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(回答先: 無知がもたらした不毛な核武装論議(天木)<天木・筆坂熱血インターネット対談> 投稿者 天木ファン 日時 2006 年 11 月 30 日 11:04:02)
2006/11/28(Tue)
組織に牛耳られる政治(天木)
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憲法は誰が論じてもよい(筆坂)
組織に牛耳られる政治 天木直人
たまたま手にした11月26日の読売新聞に「憲法9条が未来をひらく」という全面広告が出ていた。掲載主は日本国家公務員労働組合連合会となっていた。これもたまたま目にした数日前のニュースであるが、自民党が日教組を批判しているという。教育基本法反対のために教職員を動員する際、ストやデモを行う教師のかわりに他の教師を授業にシフトしたり、ストやデモを行う教師の旅費や日当などを組合費から出しているのは問題であるといっているのだ。
私は9条改憲にも教育基本法にも反対する者である。だから国公労連や日教組のこれら政治活動を歓迎する。政府、自民党は自らの政策実現や選挙活動に国家予算という名の税金を湯水のように使っているのであるから(おまけにヤラセのような不当な情報操作までやっているのだから)、彼らが日教組の政治活動に文句を言う資格はまったくない。
私がここで言いたいことは、政府といい与野党の政党といい、更には宗教団体、労働組合、業界団体など、いずれも膨大な予算を持った組織が政治活動の主体となっているという現実である。いくら高邁な志を持っていたとしても、いくら正しいことを実現しようとしても、それを効果的な政治活動につなげる事は個人ではどうしようもないのだ。自民党が復党問題で大騒ぎをしているのも、政策的に破綻している民主党議員が分裂しようとしないのも、護憲政党が平和を願う国民の声に背を向けて組織の生き残りを優先させているのも、組織力という名の予算と権力に蜜を舐めてしまったからだ。税金や組織の予算をつかって広告代理会社に情報操作を委ねたり、全面広告を打つことと、身銭を切ったカンパを集めてささやかなチラシをつくったり、自費で沖縄知事選挙の応援に行ったりする個人の政治活動と、どちらが本物か、どちらが尊いか。答えは自明であろう。
外務省を解雇された後の私は、求められるままに全国を講演してまわる機会に恵まれた。そこで多くの善良な市民にめぐり合うことができた。その人たちから決まって聞かれる事の一つに、「私は今の政治に怒っている、政治をなんとか変えたいのですがどうしたらいいのでしょう」というのがある。そして「私でも参加できる政治行動を天木さんが組織してくれませんか」と続く。出来るものならそうしたい。しかし私もこの質問者と同じ立場の一個人だ。家族を養い、家族と生活を共にするために、自らの持てる時間を使うことで精一杯の人間だ。
ここまで日本を悪くした自公政権に心底怒っている国民は多いに違いない。それにも関わらずその国民の切なる願いに応える事の出来ない無力な野党に絶望感を覚えている国民は多いことを知っている。世論調査で常に大多数を占める「無党派層」の多くは今の政治や政治家に愛想を尽かしていると思う。
正しく、善良な、しかし砂のようにバラバラな国民の群れ。それらを束ねて大きな政治勢力にする事が出来れば間違いなく正しい政治が実現できる。今の選挙制度の下でどのようにしたらそのような「今までの政治には出来なかった政治」、「もう一つの政治」をつくることが出来るのか。私はそればかりを考えている。
憲法は誰が論じても良い
筆坂秀世
昨日の「日刊ゲンダイ」の「NEWSを読み説く 今週のキーワード」欄で、憲法九条が取り上げられ、憲法に関する三冊の本が紹介されている。一冊は、経済同友会終身幹事の品川正治氏の『9条がつくる脱アメリカ国家』(青灯社)だ。氏は財界人でありながら9条の値打ちを一貫して説き、日本経団連の武器輸出緩和路線にも厳しい批判をしてこられた。私もかつて拙論に、氏の論を引用させていただいたことがある。もう一冊は、長谷部恭男東大法学部教授の『憲法と平和を問いなおす』(筑摩書房)だ。長谷部教授は日本の憲法学界の権威であり、憲法に関する著作は多い。私が読んだものに『憲法とは何か』(岩波新書)がある。立憲主義を軸に据え、憲法をさまざまな角度から論じたものだが、非常に啓発された。護憲派には、ステレオタイプの議論が多く、それゆえに力を持たない場合が多い。その正反対なのが同書だ。
そしてもう一冊が、ありがたいことに天木氏と私の『9条新党宣言』だ。色々な人が、色々な角度から憲法を論じる、大変嬉しいことだ。
ところがこのことが気に入らない政党があるようだ。天木氏に聞いたところ名古屋での講演会に出席した際、参加者の一人から、「セクハラをどう思うか」「天木氏はなぜセクハラをした筆坂と対談本を出したのか。筆坂にはその資格はない」という意見が飛び出したそうだ。当然、共産党員であることは容易に推察される。要するに、共産党の気に入らない人は、憲法を論じてはいけないということだ。すべての共産党員がそう考えているとは思わないが、こういう党員が少なからずいる事は事実だ。私は、党員時代からこういうタイプの人間は好きになれなかった。まずみずからの思考力がないこと。自分はいつでも正しいと考えていること。そういう人間に限って、実にいやらしく、嫉妬深いこと、人の心というものをまったく理解しようともしない、こういう人格を見て取れたからだ。それにしても日本が共産党の一党独裁でなくって本当に良かった。もしそうであれば、私などどうなっているかわかったものではない。
どちらにしても憲法よりも、筆坂叩きの方が重要ということだろう。
まあ、こんなことには関係なく、私は私の考えで憲法も、その他の事も論じていく。それだけだ。
http://www.tembosha.com/kd_diary/kd_diary.cgi?20061128
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