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よりよき政治を実現する為には現実の中にどのような媒介を作るのか?という考え方が必要ではないか?
「石原も浅野も自民党的なバラ撒き行政だ。」という事を言う人は
あたかも石原都政も浅野都政も全く同じだと言わんばかりだが、その事は証明されたのか?
資本主義経済の肯定という意味では石原も浅野も同じだろう。
しかし、今回の都知事選の争点は果たして資本主義経済なのか?
違うだろう。
浅野の歯切れが今一だという意見は確かにもっともかも知れない。
しかし、ハッキと推進すると言っている石原と「見直す」と言っている浅野が同じと言えるのだろうか?
「見直す」という事は世論次第で「止める」可能性もあるのでは?
私は都知事というのは1つの媒介だと思う。
都知事が誰になるのかはいかに微妙ではあっても違いがあるハズであり、このわずかであるかも知れないが確認できる違いに期待しないという思想はいかがなものかと思う。
勝てる見込みがある者の中でマシな方に賭けるという選択はベストではないか?
選挙は日頃の活動の総決算であり、根本的な変革は日常的に訴え選挙の時には日常活動の結果として勝てそうな候補を選択すべきなのではないか?
マシな候補が見事当選する事は本来の根本的変革の媒介を形成する事になるのではないか?
そう考えます。
違いますか?