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(回答先: いじめ問題さついておらも真剣に考察する、エッセイ風に。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2006 年 11 月 26 日 08:29:30)
>竹中半兵衛さん ご意見どうもです。
いじめ問題を解決するには「いじめは犯罪」であり、それを「知った時には報告しない事が罪」と云うくらいの意識の変換が必要だろうと思っています。
例えば「クラスでいじめがあった」とします。
「子供の世界では子供の世界での出来事を大人に知らせるのは一種の裏切り行為」という意識があり、チクリをすると「悪」と考えられています。
かといって「止めに入ったりすれば」今度は自分も少数派に所属すると云うことになり、いじめの対象になる可能性もあるので、結局は「放置もしくはイジメル側に参加して多数派に所属する」という事になるわけです。
これが、明らかな犯罪行為であれば「少し認識は変わるでしょう」
例えば「泥棒をしたクラスメイトを発見した場合なら報告率は高くなるでしょうし、仮に殺人であれば、報告されない方が少ない」だろうと思います。
「報告しない事の良心の呵責」という部分ですし「犯罪者は少数派に位置する」という部分もあるでしょうが「子供の世界の出来事であっても、限度を超えれば理屈が変わる」のでしょう。
チクリがあった場合「面倒」と考えずに「感謝する」というシステムの構築という部分も重要です。
いじめ問題では「隠蔽する事が悪」で「報告する事が正義」という共通認識を形成する事を考えて行きませんと「なくなりません」
しかし、今のシステムでは「報告」と云うものがあると「多大な手間と労力が必要」であり、関係者になると「迷惑であり、面倒な事」になります。
ここは「いじめが判明した場合、当事者や関係者ではなく、専門家が調査し処理する」ようにして、当事者や関係者の「面倒とか負担を、出来るだけ軽減する」という方向で考え、感謝状などの「感謝をあらわす措置をする」と云うことで「報告する事は正義の正しい行為」で賞賛に値する行為との意識の変換が必要なのでしょう。
ただ、いじめ行為をした人に対して「厳しい罰則を与える」のは慎重になるべきでしょう。前科というレッテルは「人生の不利」ですから、反省はさせなければなりませんが、再犯でない限りは「罰を課す」と云う部分にも配慮が必要です。
また、いじめ行為という「行動の範囲」も、かなり微妙な部分があります。
ある人は「あだ名で呼ばれる」だけで傷つくでしょうし、悪意のない依頼でも「受け取り手の取り方によってはイジメ」でしょう。
線引きは限りなく困難と言えるでしょう。しかし、基本的には「自分の意思を示せる教育(嫌な事は嫌と言える)」が出来れば、多くのイジメは根絶されるでしょう。
ただ、現在の教育制度は「愛国心育成」と云う方向(これって、政府の価値観を国民に植え付けると云う事)ですし、国にとって都合の良い画一的な人材育成の方向です。
先に民主党の小沢党首は「核武装の議論をすることは許されない」としましたが、多分ですが「人気取りのための多数派形成に都合の良い発言」であり、「核武装の議論はしても良い」と発言した政治家を「少数派にして、いじめる側に位置しよう」という意図と、何でもかんでも「政争の具にしよう」という意図が感じられます。
これって、言論弾圧ですし、いじめ構造を利用した作戦でしょう。
「核武装」という言葉に過剰反応示す国民性と、相手によって対応を変化させる詭弁性(多分、多くの政治家は「核武装の是非は別にして議論自体はかまわない」と思っています)
選挙制度をはじめとする「社会のシステム構造」が「正論を言い難い土壌を形成」し、様々な弊害を作り出しています。
能力の高いものが報われるという格差社会の中では「いじめの撲滅は事実上不可能」でしょうから、後は「発見したら報告氏やすいシステムを構築する事」によって、事後対処に力を注いで「いじめを行った者のリスク」を作り出すしかないだろうと考えています。