事介入であった。ガリ事務総長が考えている国連の“正義”の名のもとに結果的に、紛争当事国の人民が虐殺されてしまったのだ。
〈国連軍創設の本当の背景〉
・ガリ事務総長の野望とは、PKOの役割を増やし、最終的には国連憲章にもとづく「国連軍」を創設することにあるといわれる。
あたかも“平和の使者”であるかのような錯覚を与えかねない「国連軍」とはいったい何か。国連軍については、国連憲章第7章に明確に規定されているが、じつは、この7章に規定されたような“正規”の国連軍は、いまだかつて存在したことがない。
〈ソマリアの米軍−無差別殺りくの現場〜コブラの機関砲から虐殺が生まれた〉
・その日、八機の米軍攻撃用ヘリコプター「コブラ」がソマリアの首都モガディオンの一軒の民家を猛爆して蜂の巣状態にし、多くの市民を殺した。1993.7.12のことである。
アイディード将軍の側近が、7月10日、「平和的解決を求めて話し合いを持ちたい」意向を国連側に申し入れた。…そのため7月12に市内の民家に幹部が集まり、意見の統一を図るために会合することを国連側に伝えてあったという。彼らは、その集まる時間と場所まで、国連側に届け出ていた。その民家が攻撃されたのである。「問答無用」といった国連側の態度だったわけだ。アメリカにとっては、話し合いなど必要ない。何が何でもアイディード将軍を抹殺しさえすればいいのだ、…。
・ソマリアの平和執行部隊は、同じPKF(PKOの一環である国連平和維持軍)でも国連憲章第七章に基づいて、国連安全保障理事会から積極的に武力行使できる権限を与えられている。したがって、ソマリアではPKFの武力介入はすさまじいものがあった。ソマリア人のその国連の行為への反感が、すべての外国人への憎悪となって表れているのだった。
〈国連のカードをぶらさげているのは危険〉
・国連はソマリアに平和執行部隊をつくるどころか、ソマリアをますます戦場化してしまった。ソマリアの内戦を解決するために乗り込んだはずの国連平和執行部隊なのに、それが完全に紛争当事者となって…、殺す理由がまったくない人々を次々に殺りくしているのである。
〈ソマリア人にとって国連軍はマフィアと同じ〉
・カンボジアでは、PKOはまさに「紙の上の停戦」の中で活動が展開され、ソマリアでは「正義という名の虐殺」が行われ、そしてボスニア・ヘルツェゴビナは「泥沼化した紛争」の中で国連は無力そのものであった。
・国連は主権国家の集まりであり、世界政府ではない。
(山路徹;APF通信社代表。)
〔臭うぞう〜コメ〕
教授の言い分を一部下に再録したが、「国連軍は戦ってはいけない」などという発言がいかに軽薄で学問的真実でもないことは一般人でも痛いほど良く納得できる。
ここで浮かぶのは小室直樹氏の山本七平を評した「正統的学問訓練を有しない」というコトバである。教授もまた、正統的方法論による学問的訓練を経ていないのだ。学識の大部分を独学で得てきたというのもその有力な証拠の一つだ。
もっとも日本の大多数の学者がそうであるというから、日本ではこのことは決定的な欠陥ではないかもしれない。しかし、少し調べれば分かる程度の実態把握の初歩の初歩さえ怠って、観念遊びが先走りするのである。そのような学者が「世界基準」を騙るオカシさに本人の自覚はないようなのを筆者は面白く望見している。
・「小沢一郎の、深慮遠謀は、…大変すぐれた考えだ、副島隆彦…を甘く見るな」と
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/575.html
投稿者 仁王像 日時 2007 年 10 月 16 日 23:01:23: jdZgmZ21Prm8E
「アフガニスタンでの、平和維持活動 =ISAF(国際治安支援部隊)は、「テロ(リスト)との戦い」をやるためのものではありません。あくまで停戦協定を生み出すためのものです。国連軍とは、つねにそういうものなのです。一方の当事者となって国連軍が戦うことをしてはいけません」。