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現象的に捉えられたものの中身の中心的な性格の事なのか?
「浅野になっても石原と本質的に変わりない。」とか
「浅野になっても本質的な変革にはならない。」という言い方をする人がありますが
ふと本質とは何だろう?と思いました。
あるいは浅野も本質的には自民党的な政治家などと言う。
「本質的に自民党的」などという概念の中身は何なのか?
開発行政という事なのか?
ところで都知事選で我々が問われたのは何か?
私は自民党的政治家の中でも最悪の部類に属する石原をやめさせて
「自民党的」要素もあるかも知れないが民主や社民の支持も得る能力がある浅野を都知事にするという事が東京都民の到達点としては最善ではないか?と思ったのだが
本質的には浅野も石原も変わらないという意見の方にはこの微調整的戦略の意味が分からないらしい。むろん、微調整どころではないというご意見の方もいらっしゃるだろう。
微細な差異については無視するという作用が「本質的」という言葉にはありそうである。
「少しでもマシな都政になった方がいい。」と真剣に思っている人に対して
「そんなんじゃ本質的に変わらないよ。無駄な事だ、徒労だ。」と冷笑的に対応された気がするのである。
本質的などという言葉は物事を単純化して白か黒かのデジタル思考や二項対立の図式に持っていく作用があるのではないだろうか?
私も本質的という言葉をよく使うと思うので自戒したいと思います。
ほんしつ 0 【本質】
(1)物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。
「問題の―を見誤る」
(2)〔哲〕〔(ラテン) essentia; (ドイツ) Wesen〕(ア)伝統的には、存在者の何であるかを規定するもの。事物にたまたま付帯する性格に対して、事物の存在にかかわるもの。また、事物が現に実在するということに対して、事物の何であるかということ。
(イ)ヘーゲルでは、存在から概念に至る弁証法的発展の中間段階。
(ウ)現象学では、本質直観によってとらえられる事象の形相。