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(回答先: 核武装論議の批判がイジメですか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 11 月 26 日 15:33:48)
>ワヤクチャさん 何か会話が噛み合っていませんが、最初に「いじめの定義」として「Kに対する批判」に言及したのはワヤクチャさんでしょう。
「核武装議論」については「核武装議論反対」という世論を利用して「いじめの構造を作り出そうとするかのような民主党代表の小沢氏の手法」が卑怯な手法であり、このような手法は「自分が行った場合には相手にも使用する権利を与えたのと同じ」で、感心できないと云う意味で使用しています。
世論全体では、ともかくとして「今現在、正面きって堂々と『核武装の議論はしても良いのではないか?」と提言している人は「少数派の議員」であり、小沢氏は「今は少数派の議員だけが主張している点を利用して、いじめ的手法でもって、政争の具にして有利な状況を作り出そうとしています。」
しかし「少数派であっても、議論自体が悪の思想だ」というのは「言論封殺」であり「正しく公平な意見」ではありません。
このような手法を容認してしまえば「天皇制廃止の議論はしても良い」と云う意見も「今は少数派の意見であり、議論をしようとする事が悪」という理屈も、まかり通ると云うことです。
ちなみにKに対する批判については、Kには「いじめられた」という意識はありません。
ただ、いじめ構造の中で形成されていると思ってはいます。
対話の成立する「意見の対立」は議論であり、Kは苦にしません。
対話の成立しない「非難(論拠が滅茶苦茶な苦言)」は、Kは真面目に受け止めませんから「相手の人の無駄な努力」を、せせら笑うのが関の山で、Kにとっては「イジメ」になり得ません。むしろ相手の事を哀れだなぁ〜と思うくらいです。
問題は「Kが行った場合は注意する」のに「K以外の人が行った場合は注意がない」という差別感です。
例えば
http://www.asyura2.com/0610/asia6/msg/255.html
(友人の批判はしたくないのですが・・ 西岡昌紀)
の意見に対する反応ですが
「友人と言うのが嘘」という「何を根拠にしているか、全く説明のない批判」のようなものが寄せられている点に対して「K以外には誰も注意をしようともしない」のを、どう考えたら良いのでしょう?
また、ミラーマンこと植草氏の逮捕は「国家の陰謀」との主張が既成事実のように主張されても「その点に対しての反論はほとんどされない」という事も、自分に都合の良い点は無条件で受け入れ、都合の悪い点には拒否反応という『論理性のない感情の反応』でしょうが、阿修羅の「雰囲気=場の効果」によって思考停止状況が作り出されているという部分もあるでしょう。
実を言うと、今回のワヤクチャさんの「レス全体」が、何を言いたいのだ?と思っています。
>【核武装を論議しようという人たちは少数派で弱い立場なのですか?】
ある意味では「いじめられる側に回るかもしれない危険を承知で、信念を述べる」という勇気は評価するべきだろうと思っています。「肩書き」とか「与党に在席する」のと「(イジメ構造上の)弱い立場」は別です。総理大臣ですらスキャンダルによっては「いじめられる側に回り失脚することもある」のですが、いじめを無くそうと本気で思うなら、そのような権力者の失脚であっても「構造問題として集団リンチ的な性質」として判断していく必要があるだろうと思っています。
>【現在、Kさんを排除しようと主張する人は少数派です。】
どうでしょうか?Kの印象では「Kを嫌っている人の方が多数派」とも思います。
某2チャンネルの方では、ハッキリと「Kが虐められている」という評価もあるようです。
>【Kさんを排除しようという主張を批判したらイジメですか?】
Kが悪意を持った参加者とか、Kの存在が阿修羅の存続に深刻な影響をもたらすという確信を持った人が「キチンとした論証をした上」で「Kを排除すべき」というのは「いじめではなく意見表明」です。
ただ、自分の意見に都合が悪いから「排除論」を唱える。とか、Kの考え方を「嫌いだから、排除論者を集める」というのは、かなり問題でしょう。
意見の対立は「論によって、相手の間違っている点を指摘すべき」でしょう。
一番タチの悪いのは「他人の尻馬に乗って、他人の非難をする行為」です。
その中でも最たるものは「誰々さん、その人は相手にするだけ無駄」というような『理由を書きもしない、一方の応援のフリをした。人格否定書き込み行為』です。
人間が腐っていますね。