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どの程度の比率で存在するかは良く知らないが、使用されていない土地というのは多いと言う気がする。
農家をしていた親が死に、サラリーマンの子供が遺産相続しても、おそらく有効活用はされないだろう。
荒れ果てた農地になるくらいならば「植林でもして、森林に戻すという方が、環境問題的に正解だろう。」
もしかしたら、将来、利用する子孫が現れるという不確かな可能性ではなく、少しでも早く有効活用するべきという考察は成立するだろう。
既得権という言葉がある。親の私財と子供の私財は分離すべきであり、親の死後の財産権は子供に発生するというのは、様々な弊害がある。
これこそが、既得権の最たる物であり、生まれながらの「不公平」を生み出す悪の根源なのかもしれない。
「親の財産だけで一生生活上の心配はしなくても済む」という人がいる。
このような人は「人間関係」という部分の成長が未発達になりやすい。
人と言う字は支え合って人になるのだが、その根本部分が未発達になると、人ではない「人間モドキ」になるのかもしれない。マグマ大使の出番である。
冗談はさておき、やぱり過度の財産相続というのは「子孫を駄目にする」という面も多々あるという気がする。
例えば「代々続いた老舗の店舗」を続ける意思があるなら、相続税は原則なしで良い。
しかし、年に1度か2度しか行かない別荘の相続税は高くても良いだろう。
まさか、別荘の相続税を工面するために「商売の店舗を売却」という人はいないだろう。
生活に必要な資産と「贅沢品」の区別は考えていく必要がある。
【人間らしい生活環境を皆が確保してから、豊かさ(贅沢財)を追求すべきだ 最大多数の最大幸福】
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1351.html
は、かなり正しい部分がある。
人間の優先順位として
「まずは、自分の最低生活の確保」「次に家族仲間の生活の確保」は仕方がないだろう。
ただ、次に来るのは
「社会総体としての生活権の確保」と「自分及び家族の生活の向上(=贅沢の確保)」のバランスのある考え方だろうと思う。
それが、多くの人が「自分の贅沢の追及」という利己主義になってしまい。「社会総体としての生活権の確保」という視点が完全に抜け落ちてしまうから、社会全体が歪むのであろう。
そこを突き詰めていくと「相続時清算方式」に辿り着く、多分であるが、本人が努力した上で形成された財産を「国の都合で没収するという意味合いの行政を行ったら、社会全体の生産性は低下する。」
少なくとも、本人が生きている内には、今まであったルールの上で形成された財産には手を出すのは正当ではないだろう。
しかし、今存在する「社会の中の歪み」は是正する必要がある。
もっとも、不適切な歪みは「本人の努力の結果ではなく、存在している私財」であろう。
地方への財源委譲という事が言われている。
その方策の一つとして、地方にある活用されていない土地という物があると云う気がする。
「その部分を活用できるようにする。」事で、地方の活性化に活路が開くという部分もあるのではないだろうか?