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(回答先: れんだいこのカンテラ時評354【日本左派運動再生へ向けてのれんだいこ提言1、 投稿者 こげぱん 日時 2008 年 1 月 18 日 23:46:02)
Re:れんだいこのカンテラ時評355 れんだいこ 2008/01/15 19:10
【提言2、戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと確認し、今からでも遅くない護持成育せしめよ】
日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させたが、「提言2」は、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより、護持成育発展を指針する。これも議論を呼ぶところであろう。
我々は長らくの間、マルクス主義の俗流的教条により、戦後憲法秩序をブルジョア体制と評し、これを転覆せしめての社会主義−共産主義への革命的転換を標榜してきた。通念化した理論であるが、これを疑う必要があるように思われる。結論を先に述べれば、「戦後憲法秩序=ブルジョア体制論」は、理論の貧困によりもたらされた誤認識ではなかろうか。
れんだいこは、「共産主義者の宣言」(一般に「共産党宣言」と訳されている)の英文テキストに基く翻訳により、市井の訳本の拙さと意図的故意としか考えられない誤訳悪訳を指摘している。(「共産主義者の宣言考」
http//www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm
れんだいこには、この種の研究が一向に為されていない事が不思議である。ましてや「共産主義者の宣言」と云えば基本中の基本テキストだろうに。
れんだいこ訳から判明する事は、歴史の偶然なのか意図的に導入されたものなのかは分からないが、マルクス−エンゲルスが同書で指針させた「革命の青写真」即ちプレ社会主義的政策指針の大部が、戦後日本社会にそのまま適用されているという驚きの事実である。戦後憲法が採択公布された時、日本左派運動に理論的知者がいれば当然、これをプレ社会主義憲法と認め、遮二無二その護持成育発展を目指したはずである。が、史実はそのように受け止めなかった。安逸なブルジョア体制批判運動に耽っただけだった。
こういう次第だからして、戦後日本左派運動はオカシゲな運動にのめり込み、さほど役立たないヘンチクリンなものに耽る事になった。穏和系の社共は、戦後憲法秩序をブルジョア体制と認識したまま、まずは民主主義革命を遂行するのが優先だとして議会主義的な反政府運動を専らとし合わせて護憲運動に向かう事になった。護憲という面では辻褄は合っているが、その真意には、社会主義−共産主義運動を当面の目標にせずむしろ後回しにして後景に追いやるという意図が込められた運動でしかなかった。つまり、社共運動は本質的に当局に投降迎合した体制的なものであり、無責任なアリバイづくりだけの口先批判運動に堕し易いものでしかなく、護憲運動も叉防御的なものであった。
問題は、これを否定出藍しようとした新左翼系運動がどのようなものであったかにある。彼らは、戦後憲法秩序を教条主義的にブルジョア体制と認識することにより、戦後憲法秩序を偽装とみなし、その権力的本質を引き出すという戦略戦術で否定破壊運動するところまで定向進化していくことになった。それを支えるエートスが社会主義−共産主義的理念であり、この善運動の正義のためには何事も許されるとしてきた。暴力主義的体質はここに胚胎しているように思われる。
この種の運動が急進化せざるを得ないのは自明であるが、権力と対峙して行使される場合にはある種認められようが、戦後憲法秩序のプレ社会主義性に対する暴力的破壊に向かうとなると考えものであろう。この種の運動が革命的であったかどうか疑わしい。むしろ単に観念的善運動でしかなく、実際に為した事は反動的であったかも知れない。
思えば、新左翼が共感を得たのは、60年安保闘争時の第1次ブント運動のタカ派岸政権の反動的施策に対する果敢な闘争に対してであり、70年安保闘争前の全共闘運動のハトタカ混淆的佐藤政権の対米盲従ベトナム政策に対する果敢な闘争に対してであった。人民大衆は、プレ社会主義的戦後秩序の破壊者に対する抵抗を願望しており、新左翼がこれに闘う姿勢を見せた時に共感したのであり、彼らの理論に共鳴したものではなかろう。なぜなら思弁的でかなり難解で辟易するだけのものでしかないから。
れんだいこがは今はっきりと分かる。新旧左翼両者が戦後憲法秩序をブルジョア体制と評してきたことそのことがそもそも誤りなのではなかろうか。戦後憲法秩序は世界史上稀なるプレ社会主義性のものとして認識し称揚していくべきではなかったか。これまでの運動は、現実の要請に対して正面から向かいあっていないのではなかろうか。
皮肉な事に、戦後憲法秩序をプレ社会主義と認識したかどうかは別として真に護持成育せしめてきたのは、戦後与党を形成してきた自民党の主流派を一時期形成したいわゆる保守系ハト派であった。これに人民大衆が広範に列なった。池田−田中−大平政権下の施政が特に顕著であったが、彼らが戦後憲法秩序に即応した政治を舵取りしたところに世界史上稀なる経済復興と高度経済成長が獲得されたのではなかろうか。今から思えば善政時代であったのではなかろうか。
但し、その政治も左右両翼から挟撃されて、1976年のロッキード事件勃発とともに始まったト派からタカ派への戦後保守主流派の政権交代により終焉する。タカ派の政権奪取とともに日本は失速し始める。その要因は、タカ派が戦後憲法秩序に具現されたプレ社会主義秩序及び機構及び精神を破壊解体せしめるところからもたらされてきているのではなかろうか。
タカ派のらしさは、ハト派が優先してきた内治主義的な公共事業を抑圧し、外治的な軍事防衛事業への散財に認められる。興味深いことに、宮顕−不破系日共の公共事業抑制論は、社会福祉費増大を要求しているものの、タカ派的公共事業抑制その代わりの軍事防衛国際責務論と通底していることである。この両者は、ネオ・シオニズム論を介在させると裏で共同していることがいろんなところから透けて見えて来る。
タカ派は、「提言1」で指摘した国際金融資本の御用聞き政治を専らとしており、対外的には米英ユ同盟の腰巾着外交を繰り広げ、自衛隊の海外武装派兵で「米英ユ貢献」に勤しみ、国内的には善政の産物である年金制、医療制、均等社会、内治主義的公共事業制を破壊し、つまり国際金融資本帝国主義の願う通りの売国奴政策に精勤している。これが現代日本政治の本質であり、お粗末さの原因である。民主党の政権交代論が、これに抵抗するものならともかく、この政策延長上での政権争いに興ずるだけなら何の意味もなかろう。
れんだいこは、このように見立てする。とならば、自ずと結論は次のようになろう。日本左派運動の採るべき道は、タカ派の売国奴政策と太刀打ちし、憲法改正策動を許さず、戦後のプレ社会主義を護持生育せしめ、この地平からの後退を全戦線で阻止せよ。むしろ逆攻勢的革命的護憲運動に向かうのが筋と云うものだろう。
思えばこの点に於いて、日本左派運動の新左翼系が掲げた理論は一切虚妄なものではなかったか。これに比して、社共運動が一定の支持を受けてきたのは、戦後憲法秩序の護持ゆえではなかったか。今新左翼は、このことを悟るべきだろう。ここから導き出される結論は次のようになろう。社共的弱弱しい護持運動ではなく、プレ社会主義論に立脚した戦闘的護憲運動を展開せよ。
以上より、「日本左派運動は、戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し、護持成育せしめよ」。これを第二指針とする。これにより、「戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し、護持成育せしめ、第一指針の民族主義的土着型運動と結びつけよ」が指針される。これを「第二提言」としておく。
2008.1.15日 れんだいこ拝
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