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http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/fudesaka.htm#m21
1、宮本議長に引退を強要した真相 (P.114〜117)
この宮本氏が中央委員会議長を退いたのは、一九九七年九月の第二一回党大会であった。一九五八年から一九九七年まで四〇年間、書記長、幹部会委員長、中央委員会議長を務め、常に党の最高貴任者であり続けた氏も、すでに八八歳になっていた。このかなり前から、宮本氏は引退すべきだという声が党の内外からあがっていた。第一九回大会も、第二〇回大会もマスメディアは宮本氏の去就に注目していた。
それは党内も同様であった。その都度、期待を裏切られて、「まだやるのか」と溜息をついたものである。だからこそ一九九四年の第二〇回大会では、新しい中央役員を選出する際の提案で、浜野忠夫常任幹部会委員(現副委員長)は次のように述べた。「中央委員会の推薦名簿の作成にあたっては……知恵と経験に富んだ試練ずみの幹部と有能・誠実な新しい幹部の適切な結合をはかるという、従来から一貫した党の幹部政策の基本を今回もなによりも重視しました」「その立場から余人をもって代えがたい同志は別として、六十五歳以上の同志は原則として勇退することを確認し、若い将来性のある幹部を大胆にばってき・登用することとしました」
「余人をもって代えがたい同志」とは、もちろん宮本氏のことである。当時党内では、この言葉が皮肉を込めて流行したものである。「余人をもって代えがたい」というのは、他の人では駄目だということであり、特定の人物を特別扱いすることを意味する。党内で反発の声が渦巻いたのは当然であった。そもそもこんなことをあえていわなければならないところに、この人事に無理があったことは明らかである。
その宮本氏も第二一回大会を機に、ついに勇退した。党内では、宮本氏が自分の意で勇退したかのように受け取られており、「さすが宮本さんは立派だ」という党員もいたが、実際はそうではなかった。
宮本氏は、第二一回大会には体調を崩して出席できないという状態だったにもかかわらず、まだ引退するつもりなどなかった。不破氏が数日間の大会期間中、その日の日程が終わると東京都多摩市の宮本邸まで行って、「引退してほしい」と説得し続けたのである。私の記憶に間違いがなければ、たしか長い間宮本氏の秘書をしていた小林栄三常任幹部会委員(当時)も同行したように聞いている。
不破氏から直接聞いた話だが、この説得に対し、宮本氏は「君、僕は何か間違いを犯したのか」と聞いたそうである。不破氏らは「そうではない」として、年齢などをあげ説得したそうである。そして、ついに宮本氏が渋々この説得に応じたというのが引退の真相だ。その後、常任幹部会で、不破氏が「宮本さんには知的後退が見られる」と語っていたことが印象に残っている。
世界の多くの共産党を眺めてみると、党の指導者が辞める時は、死亡するか、もしくは失脚する例が多かった。高齢になったため第一線から引退するという例は少ない。それゆえ、宮本氏も思わず「失脚」という言葉が頭に浮かんだのであろう。
宮本氏引退に関連し、この大会では異例なことがおこっている。通常、綱領改定案や規約改定案は、「党内民主主義を大事にする」という建前から、党大会のかなり前に全党員に周知され議論がおこなわれることになっている。ところが、この大会では、大会の真っ最中にいきなり規約改定案が提出されたのである。
改定案の中身は簡単なものだった。規約第三十一条で「中央委員会は、中央委員会議長一名(中略)を選出する」となっていたのを、「選出できる」に変えるだけだった。つまり中央委員会議長を「置かなければならない」から、「置くことができる」に変えたわけである。結局、この大会で宮本氏は中央委員には選出されず、引退することになった。そして第一回中央委員会総会では、議長は選出せず空席となった。あの戦時中の過酷な弾圧下で、一二年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった。私が日本共産党に入党して以降も、「仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘でがんばることができるか」と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである。戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった。
私は宮本氏の引退の真相を聞いたとき、「ああ、あの宮本さんでさえそうか」と正直ほっとしたものである。組織というものは、得てして指導者を天まで持ち上げ、欠点など何もないがごとく完全無比の人間像をつくりあげてしまう。だがあの宮本氏ですら、結局は自分の地位にこだわり、中央委員会議長の座に執着したのである。そのことをとやかくいうつもりは毛頭ない。そんな資格が私にあるとも思わない。
ただあまりにも「人間的」だと思っただけである。
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