★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ51 > 161.html
 ★阿修羅♪
 白石征演劇とは何か (3) 【AWC】
http://www.asyura2.com/07/bd51/msg/161.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 10 月 28 日 01:36:36: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 白石征演劇とは何か  (2)  【AWC】 投稿者 愚民党 日時 2007 年 10 月 28 日 01:33:40)

 白石征演劇とは何か(3)/愚民党
★内容


歴史は終わった−それは近代が内部から崩壊をとげる敗北の過程な
のだが、逆に制度の秩序者たる再配分同盟は近代へと上昇する。演劇はこ
うして、いつのまにか祝祭を放棄する。白石征は演劇の祝祭の構造を奪還
すべく奮闘している。そのガイスト(魂)こそが、泉 鏡花や寺山修司と
動かす力(ドライビングフォース)において連続している。抑制する反動
としての力を同盟として強化する近代合理主義者たちは恐れている。

 白石征は88年「新雪之丞変化−暗殺のオペラ」で演劇界に登場する。
観客動員は成功し、その戯曲は本に成就されている。続いて「落下の舞−
暗殺のロンド」観客動員に失敗し膨大な赤字を背負う。93年「瓜の涙」
初演で復活。94年5月「階段を半分降りたところ」、7月「十三(とさ
)の砂山」わたしはここで初めて演出家・白石征に出会う。

 88年といえば昭和天皇が「死にいたる病」にあり、89年1月7日、
昭和は終焉し、春には中国天安門事件、秋には東欧民衆の巨万の街頭デモ
ベルリン壁崩壊から12月ルーマニア・チャウシェスク処刑と、第2次世
界大戦その戦後として確定された世界構造が崩壊した時期である。続く、
91年1月17日に勃発した湾岸戦争はアナログからデジタルへと世界が
すでに移行したことを焼き付けた。そして日本経済は頂点を形成しつつ落
下へとひたすら向かう。失われた時の幕開けである。

 冷戦構造とは比較的世界像が安定しており、この崩壊は80年代ポスト
モダンを破綻に追い込む。ボーダーレス・ガイストとして近代は次なる方
向を見いだせないまま、ひたすらデジタル社会へと向かう。阪神大震災そ
れに続くオウム・サリンテロの95年、白石征は5月「瓜の涙」再演、9
6年5月「十三の砂山」再演、そして9月「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟
」遊行寺初演にて、遊行舎を創り、90年代後半を疾走してきた。

 97年3月には博品館「瓜の涙」再演、8月パルテノン多摩での100
年気球メトロポリス参加「鰐」、9月「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」を
万有引力俳優陣とともに再演、12月「鰐」再演。続く98年3月「中世
悪党伝1部」、5月渋谷での「十三の砂山」再演、8月台風のなか「小栗
判官と照手姫−愛の奇蹟」遊行寺野外劇、99年に入り3月「中世悪党伝
2部」、5月パルテノン多摩・100年気球ラビュリントス参加「白夜」
8月「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」遊行寺野外劇から愛媛県今治市公演
白石征はやはり遊行寺において、われわれが失ったなにものかと出会い、
演劇において問返している。それは異界からの夏風である。

 それはおそらく浮遊し空洞を拡大するわれわれ現在の生者としての思想
が問われている。一体、歴史とは何か? これが根底から覆されようとし
ている。現在とは生者だけのものではなく、そこに死者との応答関係がな
ければ磁場なきボーダーレス・ガイストとして演劇は自己喪失し漂流する。
「自己の表現行為に対する思想的自覚」とは鈴木忠志「演技と思想」で述
べている核心であるが、白石征は鈴木忠志や太田省吾と同年の1939年
に生まれている。45年の敗戦時は6歳にあたる。親は明治時代に生まれ
たのであろう。60年安保のときは21歳。60年代後半の文化に表出し
た世代。この世代によって近代は見直され、70年安保で敗北をよぎなく
された全共闘世代の自己否定が続き、切断の申し子たちがやってくる。

 文学界においては昭和9年・10年・(34年・35年)生まれの人々
が多い。いわゆる50年代の血のメーデー事件を青春像にもつ人々。
大江健三郎、小田実・石原慎太郎は1950年代の青春世代である。愛妻
の後をおって自殺した江藤淳もこの世代である。日本の敗戦後の青春構造
とその継承は77年に最終的に切断されたのだろう。いわゆる共同体の死
刑宣告である。近世から近代への転換としてあった徳川幕藩体制の崩壊時
のように、70年代後半も血の日本史を反復する「暗殺」の時期であった。
白石征演劇における「新雪之丞変化−暗殺のオペラ」の本を読んだとき、
江戸から長崎に追いつめた仇が実は父であった決幕には衝撃をもった。7
0年代近親憎悪としての暗殺は、実はおのれの理に存在する共同体の父を
殺す行為であったかもしれない。

 白石征は「新雪之丞変化−暗殺のオペラ」「落下の舞−暗殺のロンド」
において70年代を総括したのであろう。第5の層において。

 80年代とは、民衆とエスタブリッシュたちとの構造亀裂は後戻り出来
ないほど深まった。この「ゆらぎ」の構造は、形を変えた歴史の反復とし
ての数の整合は、みごとに重ねあっているのである。数の神学または数の
祈祷これこそが天皇神学のまえに存在していた鬼道神学である。卑弥呼な
き後、邪馬台国が九州から近畿に東征し「倭」部族の王権を形成する。そ
の場合い、縄文時代の神たちを吸収するのだが、中心なき中心に原始道教
たる鬼道が万生一系であった。ゆえに国家デザイナーとしての藤原鎌足・
不比等の遺伝子は戦争翼賛体制時に近衛文麿として反復し、90年代の翼
賛体制の突破口として近衛文麿の血をもった細川護ヒロが反復する。大化の
改新から明治維新の上部構造の反復。政治は基層において反復する。これ
が文明の衝突である。われわれは不断に非連続の連続として、父から父の
時間へと見えない穴にすい込まれていく。

 敗戦後、総括され続けてきたのが50年代・60年代であった。しかし
70年代は基本的に総括されてこなかった。80年代も総括されなかった
し、90年代の総括も判断停止・思考停止のままであろう。それは70年
代の基層に再度、中心なき中心としての古代道教が深部に反復したからで
ある。古代・原始道教とは邪馬台国・卑弥呼の時代の鬼道である。これが
日本的霊性であり70年代からの邪馬台国ブームそれは魅了され実は卑弥
呼の磁場に、現在のわれわれが限りなく引きつけられているからであろう。
「わたしは何処から来たのか?」と問えば鬼道からであると答えがかえる
道教こそが日本の基層である。

  吉本隆明における三島由紀夫批判は痛烈である。おのれの内部に荒
野をかかえていた三島由紀夫はしかしながら「豊饒の海」で仏教的世界輪
廻を物語にしている。わたしは三島はインドにおいて破綻したとみている。
日本の中心なき中心を三島は感じとっていた。「日ざかり日を浴びて本多
はなにもないところに来てしまった」豊饒の海、最終行、月修寺である。
抒情にみちた盛夏、寺院の光景その黒い影が暗殺の70年代を規定する。
こうして昭和はすでに1970年において最終を閉じた。

 天皇制に絶対的な価値を内在したとき、個人は破綻する、それを三島は
自覚しながら自決したのであろう。日本の第2次世界大戦での敗北はそれ
を証明した。江藤淳の妻追い自殺もしかりである。江藤淳の孤独は哀れで
ある。生きざまにおいて平凡な価値観を何故、提示できないのであろうか
あれほどの保守本流にいて文学界の大御所だった人の妻追い自殺は、70
年代初期、警視庁長官だった人の東京知事候補者への応援後、自殺した川
端康成を思い出させた。若者に担がれた川端康成の写真は選挙宣伝新聞広
告として一面を飾り、「この美しい東京を」との彼の文章があった。政治
とは文学者を流転させ破綻に追い込む魔物であることを、三島由紀夫も、
川端康成も、江藤淳を思想的に自覚できなかったのだろう。観客のリアリ
ズムによって舞台は位相へと相対化される演劇人はその点において救われ
ている。政治における自己拡張と上昇こそが実は、おのれの一寸先に落し
穴を準備しているのだろう。

 死はその後の時代を規定する。70年代は三島由紀夫であり、80年代
は寺山修司である。そして90年代は皆無だった。ゆえに失われた10年
間だったのだ。『ひとつの時代が、文化が、終焉を迎えるとき保全できる
現実などないのだ/江藤淳』近未来における日本上部構造の全的滅亡を予
知し絶望の総量を背負いながら死んだ江藤淳は、2000年0年代という
10年間を規定するに違いない。日本警察の組織モラル崩壊と小淵政権の
崩壊は江藤淳の絶望と孤独が引きずり込んだのであろう。第一の敗戦は軍
事的敗北として1945年、第二の敗戦は経済的敗北として1985年、
そして精神的敗北が2005年である。

 日本の司令都市ワシントンから1990年にシステム・プログラムされ
た630兆円の公共事業投資と630兆円に迫る国債赤字発行・財政金融
破綻、これら円紙幣のハイパーデフレーション印刷機経済、80年代も9
0年代も円は天から降臨し、ばらまかれてきた。つまり日本とは2050
年までアングロサクソンの実践哲学に敗北する過程を歩み、植民地型の基
地国家として甘んじるだろう。江藤淳はこの構造に絶望していたのである。
彼は日本独自の1985年体制として戦略的準備をしていた大平前首相が
誰に殺されたかを知っていた。大平前首相の戦略的準備を盗用し、より司
令都市の戦略に純化させたのが、中曽根と宮沢である。これが80年代の
構造であり、90年代末期の小淵前首相はこのデッドロックの前に身体を
崩壊させられた。これまでの総理大臣のごとく中途で政権を投げ出せばよ
かった。日本の総理大臣に対するワシントンの要求突きつけは、言語を絶
しているといわれている。ワシントンロビーである小沢の会見後に倒れた
のは、何かがあった。

 われわれは今、足もとから崩れる全的滅亡の時間に限りなく吸い寄せら
れている。その死者から出力装置されている時間を白石征はガイストにお
いて意識しながら、演劇を立ち上げようとしている。

 日本の上部構造において中心となる価値観またはイデオロギーは、あら
かじめ古代の日本誕生以来自己喪失している。価値観とイデオロギーたる
思想は中世の修行僧や民衆がそうしたように、平凡な自己の背骨において
しかありえない。

 遊行舎は遊行フォーラムとともに4年にわたって遊行寺の境内・回廊・
本堂を場所とする協働作業として芸能を立ち上げ、修行僧の人々にお世話
になりながら学んできた。修行僧の朝5寺からの勤行とは「永遠なる今」
である。一遍遊行の旅から毎日念仏は途絶えることなく、現在にまで継承
されている経としての釈迦をめぐる思想と物語が共同音声によって福音は
響く。境内を守る人は毎日朝5寺と夕方5寺に鐘をつく。なんという平凡
な時間の集積であろう。だがこの平凡行為こそ、すざましいのだ。白石征
演劇はこうした人々との協働行為において原点を確定してきたのである。
演劇の稽古における反復が寺院の反復に出会うとき、伝統と歴史を発見す
るのである。ここが白石征と鈴木忠志・太田省吾との決定的差異であろう。

 鈴木忠志や太田省吾、佐藤信にとって演劇とは芸術である。しかし彼ら
の現在の演劇行為が、現在の人間と社会に提起する力を内在に秘めている
のであろうか? 演劇の護送船団。芸術家としての演劇人は政治家へとみ
ごとに転向したのであろうか? これでは誰が市民社会に埋没しているの
かわからない。新劇を批判し市民社会の非日常を生きる者こそ、60年代
後半に出発した演劇人の原点ではなかったのだろうか? これだから新劇
批判などは信用できないのである。

 他者としての批評者が皆無になったとき演劇は消費社会の記号となり流
転する。確かに演劇は市場の上に成立する。1円でも貨幣が介在する限り、
観客から入場料をもらう限りそれは演劇市場における商業演劇であろう。
つまらない舞台であれば観客は離れる。これが演劇市場におけるリアリズ
ムだ。リアリズムは観客の側にある。ゆえに他者としての冷厳な批評者を
演劇人は求める。「遊行かぶき」にとってそれは、遊行寺で働く修行僧や
境内を守る人々である。寺院共同体の人間こそ俗世界といわれる市民社会
の流転のさまを冷徹なまなざしで対置させてきた。日々、寺院の静寂な平
凡な時間と空間を守り、いかなることがあっても明日へ継承させる営みの
連なりこそ、驚嘆すべき意志の強さなのである。今、日本は何処にあるの
か? と問えば、寺院にしかもはや存在していないだろう。

 演劇が中世からの集中した精神と実践から学ぶとしたら、それは寺院で
ある。流転と反復の連鎖、デジタル社会が中世から古代を呼びだしし、再
起動させるのだが、言葉が空間に充満している電子波動の時代とは、ゼロ
の記号へと演劇は不断に初期化されていく。記憶装置に残ることなく。だ
からこそ、白石征演劇「遊行かぶき」は、デジタル電子社会が呼びだした
中世へと起源を求めて遊行寺を、演劇が立ち上がる場所としたのだろう。
寺院が死者と生者の魂の応答する民衆の精神と記憶の集積庫であるとする
ならば観客と演劇が再生するコミュニケーション・双方向の「かぶき」と
して、最終演劇の誘惑から、始源演劇へと方向感覚を提示しているのであ
る。


http://www.awcjapan.net/find.cgi?md=read&sn=mc5054





  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > Ψ空耳の丘Ψ51掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。