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(回答先: Re: れんだいこのカンテラ時評356【日本左派運動再生へ向けてのれんだいこ提言-国有化経済理論を否定し、戦後日本に結実 投稿者 こげぱん 日時 2008 年 1 月 18 日 23:49:40)
れんだいこのカンテラ時評357 れんだいこ 2008/01/18 11:27
【提言4、統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ】
日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させ、「提言2」で、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより、護持成育発展を指針させ、「提言3」で、「国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換を指針させたが、「提言4」として、「日本左派運動用語から統一戦線論を棄却し、共同戦線論に転換させよ」を指針させる。これも議論を呼ぶところであろう。
日本左派運動が受容したマルクス主義の悪しき俗流化として国有化理論のほかに統一戦線論が有る。れんだいこは、統一戦線論の吟味以前に「統一」という文言に拘る。世上で「統一」という言葉が用いられる際は、大抵ろくでもない発想に基いていると思えば良かろう。
この文言は左派運動には本来無縁の用語であるのにいつのまにか導入され、我々が無自覚なまま通用させてきた経緯がある。れんだいこが以下立論するが、それでもなお「統一」表現に拘り続けるとしたら俗に云う「漬ける薬が無い」か意識的故意悪意で用い続けているかのどちらかになるだろう。
統一戦線論の由来は、生硬な急進主義的マルクス主義運動が社会民主主義運動排撃論を生み出し、その反省の上に立って代わりに登場してきたものであるが、これにより直接の党派運動の展開を控える代わりに非党派的つまり無所属を装う人民戦線的運動が生み出された。統一戦線論とは、この運動指針論のことを云うように思う。
しかし、れんだいこには臭い話でしかない。統一戦線論は、革命の前衛としての党派運動を隠しているだけで、大衆運動的に見せかけてその実、その手綱は常に党に有るべしという妙な理論でしかない。衣の下に鎧が見えており人民大衆を馬鹿にしている。互いの党派がこれをやるとどうなるか。姑息なだけのことでしかないのではないのか。それと、歴史的ユダヤ教パリサイ派の得意としてきた陰謀的秘密結社の得意とするカムフラージュ理論と良く似ていると思うのは、れんだいこだけだろうか。
れんだいこは、この種の運動をマジに掲げる党派の感性が信じられない。本来ならいっそのこと堂々と共同戦線論として打ち出すべきところであろう。それなら納得する。各党派も党派的利益は差し置いて、運動の利益を主眼にするべきであり、その運動を通じて切磋琢磨し揉まれるべきではないのか。それで不満な面は、党派の直接の運動で補完すれば良かろう。党派独自の運動を世に大胆に提起できないとしたら、そもそもイカガワシイ話ではないか。問題は、どちらもやれば良いだけのことではないのか。
直接的な党派運動が非合法の場合も何ら事情を変えない。どちらもやれば良い。それだけのことである。直接的な党派運動が合法の場合にはなおさら直接的な党派運動を目指すべきだし、他党派及び大衆団体と組むなら共同戦線でやれば良い。それだけのことであろうが。それを敢えて統一戦線でやろうとし、党派的基準を持ち込むところが胡散臭い。れんだいこはそう思う。
統一戦線論の素性は哲学的にも思想的にも組織論的にも運動論的にも怪しい。統一と共同の間には元々千里ほどの間がある。共同戦線論を生み出すべきところを敢えて統一戦線論を押し立ててきたというのが真相であり、何ゆえにかような方法が持ち込まれたのか訝らねばならないと思う。統一戦線論はどこかに司令塔的センター基地を控えさせており、タガハメされている。それはあたかも薄っぺらな国際主義論が国際金融資本帝国主義の奏でる詭計理論である事と通底しているように思える。各派が対等でない裏の仕掛け人が居るということである。我々はかような統一戦線論と早急に決別せねばならぬのではなかろうか。
次のように見立てることもできる。現代史を紐解く精神的エッセンスはルネサンスの精神であり、これを保持するかどうかで文明度が推し量られる。ルネサンスの洗礼を受けた者が近代以降の歴史の正統な継承者であり、これを弁えぬ者は、個人であれ組織であれ党派であれ旧人であろう。つまり、近代ルネサンスの洗礼リトマス試験で正反応し無いのは封建的君主的秩序派であり、反応するのが開明的議会的秩序派とみなす事ができる。
これに照らせば、社民排撃論にとって代わった統一戦線論の素性も相変わらずの封建的君主的秩序の範疇のものであり、我々が受け入れる訳には行かない種のものである。本来必要なことは、組織の内も外も運動のそれも政権取る前も後も共同戦線で邁進すべきである。何事もぼちぼちやれば良いのだ。端からこれでやっておれば今頃の政治情勢は今よりは随分先へ進んでいるだろう。
共同戦線論は当然、参加団体のサミットを要請する。その場で喧々諤々すれば良かろう。粘り強く何度もやれば良かろう。ここに能力が問われている。そして共同行動すれば良い。足らずは相互に自前の党派運動で補足すれば良かろう。日本左派運動は、世界のそれもそうかも知れないが、こういう能力を持っていない。この能力を獲得できないうちは革命なぞできっこないだろうし、下手な革命なぞ起こして貰いたくもない。こういうことも云っておきたかった。
以上より、「日本左派運動は統一戦線論を否定し、よろづ共同戦線論に転換せよ。これを第四指針とする。これを第一指針の民族主義的土着型運動、第二指針の戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し護持成育せしめる運動、第三指針の国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換理論の創造と結びつけよ」を指針する。これを「第四提言」としておく。
2008.1.18日 れんだいこ拝
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