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恵まれた労働者である考察者Kの存在と、総労働vs総資本の問題は一致しないでしょうね
この間、竹中半兵衛さん、パルタさんVS考察者K『ト』君の対論が、どういう落ちになるのか、興味深く観戦していたのですが・・・
結局、総資本vs総労働の問題と、喜劇人K『ト』君のように恵まれたポチ労働の存在という個の違いを明確にせずに、落語の「こんにゃく問答」をやっていたのではないでしょうかね。
総論と個別論は切り離せませんが、まったく同一の論理では割り切れません。家で言えば、柱の建て方と釘の打ち方は違うのであります。
仏蘭西のポアン・カレは、「科学とは煉瓦を積んで家を建てるようなものである。煉瓦の堆積は瓦礫の山に過ぎない。」という名言を発しました。
一個一個の現象把握が正確であっても、法則を発見して組み立てなければ、家にはならないということでありましょう。
ニポンの教育でも小学生は作文でよいが、中学生のレポートは<起承転結>が求められますね。作文とレポートの違いが明確に説明されてます。
喜劇人K『ト』君の考察は、ポアン・カレの<煉瓦>にあたる部分が、<コンニャク・トウフ>なのであります。
<コンニャク・トウフ>をいくら積み上げても、途中で崩れさって土台や壁にはなりませんな。世に<コンニャク>で作った建造物など存在しません。
でもって、竹中半兵衛さん、パルタさんご両氏は、喜劇人K『ト』君の建材が煉瓦ではなくトウフであると言いたかったのでしょうかね?それとも、そんな設計図では歪んだ家になると言いたかったのでしょうかね?
煉瓦をコンニャクで作っている『ト』に、家の建築について論じてもしょうがないと思いますね。
文化祭にダンボールで家を作ろうとしている中学生の方が、よっぽどマシでしょう。