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キリスト教の到来とその目的
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投稿者 航海者・名もなき人 日時 2008 年 2 月 03 日 11:49:07: 97HaXi6mYPVIk
 

(回答先: オリジナル・ユダヤについての推察 投稿者 航海者・名もなき人 日時 2008 年 1 月 25 日 16:27:14)

レヴィ人がエジプトから連れ出した人々を中心にしてパレスティナに部族連合が形成されていきますが、古代イスラエル人が唯一神の概念を容易には受け入れなかったことは旧約聖書に書かれています。一神教の神は宇宙生成の法則に反する形で偽造された神体なのですから当然のことではあります。そこでレヴィ人は自分たちが裏で操っていた古代オリエントの大国をパレスティナ地方へ侵攻するように仕向けたのでしょう。
多神教の自然神崇拝は土着の生活に根ざしています。多神教は土着の習慣から引き離されてしまうとそれまでの信仰体系は霧散してしまいます。
レヴィ人はこの性質を利用して他国家の侵攻によってそれまでの多神教信仰が揺らいだイスラエル人に対して、自分たちがこのような悲惨な境遇に陥ったのは唯一の神ヤハウェを真剣に信仰しなかったからだ、と吹き込みヤハウェ信仰を純粋な観念、イデオロギーに純化していきました。レヴィ人が自分たちと関わりのあった民族の神話、説話を借りて宗教の外装を作り上げていったのでしょう。この物語の体系がバビロン捕囚期にトーラー(モーセ五書)として一応の完成を見て、ユダヤ教が誕生しました。

「紀元前七二一年、イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、イスラエル人・カナン人は捕らわれの身となった。しかしユダ族とベニヤミン族はその後百年以上存続し、前五八六年バビロニアに征服され捕囚の民となった。古代バビロンは、レプタイル・アーリアンの階層制秘密司祭団の首都であった。このバビロンにおいて、ヘブライの司祭階級であったレヴィ族は、「真実を覆い隠す歴史」の製作に取り掛かった。またブラザーフッドは、古代の知識を独占すべく世界中の図書館の破壊を画策していた。そんな彼らが真実の歴史を公に書き記したりするだろうか。「一般大衆向けの歴史」を捏造したと考えるのが筋だろう。バビロン捕囚期にシュメールの知識や神話を得たレヴィ人は、架空の物語に象徴的真理を織り交ぜて旧約聖書の基礎を作り上げた。いわゆるイスラエル人がそれらの書物を作ったわけではなかった。
 レヴィ人が旧約聖書の基礎となった書物の製作にとりかかったとき、イスラエル人はすでに各地に散らされていたからだ。『トーラー(ユダヤの律法)』を構成する「創世記」「出エジプト記」「レヴィ記」「民数記」はすべて、バビロン捕囚期およびそれ以降にレヴィ人によって書かれたものである。」(デーヴィッド・アイク『大いなる秘密 上』 220-221頁)

「さて、アッシリアによって滅ぼされた北王国と、新バビロニアによって滅ぼされた南王国とでは、征服者側の占領政策の微妙な違いが、民族のその後の運命に決定的な相違をもたらした。アッシリアもバビロニアも征服した民族に強制移住策を行ったが、アッシリアが旧北王国の住民をアッシリア領土内各地に分散させ、また旧北王国領に他の地域の住民を移住させる双方向型移住政策をとり、結果的に被征服民を混合させてしまったのに対し、バビロニアは旧ユダ王国の住民を比較的まとまった形でバビロン近郊に住まわせ、しかも一方向型移住政策で満足して、旧ユダ王国領土を放置し、そこに異民族を植民させなかった。それゆえユダの人々は、バビロンおいてもその民族的同一性をかろうじて維持することができ、しかもバビロン捕囚終了後には故郷で民族の再建を図ることができた。」(山我哲雄『聖書時代史 旧約編』岩波現代文庫 171-172頁)

その後もレヴィ人は裏から手を回して古代オリエントの大国を動かし、ヤハウェ信仰とパレスティナの風土に根差した土着の信仰との融和を図る頑固な信者たちを弾圧させてヤハウェ信仰のイデオロギー化を促進していきました。

「翌前一六七年、アンティオコスは、ペルシアおよびヘレニズム諸国家の支配者たちがとってきたユダヤに対する宗教的寛容政策を棄て、ユダヤを徹底的にヘレニズム化することを決意した。すなわち彼は、勅令を発してユダヤに対する過酷な宗教弾圧を開始し、律法の書を火で焼かせ、安息日や割礼などの律法に従う生活を禁じ、エルサレム神殿にはゼウス・オリュンピオスの神殿を立て(ダニ九27、一一31、一二11)、またユダヤ各地に異教の祭壇を築き、ユダヤ人にゼウスやディオニュソスの祭儀を行わせ、これに参加しない者やひそかに律法を守ろうとするものを処刑した(ダニ八10−12、一一31−33、Tマカ一41−64、Uマカ六1−11、『(ユダヤ)古代史一二・二五三−二五六)。アンティオコスはまた、サマリアに対しても同じように行い、ゲリジム山のサマリア教団の神殿にゼウス・クセニオスの神殿を立てさせた(Uマカ六2、『古代史』一二・二五七−二六四)。
 これはイスラエル・ユダヤ民族がかつて体験したことのなかった規模の宗教的迫害であり(前九世紀のアハブ・イゼベル時代や前七世紀のマナセ時代でさえヤハウェ宗教を奉ずること自体は禁じられていなかった)、ユダヤ人一人一人に信仰をとるか生命を取るかの決断を迫るまさに「信仰告白的状況(status confessionis)」であった。これによってユダヤ人は、ユダヤ人とは何であるかという自己同一性に関わる問題の問い直しを迫られ、同時に自己の信仰を保つか棄てるかという決断状況に立たされることになった。前一六七ねんに始まる大反乱(マカベアの乱)は、このような問いと決断状況に対するユダヤ人の一つの回答であった。

 なお、古代史上でもほとんど例を見ない、このようなアンティオコス四世の宗教弾圧の原因ないし動機については大きな謎があり、研究者の見解もかなり分かれている。というのも、旧約聖書続編(外典)の『マカバイ書』やヨセフスの記述をみると、あたかもこの弾圧は、ヘレニズム化を推進しようとするアンティオコス四世個人の恣意的な宗教的・文化的志向の表現であるかのように描かれているが、歴史的に見れば必ずしもそう言いきれない面があるからである。
 何よりもまず、メソポタミアを含む広大なセレウコス朝王国の中で、【このような宗教弾圧を受けたのはユダヤ地方のユダヤ人だけであり、同王朝の支配下にある他の民族が伝統的信仰を禁じられたという痕跡はない。】シリア王国の首都であるアンティオキアのユダヤ人共同体でさえ、伝統的宗教生活の禁止命令や迫害を受けてはいないのである。
(中略)
 その原因がどこにあるにせよ、アンティオコス四世の命じたユダヤ教弾圧政策により、それまで親ヘレニズム的なユダヤ人と対立し、律法に厳格に従った伝統的な宗教生活を営もうとしていた「ハシディーム」(敬虔者)と呼ばれる保守派の人びとの多くは殺され、もしくは荒野への逃亡を余儀なくされた(Tマカ42、Uマカ一四6)。思想史的に見て極めて注目に値するのは、まさにこのような逆境の中から、おそらくイスラエルで初めて明確な死者の復活の観念が生まれたことである(ダニ一二2−3、Uマカ七9、14、22−23、28−29。なおこれ以前のエゼ三七1−14は、民族再生の希望を表現する比喩的なものと解されるべきである)。それは敬虔なるものの殉教という不条理を克服しようとする新しい信仰の芽生えであった。」(山我哲雄『聖書時代史 旧約編』 240-241、243頁)

キリスト教確立以前にも起きていたユダヤ人虐殺事件
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1302.html
ストラボン
「キレネ(アフリカ北部リビア東部にあった地中海に臨む古代都市)には4つの階級がある。1番目は市民、2番目は農民、3番目は外国人居住者、そして4番目がユダヤ人である。このユダヤ民族は、既にあらゆる都市に入り込んでいる。そして、およそ人の住める世界でユダヤ人を受け入れていない場所、その力を感じさせない所を見つけることは容易ではない。」

「ジョン・A・キール(『宇宙からの福音』(角川文庫の邦訳あり)の著者)によると、初期の神官(僧侶階級)は自分たちは異次元の存在(超人類)と意見を交わす能力を持っていると主張しており、初期の王や皇帝は、ジュリアス・シーザーからナポレオンにいたるまで、神秘的に出没する不思議なものとたびたび談合していたことが歴史上の記録からわかっているという。」(デーヴィッド・アイク『竜であり蛇であるわれらが神々 下』 155頁)

バビロン捕囚期にパリサイ派を形成したレヴィ人はトーラーの中に少しずつ自分たちの望む要求を混ぜていき、さらに後にタルムードとなる口伝律法を通してトーラーの枠を破りその要求を露骨に出していきました。
神のみ言葉(聖書)から…
ttp://www.hpo.net/users/hhhptdai/kami.htm

「バビロン時代以来編纂され続けてきたすさまじい量の『トーラー』および『タルムード』は、個人の日々の生活をこと細かく規定するものであり、人間精神に対する砲撃と言ってもよいほどのものであった。これを書いたレヴィ人は、その事実を隠蔽するためにモーセの物語をでっち上げた。あらゆる事態をカバーすべく次々と「律法」が付け加えられ、いくたびとなく改訂が施された。
 レヴィ人によって作られたこの書物は非ユダヤ人を排撃する病的な人種主義に満ちており、少しでもユダヤに挑戦する者があれば徹底的に「殲滅」するように説いている。」(デーヴィッド・アイク『大いなる秘密 上』 231頁)

「一般のユダヤ人の大多数はレヴィ人の過激な人種主義に従おうとはしておらず、特にユダヤ人のあいだでのみ結婚を要求する厳格な人種律法には反対している。多くのユダヤ人は、悪意に満ちたレヴィ階級によって、生まれたときから恐怖を植えつけられ、教義に凝り固まった彼らの操り人形として育て上げられている。彼らレヴィ階級は今日では過激派シオニストとも呼ばれているが、本来はパリサイ派のタルムード主義者である。彼らは、バビロンのレプティリアンのために働くレヴィ人の作った「律法」を施行する、狂信的なラビたちによって支配されている。」(デーヴィッド・アイク『大いなる秘密 上』 234頁)

レヴィ人が今日、一神教と呼ばれる信仰形態を確立させた目的は、宇宙の元となる神から人間の霊魂を引き離すことと、それにより存在の基盤を喪失した人間の霊魂を現存の世界の転覆を望む方向に誘導することでした。その道程は終末論となって表れています。
終末論-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%9C%AB%E8%AB%96
千年王国-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%8E%8B%E5%9B%BD
イスラエル国内でメシア待望の気運が上がっている
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd821.html

レヴィ人はユダヤ教の形成に尽力する一方で、キリスト教到来の準備も進めていました。彼らは秘密結社ネットワークを通してカバラ的な宇宙論を基にした宗教の教義を流布させて、ユダヤ人以外の民族が一神教を受け入れる下地を作ったのです。その痕跡が今日、グノーシス主義文書と呼ばれている古文書です。それらの宗教の中からオリエント・ローマ世界を席巻する宗教に成長したミトラ教を範型として、旧約聖書の世界とミトラ教の形式を結びつけてキリスト教を作り出したのでしょう。
グノーシス主義-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ミトラ教と神智学
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html
西方ミトラ教の歴史――ミトラ単一神教から西方ミトラ教まで――
ttp://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_History_West.html

「最初の福音書(Gospel = Gods-spell = 神の魔法)の物語がどのように編纂されたかについては、主な説が二つある。その一つがピソ説だ。これについては一九七九年に米国で出版されたアベラルト・ロイヒリンの『新約聖書の真の作者(The True Authorship Of The New Testament)』がくわしい。「ローマのピソ(The Roman Piso Homepage)」というウェブサイトもあり、この理論およびイルミナティ血流にスポットを当てている。(http://www.angelfire.com/biz5/piso)ロイヒリンは、「大いなる秘密」を知るある内輪の組織ともいえる歴史上最も排他的な集団について語っている。彼によれば、この集団には宗教界、政界、文学界のトップがいて、彼らはイエスの真実を知りながら、それを余人には知らせたがらないという。

「『新約聖書』、教会、キリスト教はすべて、ローマの貴族カルプルニウス・ピソ家の創作物だった。『新約聖書』とそこに登場するすべての人びと、イエス、すべてのヨセフ、すべてのマリア、すべての弟子たち、一二使徒も、パウロも洗礼者ヨハネも、みな架空の存在である。ピソ家が物語と登場人物を創作し、歴史のある時期のある場所に結びつけ、ヘロデ王、ローマ行政官長といった周辺に実在した人物と関連を持たせたのだ。だが、イエスおよび彼に関わるすべての人物は、架空の存在である」
(中略)
ピソ家の長で、ヘロデ王の曾孫娘と結婚したルキウス・カルプルニウスは、ローマの作家として名高いセネカと親しかった。ロイヒリンによれば、どちらも西暦六五年に皇帝ネロによって殺されている。神話のなかで聖ペテロと聖パウロがローマで皇帝ネロに殺されたのは、この事件にヒントを得たものだと、彼は言う。さらにロイヒリンは、西暦六〇年ごろにルキウス・カルプルニウスがマルコの福音書の最初の版である『ウル・マルクス』を書き、ピソ家がローマ帝国支配者と緊密になると、ほかの福音書が次々に書かれたとしている。
(中略)
 ロイヒリンの著書によれば、アリウス・カルプルニウス・ピソは福音書のうちの三つを、次の順序で書いている。マタイの福音書(西暦七〇年から七五年)。マルコの更新版(七五年から八〇年)、そして小プリニウスの助けを得てルカの更新版(八〇年から九〇)。ヨハネの福音書はアリウスの息子ユストゥスの作で、一〇五年に書かれたという。「イエス」は合成された人物であり、その物語には、エジプトのヨセフ物語や『旧約聖書』のその他の登場人物をはじめ、エジプトのヘブライ人エッセネ派の文献、さまざまな多神教の神々や蛇のカルトのバルドルの特質などが要素として含まれるとした点で、ロイヒリンは実に正確である。彼はまた、『旧約聖書』の文章を加筆訂正し、外典一四篇の大半を書いたのはピソ家だとしている。ロイヒリンは、ヨセフスとして知られる「ユダヤ」人歴史家の実名こそアリウス・ピソだと言うのだ。確かにそれで、ヨセフスのようなローマとの戦いの経験がある「ユダヤ人」が三〇年間もローマに住み、その間にユダヤの歴史について何冊もの本を書き、ローマの貴族階級と姻戚になった理由に納得がいく。ロイヒリンは「聖パウロ」もイエスと同じくでっちあげだとしており、「パウロの」危険に満ちた航海がヨセフスが体験したと言っていることの再現だという点は興味深い。パウロはローマの市民権を得たユダヤ人とも書かれているが、ヨセフスも彼自身について同様のことを言った。
(中略)
『キリストの陰謀』の著者アチャルヤをはじめとする研究者たちは、福音書の物語はむしろ、ポントゥスのマルキオンという人物の書いたものに由来すると言っている。彼は、生身の人間としてのイエスの実在は信じておらず、象徴的にイエスの物語を書いた。マルキオンはグノーシス派(「知識」を意味する)で、彼らの著述には広く象徴や寓話が用いられている。一九四五年にエジプトのナグハマディで見つかったグノーシス派の文書はイエスのことに触れたもので、イエスが存在した「証拠」として用いられてきたが、そうではない。第一にその文書は「事件」のかなり後に書かれたものであり、第二にグノーシス派は寓話的にものを書く人びとである。一二世紀のユダヤ人哲学者でグノーシス派のマイモニデス(モーシェ・ベン・マイモーン)は、次のように述べている。

「あなた方はわれわれの本に書かれた物語を読むたびにそこに書かれていることを不可能だと思い、理屈と常識の双方から相容れない物語に感じるだろうが、やがて、大いなる神秘に満ちた真実の隠れた深遠なる寓話がその中にあることを確信する。字義が不条理であればあるほど、霊的な叡智は深まるのだ」

 福音書の文章を書いたのが誰であれ、それは明らかに、人びとが信じているようにマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネら「使徒」の手によるものではない、キリスト教教会でさえ使徒たちが書いたと言っていないのだが、彼らの名前を使うことでそういう印象を与え、真実を犠牲にして作り上げたイメージや印象を通じて大衆の心を操り導いている。聖書のどの部分の作者も一人として分からず、パウロなどは歴史上の人物とも示されていないのは何とも驚くべきことだ。さらなる証拠を待つとしても、私は、キリスト教という宗教に成長したものの創造にピソ家が少なくとも何らかの形で関わったことを確信している。イルミナティのローマ帝国がローマカトリック教会を設立した後に、彼らが初期の教皇を多数輩出したことは明らかなのだ。」(デーヴィッド・アイク『竜であり蛇であるわれらが神々 上』 477-482頁)
マルキオン主義
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/marukion.htm

聖書の物語が作為的に造られたものとなるとモーセとイエスの存在が問題になってきますが、モーセとイエスの実在に関しては聖書外史料が存在しないため何ともいえません。
モーセの正体はアクエンアテン王その人だったのかもしれません。

「ここまでくれば、われわれは、思い切って結論を下してもよかろう。もしもモーセがひとりのエジプト人であったならば、そして、もしも彼がユダヤ人に彼自身の宗教を伝えたとするならば、それはイクナートンの宗教、すなわちアートン教であった、と。
(中略)
モーセの宗教はアートン教に他ならないという命題を証明する近道がもしあるとすれば、それは、告白ないし宣言の意味内容に向かう道であろう。しかし、このような近道などないと言われてしまうことを私は危惧する。ユダヤ教の信仰告白は周知のようにSchema Jisroel Adonai Elohenu Adonai Echod と語られる。もしもエジプト語のアートン(あるいはアートゥム)という名前がただ単にヘブライ語のアドナイそしてシリアの神の名前たるアドニスと似た響きを持っているだけでなく、時代を超えた言語と意義の共有の結果であるとするならば、このユダヤ教の文言は以下のように翻訳されうるだろう。聞けイスラエルよ、われらの神アートン(アドナイ)は唯一の神である、と。
(中略)
 モーセはユダヤ人に新しい宗教だけをもたらしたのではない。これはまた断定的に主張されることだが、彼はユダヤ人に割礼という掟をもたらした。この事実はわれわれの問いにとって決定的な意義を持っているのだが、いままで正当に評価されたことはほとんどなかった。聖書の語るところも、この件に関してはいろいろと矛盾している。聖書は、一方では、割礼を太祖時代まで溯らせて、これを神とアブラハムのあいだの契約のしるしと語り、他方では、個々ではまったく特殊な暗闇に包まれた箇所なのだけれども、モーセが聖化された慣習をないがしろにしたために神は怒りモーセを殺そうとしたが、ミディアンの女であったモーセの妻が迅速に手術を行なって危機に陥った夫を神の怒りから救った、と語っている。しかしこれらはすべて歪曲であって、惑わされてはならない。われわれは、のちに、この歪曲の動機を洞察することになろう。だが、割礼という掟はどこからユダヤ人のなかにやってきたのか、との問いにはただひとつの答えしかありえないということは動かせない。すなわち、エジプトから、である。ヘロドトス、この「歴史の父」は、割礼という慣習がエジプトでは大昔から土着のものであった事実をわれわれに伝えてくれている。そして彼の報告はミイラの所見によって、さらにまた、墓地の壁画によっても確認された。われわれの知る限り、東地中海沿岸のいかなる民族もこの慣習を行なっていなかった。セム人、バビロニア人、シュメール人に関しては彼らが割礼を受けていなかったと確実に言える。カナンの住人たちについては聖書のなかの物語そのものが伝えている。彼らが割礼を受けていなかったことがヤコブの娘とシケムの王子の恋物語の結末の前提になっている。エジプトに移住していたユダヤ人がモーセによる宗教創設とは別の成り行きで割礼を受け容れたとする可能性は、まったく根拠のないものとして否定されねばなるまい。さて、こうしてわれわれは、割礼がエジプトにおいてあまねく行なわれていた民族慣習であったことをしっかり記憶にとどめた上で、モーセはひとりのユダヤ人であったとする通念を少しのあいだ仮定してみたい。するとどういう結果になるのか。モーセは彼の同胞をエジプトにおける強制労働の苦役から解放し、同胞を一個の自立し自覚的であるような国民へと成長させるべくエジプトの国土の外へと導き出そうとした――これはまったく現実に起こった――わけであるが、この場合、モーセがユダヤ人に辛く煩わしい慣習を同時に強制することにいかなる意味がありえたのだろうか? 割礼こそユダヤ人をエジプト化してしまう当のものではなかったか? 割礼こそユダヤ人のエジプトへの追憶を常に喚起し続けるに相違ないものではなかったか? ところが、モーセの努力は、彼の民が奴隷として生活していた国と縁を切り、「エジプトの肉鍋」への憧憬を克服するという正反対の方向にこそ向けられていたはずではなかったか? つまり、話はまるで逆なのだ。われわれが出発点にした事実と、いまここで少しのあいだ加えてみた仮定とが相互にこれほどひどく矛盾している以上、ひとつの結論を下す勇気がなければなるまい。すなわち、モーセがユダヤ人に新しい宗教だけでなく割礼という掟をも与えたのであれば、彼は決してユダヤ人であったのではなく、ひとりのエジプト人であったのだ、と。そうであれば、モーセの宗教はおそらくエジプトの宗教、しかも、エジプトの民族宗教との対立からして、のちのユダヤ教と幾つかの注目すべき点で一致を示しているアートンの宗教であったことになろう。

 すでに指摘しておいたように、モーセがユダヤ人ではなくエジプト人であったとするわれわれの考えは新たな謎を生み出す。彼がユダヤ人であったならば容易に理解されると思われる彼の行状が、エジプト人であったとなると不可解なものになってしまう。しかしモーセをイクナートンの時代にしっかりと据え置き、ファラオとのつながりのなかで見るならば、この謎は消失し、われわれのあらゆる問いに答えてくれるような行状の動機づけが存在しえた事情が明瞭になってくる。モーセが高貴な身分の政府高官であり、ひょっとすると実際に、伝説が語るとおり、王家の一員であったかもしれないという前提から出発してみよう。彼は確かに自分の大きな能力を自覚し、野心に満ち、力強く行動力のある男であった。いつの日にかエジプト民族を導き王国を支配せんとする目標すら彼の念頭にはちらついていたかもしれない。ファラオの側近として、彼は新たな宗教の心底からの信奉者であり、その根本思想を完全に体得していた。しかし王の死と反動勢力の復活とともに彼は彼の希望と将来への展望がことごとく崩れ去るのを目の当たりにすることになった。彼がかけがえのない信念を捨て去ろうとしなかった以上、エジプトは彼に何ひとつ与えるべきものを持たなくなったわけであり、彼は祖国を失うことになった。この危機的状況のなかで彼は途方もない打開策を見出した。夢想家イクナートンは民族の心から離反してしまい、その世界帝国を崩壊させてしまったが、モーセの精力的な本性は、新たな王国を打ち建て、新たな民族を見出し、エジプトから排除された宗教をその新たな民族に信仰させようとする計画へと向かうにふさわしいものだった。これが運命と闘い、イクナートンの破局によってモーセが失ったものを二つの方向において奪い返そうとする英雄的な行為であったことは誰しも認めるところだろう。その当時モーセは、セム人の諸部族が(ヒクソスの時代までであったか?)定住していた国境地帯(ゴセン)の代官であったのかもしれない。モーセは新たな民族とするためにこの人びとを選んだ。これは世界史的な決断であった! モーセは彼らと協定を結び、彼らの先頭に立ち、「強い手で」彼らの旅立ちを配慮し見守った。聖書のなかの伝承とは完全に矛盾することになるが、この脱出の旅は平和のうちに追撃されることもなく行なわれたと考えるべきだろう。モーセの権威がこれを可能にしたのであり、当時はこの動きを妨害できるような中央権力など存在しなかった。」(ジクムント・フロイト『モーセと一神教』 45-46、48-52頁)

イエスもモデルとなった人物が存在したかもしれませんが、その人物像は後の教会勢力によって改竄されたと思われます。イエスがパリサイ派の偽善だけではなく一神教自体の虚偽も見抜いていたのでなければ卓越した霊感の持ち主とはいえないからです。
史的イエス-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9

キリスト教を表向きはユダヤ教と敵対する宗教に仕立て上げたのは、ユダヤ人とキリスト教徒の相互対立を激化させる思惑もあったでしょうが、何より「宗教的偏見により常に迫害されてきたユダヤ人」という神話を作り出すことがアジェンダを進める上で都合がよかったのでしょう。

ナチスとシオニストの協力関係
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd300.html
マーク・レイン
「ヒトラーはユダヤ人絶滅命令を一回として出してはいない。彼が部下に命じたのは追放することのみであった。そのユダヤ人追放が大量に達したとき、ヒトラーは当時のシオニズムの指導者であったハイム・ワイツマン(後の初代イスラエル大統領)にある取り引きを申し出た。ユダヤ人たちをそちらに渡す代わりにドイツへの経済援助を求めたのである。これは歴史的事実である。
しかし、ワイツマンはそれを断った。ユダヤ人たちが迫害され、あるいは殺されることによってそれがイスラエル建国のバネとなり、また戦争後のユダヤ人たちが世界にアピールしていくときのバネになると、彼ははっきり答えたのだ。」

ユダヤ戦争(紀元66、132年)も当然ローマ帝国を裏から操っていたレヴィ人がそれが起こるように仕向けたものです。後にタルムードにまとめられるパリサイ派の口伝律法よって異教徒(この場合、ユダヤ人以外の全人類)への憎悪を醸成させたユダヤ人を文明破壊の尖兵として全世界に送り込むためです。

シオン長老の議定書(プロトコール) 五
 ほんの一時は、われわれが全世界のゴイム連合にうまくしてやられることもあった
やも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った不
一致があるので、われわれはついぞ危険にさらされずにいる。われわれは、ゴイムを
宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。
このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられないほど
劇しいものになっている。

プロトコール 十一
 神は与え給うた。われら神の選民に、離散という贈り物をして下さった。それは万
人の目からはわれらの弱さと映るが、われらの強さは離散より生れ来たったのである。
それが今や全世界支配という戸口に到達している。


キリスト教とユダヤ人のディアスボラは新世界秩序のアジェンダを本格的に実行するために創られたというのが私の見解です。

キリスト教の目的は、ユダヤ人以外の人間の心魂に現存の世界転覆の道程を刻印することです。
新約聖書のヨハネの黙示録は、キリスト教徒にはサタンに対するキリストの勝利を約束した希望の書だと思われていますが、本当は偽りの理想で人々を誘惑して絶望させる書物です。
一神教の神は偽造された神であり、聖書はレヴィ人が多神教の神話、説話の寄せ集めて作成したものであるから、聖書が約束する神の国が訪れることはありません。レヴィ人は世界最終戦争(第三次世界大戦)の後もキリストが再臨しないことに絶望した人類の心魂はレプティリアン崇拝に向かうと考えているでしょう。アルバート・パイクの予言を読み返してみてください。
ヨハネの黙示録-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2
キリスト教原理主義の「終末思想」の実態
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd823.html

聖書の物語を基盤としている以上、後のイスラム教もユダヤ・キリスト教と同じ目的で作られたと見なければなりません。レヴィ人は何らかの方法でムハンマドに働きかけて、マニ教によって一神教を受け容れる下地ができていたオリエント世界にイスラム教をもたらしたのです。
マニ教-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99

「モハメッドは、日頃訪れていた洞窟のそばで「啓示」を受けた(ヴィジョンを見た)と言われている。ミトラやイエスのようなスーパースター太陽神の物語には、必ずと言っていいほどに洞窟や暗い場所が出てくる。モハメッドに訪れたのは聖書に出てくる天使ガブリエルだったと言われている。そのときモハメッドは、意識を失いトランス状態にあったという。そのような状態にあるモハメッドに対し、ガブリエルはメッセージを与えた。モハメッドが目を覚ましたとき、そのメッセージは彼の心に刻み込まれていたという。このガブリエルのあとに訪れたのは、今日まで何百年ものあいだ続いた血の海のような闘争の時代だった。
 モハメッドと彼の後継者たちは、自らの教義を力ずくで押しつけようとしたのだった。イスラム教は、キリスト教やユダヤ教の反対物ではない。むしろ同じものなのだ。名前は違っても精神的には全く同じものであり、結局はレプティリアンによる支配の道具である。イスラム教もまた、神秘主義結社によって作り出された宗教だ。そのテキストは秘教の暗号で書かれている。一般大衆はそれを文字どおりの物語として表面的に受け取るだけだ。開明的なイスラム指導者によって秘密の知識の一部が一般のあいだに出回った時期もあった。それは社会発展の刺激剤となった。イスラム支配下のスペインやバグダットでは科学が発達した。イスラム世界とユダヤ―キリスト教世界との対立を深めることは、現在でもブラザーフッドのアジェンダの一部である。」(デーヴィッド・アイク『大いなる秘密 上』 299-300頁)

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