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(回答先: Re: れんだいこのカンテラ時評352【「ほんみち」その2、功績その3、獄中下での非転向】 投稿者 こげぱん 日時 2007 年 12 月 14 日 23:24:58)
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れんだいこのカンテラ時評352 れんだいこ 2007/12/15 12:58
【「ほんみち」その3、功績その2、近代天皇制批判】
「ほんみち」が評価される視座としてもう一つ、当時の天皇制との闘いがある。れんだいこは、「ほんみち」のこの方面での理論に注目している。近代天皇制との理論的実践的闘いは、天理教教祖中山みき以来の伝統的なものであるが、当時の天理教本部はこの方面に於いてほぼ完全に批判能力を喪失していた。他の多くの教団教派と同様に、維新政府の喧伝する皇国史観圏内に教義を合わせることにより生息を目指しつつあった。これに対し、「ほんみち」が、近代天皇制の根本原理批判に向かい、つまり維新政府の皇国史観と立ち向かい、数次の弾圧を経てもなお当局と対峙したのは圧巻であった。れんだいこは、そう考える。
こうなると、「ほんみち」の近代天皇制批判はいかなるものであったのかを検証せねばなるまい。それは、教祖の比類なき人類創世譚「元始まりの話」(「泥海古記」)に基づき、近代天皇制の在り様がそもそも人類創造の原義「一列平等」に照らしてそもそも不正であるとして批判を開始し、明治新政府の目指そうとしている富国強兵型強権政治が誤りであることを警鐘乱打した。この意味に於いて、「ほんみち」は、中山みき教祖の呼号した「人類創造の親神の思いにかなう世直し、世の立替え」の忠実な実践者であった。
教祖みき−「ほんみち」の天皇制批判の秀逸さはもう一つ、明治維新以来の特殊な近代天皇制の異邦人を告発した事にある。れんだいこに云わせれば、この指摘が今輝き始めている。最新の学問的研究によれば、明治維新以来の天皇制はそれまでの天皇制とは明らかに別物であり、流行りの言葉で云えば、ネオ・シオニズムに拝跪し傀儡と化した変態的天皇制であった。
近代天皇制の皇国史観に基く天皇制絶対主義いわゆる王制復古型国家神道は、明治天皇、大正天皇、敗戦後の戦後憲法で象徴化されるまでの昭和天皇の三代に於いて制度化されていたものであるが、押し込められた大正天皇を除き、明治天皇然り昭和天皇はなお然りで明らかにネオ・シオニズムに懐柔されており、仕立てられたそのシナリオ下で現人神として君臨しつつ猛威を振るった形跡がある。最新の学問的研究はこのことを明らかにしつつある。
戦前あまたの批判勢力が存在したにも拘らず「ほんみち」以外には、近代天皇制を1・天皇制はそもそも人類創造に当たって一列平等とした親神の思いにかなわないとする原義批判、2・今の天皇には天徳無しとする天徳批判、3・世界を唐人が牛耳っており、天皇も唐人であるとする批判の三点で捉え、この体制に毅然と立ち向かった者はいない。
「ほんみち」は、これをどのように世に問うたのか。社会主義−共産主義運動は、治安維持法の法網から逃れようとして内輪的な意思統一に汲々としていた折柄、「ほんみち」は果然、昭和3.3.23日、「ほんみち」の方から奈良県庁への「昭和3年の打ち出し」を皮切りに、全国的な規模で官庁、府県庁、警察署、知名人、有力者等々に公然と「研究資料」を配布し、宣伝員が臆することなく内容を説いて廻った。
その背後には、大西には大西の長男・愛信の身上があり、愛信の要請という宗教的事情が有ったにせよ、こうして「ほんみち」側から捨て身の行動に決起している。取締り当局は、衝撃を受け、報道管制を敷きながら内偵を進め、4月初旬、一斉検挙に向かった。約500名に及ぶ信徒が検挙され、そのうち約180名が不敬罪で起訴された。世にこれを「ほんみち第一次不敬事件」と云う。
昭和13.8.12日、「ほんみち」は、こたびは大西の妻トヲの身上を奇禍として「憂国の士に告ぐ」と題した書信を大阪朝日、大阪毎日新聞社へ届け「昭和13年の打ち出し」に向かった。これを契機に、二人一組の説明班を編成し検事局、警察署、憲兵隊に出向き所信を表明した。全国の信徒が約900万部を個別配布して廻った。11.21日、第一次一斉検挙で約1千名の信徒が検挙され、約400名が収監された。昭和14.5月、第二次一斉検挙206名が逮捕され、全部で273名が起訴された。世にこれを「ほんみち第二次不敬事件」と云う。
宗教的と云えば余りにも宗教的なこの経緯は、右派系左派系歴史書の殆どが記さない史実である。れんだいこは、客観的に見て、近代天皇制に真っ向勝負した稀有な快挙として触れざるを得ない。左派系のインテリジェンスからは理解できない愚挙であったにせよ、黙することは不遜過ぎるのではなかろうか。思えば、こういう式の歴史書、歴史観で、我々の眼はくらまされ続けているのではなかろうか。れんだいこが、れんだいこ史観を打ち出さざるを得ない所以がここにある。
れんだいこ史観で云えば、世上云うところの明治維新の概念は正しくない。本来は、幕末維新と捉えるべきで、この幕末維新は「上からの幕末維新」と「下からの幕末維新」の二通りから進められたとみなすべきではなかろうか。「上からの幕末維新」は、西郷派の失脚と共にネオ・シオニズム派が天下を取り「明治維新」となって西欧化と云う名のネオ・シオニズム化させられていった。
「下からの幕末維新」は、自由民権運動に代表される政治運動と教派神道と呼ばれる宗教運動に分岐して、結局鎮圧された。自由民権運動はその後マルクス主義派、無政府主義派、労使協調派等々に分岐する。他方、「ほんみち」は、大本教と共に最後の「下からの幕末維新」の嫡出子運動だったのではなかろうか。そういう気がする。
2007.12.15日 れんだいこ拝
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