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(回答先: 「役者が違うから賞賛する」というのも、どうかと・・・ 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 8 月 19 日 23:05:06)
最大多数の最大幸福さん どうもです。
単純バカなKは、斜に構えているように見えても結構、引き込まれてしまう方です。
>【共産党の不破議長も、役者の違いを感じさせるほどの文章を書く方だと思いますが、その内容が賞賛に値するものなのかどうか?は、イコールではないでしょう。】
Kは文章が巧いだけでは、これほどの賞賛なんてしません。巧い文章ですねと評価するだけです。
ただ、それだけでも「誤字脱字の帝王で何を書いているのか分からなくなってくるKより」は尊敬に値します。
驚くべき事は「松浦氏の今回の文章では、Kが気にしている問題点の実に多くが、無理なく、無駄なく詰め込まれている」
これ、巧いを超えて芸術の域に達しています。
Kの文章が「落書き」のレベルなのに対して「ピカソの絵」というレベルの差があるということです。ただし、分からない人には分からないでしょう。
「これほどの文章が存在できるのか?」という感動を覚えるレベルです。
無論、文章が芸術的であるだけで、内容が正しいと証明されている訳ではありません。
しかし、文章というのは「鑑定眼、分析能力、考察力」の集大成ですから、これだけのレベルの差があると「Kごときは出る幕はない」と判断できるでしょう。
大人と子供が「情報分析をしたら、大人が正しいか確率が高い」というような意味合いですが、それほどまでの「役者の違いがある」と感じたのです。
>【間違っても、一人のファシストが軍国国家と、その滅亡を招来するのではない事は、重ねて強調しておく。】
ファシストは「個人が目指してなるもの」ではなく、民衆が総意として『召喚』するものだということでしょう。ここでは、今の「熱狂的な国民の民主党へ傾く雪崩現象への警鐘」と共に過去のヒットラーなどの登場の分析を示している。
>【私は、国民のあり方を問題にしても、誰か個人を問題にするような皮相的な議論は、今も、そして将来もすることはない。】
個人の力など所詮は微々たるもので「問題の本質は集団」という点を『悟り切った者』の言葉である。ここはKも何度かトライして「巧く言いあらわせなかった」部分です。まあ、ここまでは「悟れなかった」というのが正直なところです。
>【それが、国民を顧客にして生計を立てる論者との、決定的な違いだ。】
受けねらいの文章の書き手(Kなど)とは「役者が違う」としか思えません。
で、解決策が示されていないとの事ですが、この域に「多くの人が到達する」と言う事が解決策になっているのです。