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秩父事件の概要
>1884年、明治17年11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起。秩父困民党軍は西南戦争で西郷軍が押したてた「新政厚徳」の旗をかかげて行進したという。
西南戦争と同じ内戦だった。
>蜂起参加者は最盛時8,000人とも10,000人ともいわれるが、有罪判決を受けた者3,390余人(最高幹部は死刑ないし無期懲役〉官憲の調書に名を残した者4,200余人、その内の約4分の1が吉田町の人間だった。
この記録は、公式発表のもので裁判を受けずに処刑されたものもあったろう。
明治政府は、この戦闘で死亡したり負傷したりした軍人や警察官の処遇にあたって、これを西南の役に準ずる「戦争」として扱い、その戦況や結末の報告は大政大臣から明治天皇のもとにまで届けられている。
この事件の真相はタブーとされ、以来警察は秩父で起きた事件には不干渉のうわさもある(秩父をふらついて事件にあっても警察は関与しないとか)。
>1984年、昭和59年秩父事件百周年を迎えるや、全国でさかんな記念行事や顕彰運動が行われた。(NHK大河ドラマ「獅子の時代」で秩父事件をとりあげている。)
顕彰してるとは驚き!オウムのときは世間から袋叩きにされたのに。
たかが秩父の吉田町を中心とする人間だけが反乱を起こしたと記述されているが、部落民に警察署が襲われてというショックは相当のものであろう。この辺は最近は隠される傾向にある
オウム真教のせいにされた松本のサリン事件も、場所が部落の存在で有名な松本市であることは意味深である。なにせ、最初に警察に手配された松本も、教祖の麻原も姓は松本である。麻原の父親は朝鮮人で母親は部落の出身などの報道もあったが、麻原自身はそうではないという説もある。
オウムの幹部で石井女幹部、石川幹部、山口組組員である中田幹部などオウムには、部落の出身が多いというアングラ情報もあったが、当時の新聞では伏せられていたようだ。村井幹部も部落の出身らしいが、在日の右翼の徐に刺された傷はほんとうはたいしたものでなく、実際は運び込まれた病院でザックリと内臓を摘出されて(権力側に)殺されたいう本もあった。村井幹部は権力側に相当憎まれていたようだ。
未だにサリン事件は曖昧のうちに判決が下り、マスコミの事件の検証や冤罪追求の動きもない。ロシアオウムの幹部がCIAに脅されてオウムの解散に追い込まれたという情報ソースもあった。読売のナベツネさんがCIAとの関係を疑われているが、彼が闇将軍のうわさも高い小沢一郎先生にネジを巻いたのかも知れない。
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