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(回答先: 白石征演劇とは何か (1) 【AWC】 投稿者 愚民党 日時 2007 年 10 月 28 日 01:29:42)
白石征演劇とは何か(2)/愚民党
★内容
遊行舎・白石征演劇の構造にアクセスする実践的ドキュメント
98年の「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」野外劇。J.A.シーザーさん
から、打ち上げの時、「家は流され人は死んだ、この台風の襲撃から守られ、
公演がうてた奇蹟を、よく噛みしめた方がいい」と、教えを受けた。8月の
最後、台風によって、私の故郷から近い那須町は那珂川が氾濫し、大被害に
あった。不寝番体制で仮設芝居小屋を防衛した、遊行舎は、そこで遊行寺の
大きさ深さ場所そのものを発見するのである。わたしは後日、新聞でフラン
スでの演劇祭・世界的有名な舞踏ダンサーの野外公演が風雨によって中断さ
れた記事を読む。
そこでは時宗総務所・境内を守る庭師の親方から仕込にストップがかかっ
たり、自然からは巨大台風の接近と、不断に演劇総体が遊行の試練にさらさ
れていた。幕をあけれるかどうか、をめぐって仕込から最終日まで危機にあ
ったのである。しかし船は沈没しなかった。劇は雨によっても中断しなかっ
た。もっとも雨を嫌う生演奏の三味線をかかえた説教節・政太夫さんの格闘
はすざましかった。さらに音響曽我さんの高価な出力装置に水が浸透してし
まった。そして照明家小粥さんの格闘。
舞台監督の藤原さんは、精神的肉体的諸力を出しきって、成功させたので
ある。演劇が開示できるかどうかは、裏方・スタッフの意志によって、決定
される。奇蹟の運を呼んだのは、白石征の強靭な精神力であろう。演劇が立
ち上がった場所は遊行舎の存在の意味を問うたのである。寺院はそれぞれの
社会性を問う。遊行寺を甘くみてはならない。時宗・遊行寺は、徳川300
年間に通低している場所だった。
近代以降勢力は縮小されたとしも、その伝統は、奈良・京都・鎌倉の場所
に接近する。歴史の上部構造も下部構造も知りつくしている流れがある。物
語を成立させた民衆説教節の本物の場所で演劇を立ち上げるとは、主体が問
われるのである。それが古典との格闘であろう。藤原貴族の瓦解から平家と
源氏の戦争そして鎌倉幕府内での部族内戦、戦力としての武士支配の登場は
修羅と地獄の人間模様であり、虚脱と虚無。民衆にとって政治に救済はなく
その内省の心に、法然、親鸞、一遍、日連といった、思想の実践者の音声が
浸透していく。鎌倉仏教とは民衆が思想とおのれの物語を持った。
鎌倉時代その中世とは、政治によって人は救えないとする自己精神への思
索と共同性、自分もまた民衆のひとりであるとする親鸞の民衆の発見その念
仏は、国家形成から分離した民衆形成としてあった。王国からの出家それは
あらかじめ政治に問題解決能力が自己喪失しているとするブッタの原点でも
ある。近代とは個人・市民がアトミズムに分解・変質する形態として登場し
その共同性とは、権利と権力と政治をめぐる闘争でもある。20世紀は戦争
と革命の時代であると言われている。競争と闘争の世紀。生者としての人間
の解放とは何であったのか?
鎌倉時代から毎日継承されてまた明日も続く、朝5時の勤行、夜8時の就
寝太鼓、そのおそるべき毎日の反復力こそが伝統であり、芝居の反復稽古ど
ころではない。遊行舎は野外劇場を防衛する不寝番体制によって修行僧の道
場としての遊行寺の深みを発見してきた。わたしは舞台監督の藤原さんに指
示され遊行寺総務所に折衝に行くたび、胸が痛かった。お寺からみれば、わ
れわれは神聖な場所の侵犯者である。
96年6月わたしはイタリア・ミラノ市での、とりふね舞踏舎公演に参加
したとき、巨大な教会としてのドーモの内部と外部を見学し、ドーモ広場を
起点にしてミラノ市街を何万もの民衆が聖歌を歌いながら行進するカトリッ
クの祭に参加してきた。ミラノ市にはローマ帝国時代の遺跡が街と同居して
いくら遺跡の門によって車が渋滞しようと、市民は遺跡を受け入れながら生
活している。都市は教会といった寺院を中心にした街として生成している。
ミラノから帰還し、すぐさま遊行フォーラムの立ち上がりとともに、わたし
は、「小栗判官と照手姫−愛の奇蹟」初演の準備に入った。仕込で遊行寺本
堂を観たときその内陣と外陣が、ミラノ・ドーモ教会と類似していたことに
驚嘆した。大陸性があったのである。
ミラノで文化交流の仕事をしているコーディネーター荒川いずみさんとわ
たしがレストランで昼食をとりながら話したことは、「日本のバブルとは何
であったのか?」ということであった。何も残さなかったのではないか?
それが結論だった。そのときわたしはイタリア現代史を成田からミラノまで
の飛行機で読んでいたのだが。帰還してからもイタリア映画のビデオを借り
てきて観たのだが。いずみさんから聞いたのだがイタリアの若者は一時期ア
メリカかぶれになるのだがイタリアの歴史文化に戻るそうである。
人間と社会は流転する。流転する政治と経済に人間の救済はない、修行僧
はこれらを寺院の道場から見つめてきたに違いない。ゆえに街の精神の中心
軸に遊行寺は存立してきたのだろう。近代の破綻とはつまり市民文化それ自
身が問われている末期にある。95年阪神・淡路大震災とオウム事件は、日
本の近代史・現代史のありかたに深刻な反省を「精神史の敗北」として突き
つけた。なにひとつ総括してこなかったと。イタリアと現在の日本を比較す
れば民衆文化と精神の基層が、日本は崩れ落ちている。96年から展開され
た遊行フォーラムの試みは、寺院と民衆文化の歴史を再発見する。
固有の場所との格闘、それが演劇のリアリズムを生成させる。リアリズム
とは、空間のことである。歴史と人間の格闘構造・場所を演劇の動的中心が
連動するとき、場所は人間の情念と幻想を昇華させる。場所には人間と建築
の情念と幻想が渦巻き、それがテキスト存在と人間の動的中心を生成させる。
固有の場所とは、人間と生物・植物・建築の情念と幻想が幾層にも形成され
ているのである。場所を確保せねば生き残れない演劇は、揺らぎつつも場所
との対話を形成し、場所の身体的言語の昇華に向かう。これが民衆「遊行」
かぶきであり白石征演劇の構造であろう。
固有の男と女にはけして一般には回収されない物語がある。人間にとって
最大のテキスト存在とは誰でもない自分自身である。私は幼少のころから心
という空間が不思議でしかたがなかった。それは対話すれば対話するほど深
いのである。いつからか私は自分のこころと遊ぶようになってしまった。こ
の私のこころの空間と他者のこころの空間はどう違うのだろうか? 私は今
でもわからない。こころとこころの出合いと自己が問われるこころの関係は
緊張する。この緊張から現代演劇が逃亡したとき、その向こうにまっている
のは「飼い慣らされた死」である。
歌人斎藤慎爾氏は白石征を一言において定性している。「言葉と幽霊とを
同じように心から信じた作家」と。それは三島由紀夫が鏡花を評した言葉だ
そうだが、「十三(とさ)の砂山」にしても、ワラの死体を父親・蟹吉が抱
きかかえる、「瓜の涙」にしても謹三から父親瓜吉の恋の成就となる。つま
り近代における現在から未来のの解放を希求する時間の構造は逆転し、過去
の現在の時間が解放されて演劇の幕は閉じる。そこに「現世を生きる人間の
魂は、生と死の境をこえて往来している」という、往生の時間帯と場所性に
作家としての白石征の根源がある。
白石征にとって演劇とは「おまえはただの現在にすぎない」ではないのだ。
舞台の生者としての俳優の身体と内蔵からの音声を媒介に、死者の魂が呼応
するのである。つまりそこでは、俳優の類系−先祖、死者としての演劇の人
物、観客の類系−死者となった家族、これらの霊的三者構造の応答関係が白
石征演劇構造には進出しているのである。それを「信」の不退転と呼ぼう。
法然と親鸞の他力本願の往生と一遍における遊行、これら主体行動思想が「
遊行かぶき」を立ち上げる白石征演劇の動的中心軸であり、近代と現代の合
理にまみれたわれわれは、なかなか白石征を理解できない。
何故、寺院に劇場を立ち上げるのか? その自問はやがて、足利幕府・室
町時代に定性された演劇、中世芸能者への交信に向かい、白石征演劇「遊行
かぶき」は、「中世悪党伝」1部・2部の公演で、場所としての鎌倉を問い、
後醍醐天皇・足利尊氏・楠木政成の時代を演劇化してきた。遊行舎は遊行寺
を原点に鎌倉へと時間軸を伸ばしたのである。白石征の徹底した場所へのこ
だわりは土着の想像力であろう。
わたしは栃木県矢板市の山奥で育ったのだが、小学校1年か2年の夏、漫
画映画を観音寺という奈良時代につくられた寺の本堂で観た記憶がある。そ
れは不思議な空間だった。寺は村の唯一の文化空間だった。25歳まで矢板
にいたわたしは、高校を卒業してから仲間たちと自主映画上映運動をやりは
じめた。夏は原爆記録映画を上映した。塩原小学校の事務として働いていた
室井さんという女性の提案で、温泉観光の塩原町の寺院でやることになった。
多くの子どもたちや親がみにきてくれた。栃木県の自主上映運動の結実が田
中正造を描いた映画「らんるの旗」であった。70年代にはまだ、土着の想
像力があったのである。
昭和が終焉した89年とは同時に戦後世界が場所的に変貌をとげた。人は
あたらしい中世がはじまったと予感した。それから10年がたった。90年
代を総括することは20世紀を総括することでもある。現代史は1914年
バルカン地域を導火線として第一次世界大戦からはじまった。99年はそこ
からさらに中世へと反復する。熊野湯の峰で本復した小栗が「この世は乱世
なのだ。あるのは、遠くひろがる罰の荒野、地獄の風が吹いているばかりな
のだ。わたしは、もう行かなければならない。そう、まさしくあの日は、地
獄の狂宴、血の儀式だったのだ」と小萩をふりきって叫ぶとき、この現世が
いかなる時にあるのか、わたしたちは自覚するのである。
それまで黒子だった者が小栗を暗殺する配役へと変貌するとき、この地獄
の狂宴、血の儀式こそが現代世界の政治構造であろう。その黒子とは舞台を
つぎなる配置へと転換する者である。白石征演劇「遊行かぶき」とは現代世
界の政治構造を回収しながら、民衆の救済を希求する。遊行寺に場所を求め
中世に軸を置換したとき、すでに白石征は21世紀・資本主義様式の自壊を
予測し、現代演劇が漂流することを、厳しいリアリズムの眼をもってみてい
る。時間は理解不能となり、空間は白と黒の革命として再編される。地獄の
狂宴、血の儀式としての中世的時間が突然現出したのが70年三島由紀夫事
件であり、72年連合赤軍事件である。世界史的には79年イラン・イスラ
ム革命であろう。89年世界史の転換とは近代様式の破綻であり、時間は理
解不能の中世的時間へと反復したのである。たしかに歴史は終わった。
人間をめぐる現代世界の動的中心が中世的時間へ大きく転換し変貌したと
ゆうあたりまえの現実をいまだ身体的言語は認めていない。人間世界の転換
と変貌を己の身体言語が認めるということは、己のこれまでの観念が一度崩
壊をとげねばならない。人間はこうした受苦的存在の経験の格闘をくぐりね
けることによって、人間世界の転換と変貌を身体言語として認めるのである。
身体言語こそが動物としての演劇である。新しい身体知覚・新しい物語知覚
・新しい交換知覚と本格的に対決し、遊行寺の境内に中世芸能者が復活した
かのごとく現出したのが、白石征演劇「遊行かぶき」であった。
こうした場所にこだわる土着の想像力こそが大陸的前衛演劇であるとする
ならば、リアリティを剥奪され文明没落を深め、情報言語で充満する現在的
空間に変質させられた身体的言語・俳優を解体し、他者の力によって再生す
る白石征演劇は、世界同時性を内包した前衛演劇の一里塚でもある。ありあ
まる情報言語とは、映像と表層・最後の人間としてこの現代に表出する身体
である。その身体とは:いま::ここ:に配給される視覚と聴覚の世界市場
に、規定されている。ゆえに事件にみちたアメリカ的外部空間は解体され、
一貫とした視点によって内部からつくりなおされていく、白石征演出は世界
市場に拮抗する「日本とは何か?」の根幹にせまる。吉本隆明が「南島論」
で提示しているごとく、われわれが歴史的、現在的にとらえられる対象とは
最も身近な空間と場所からであるが、対象から自己を問われる実践的空間で
あるがゆえに困難なのである。
http://www.awcjapan.net/find.cgi?md=read&sn=mc5053
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