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本日の新聞に「簡易郵便局が約一割強の500局程度、閉鎖を検討している」と云う記事が載っていた。
理由は「民営化の波と簡易局経営者の高齢化により複雑化する業務に付いていけない」というものが主因のようで、地方の簡易郵便局を中心に過疎地では「もう、やっていられない」というのが実情のようである。
詳しい話は
中国新聞
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20061230/mng_____sya_____000.shtml
を読んでもらうとして
まだ、流動的であり決定ではないとして、結果的に「全国の郵便ネットワーク(某総理大臣は『国の宝』と言っていた)」が崩れ去った時には「いったい、誰が責任を取るのだろう?」
大昔の武将であれば、切腹して詫びるのかもしれないが「某総理も、某郵政民営化担当大臣も、何食わぬ顔で、何も責任など取らない」のだろうと思う。
少なくとも、「郵政民営化に賛成しながら、全国ネットワークは維持できる」と言ったのだから、私財を投げ打ち、自分自身が「閉鎖される簡易郵便局の受託者をやってでも、維持させる努力はすべき」だろうと思うが、そんな事は全く想像すらしないのだろうと思う。
「自分自身の言葉」に何の責任を持とうとしないのが「恥」なのである。
日本を「恥ずかしい国にするな(=誇りを持てる国にしよう)」という意見があるが、「恥を恥と感じない」のが一番の恥である。
人間は「ミスを犯す、未成熟な生き物」である「無知とか間違い・ミスは恥ではない」だろうとKは思う。「技術が稚拙とか未熟も恥ではない」だろう。
本当の恥というのは「無知・間違い・稚拙・未熟と云う部分を、恥のように論う事」と「自分の事をかえりみようとしない事と、反省し詫びない事」なのだろうと思う。
更に言えば「工夫を放棄して、自己保身からの現状維持しか考えないという『生き方』もかなり恥である。」
まあ、本当の意味での「恥」という物を考えようともしない輩が圧倒的多数となっている日本は「存在するだけで恥を撒き散らしている」のだろうと思う。