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(回答先: 言葉というものは、ないものも存在するように思わせる力があるのかもしれません。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 12 月 26 日 20:07:52)
ワヤクチャさん、こんにちは。
レスを頂き、ありがとうございます。
私の説明不足から善悪論になってしまったようです。
ここ阿修羅では、今まで善悪について、二元論について多くの投稿を読ませていただきました。
価値観という言葉には、どうしても善悪論が付随するようです。
私は過去の投稿で普遍的なものを探求していると述べました。
“正しいという言葉、これは五体満足に通じているのでしょうか?”
と述べたように、私は正しいという言葉にあるがままの姿、又はあるべき姿、というものを投影しました。
多くの価値観の中では、同一性障害というものが市民権を得る世の中であり、
躁鬱病などに始まる精神障害を誰もが被る世の中であります。
私は、あるべき姿を現す事が“正しい”という言葉であると思いました。
人間社会では、“正しい”事がいつも善ではないのですが、、、。
大工さんは、垂直、水平を大事にします。
少しでも傾けば、それは正しくない事になります。
実際、床の傾いた部屋、柱の傾いだ部屋におりますと気持ち悪くなります。
重力の存在するこの地球上に住んでいる限り、垂直水平は人間の心の安定をも左右するようです。
善と悪とは、多分にキリスト教的な価値観の匂いがします。
日本語には、この他に、正邪、良否、正負、、。
これらの言葉が果たして価値観の元に成り立っているのかどうか、、
価値観に惑わされずに、何があるべき姿であるのか見きわめる言葉として、
正しいという言葉があるのではないか?という問いかけを私はしてみたのです。
人類はまだ宇宙空間に存在してはいないので、もしかしたら地球的な価値観と云えるのかもしれませんが、、。
失礼いたしました。