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麻薬に魅入られた人の対応として、多くの人は「止めさせよう」とするだろう。
その治療はかなり凄惨な治療である。
なにも知識がない人が見ると「少しくらいなら、麻薬を与えてやりたい」と思うだろう。
個人の自由意志を尊重するならば、本人は「麻薬をくれ!」と吼えているのである。
法律的な問題は別にして、考察した時
「本人が望んでいるなら、廃人となっても本人の意思を尊重する」
「本人の意思は無視して、拘束治療をする」の二者択一問題である。
この場合「本人の意思」は正常な判断によって行われたものではない。
「麻薬をくれ!」とは言うが「死んでも良い!」というのは本心ではないだろう。
麻薬の禁断症状が作り出した偽りの判断が形成されていると言うことである
この偽りの判断というのが「憑き物」である。
麻薬と言うのは極論であるが、様々な分野で同様な現象は起こりえる。
もちろん、Kも「自分が憑き物に憑かれない」とは言い切れない。
イラク戦争の当初、Kは「イラクは抗戦しない方が良い」と主張した。
予想通りと言うか何と言うか、戦争は泥沼化して、ベトナムの2の舞の様相を呈してきた。
アメリカの思惑が崩れ去るという視点から判断すれば「良い気分」もありえるかもしれないが、抗戦した事によって生まれた死傷者の数という視点で考えれば「これほどの被害を生み出すだけの終着点が得られるのか?」と思う。
アメリカ兵の死傷者という意味だけでなく、多くのイラクの抵抗戦士、そして、巻き込まれた一般市民の死傷者に取って、最終的に「何を得たのか?」また、抗戦しなかった場合に比べ「どれだけのプラスが生まれたのか?」
この点を考えずに「抗戦は正しい」と主張した人は「イラクに対して、どのような責任を感じているのだろう?」と思う。
あらゆる運動には「必要性」と「目的」があるのだろうと思う。
なぜに「この運動が必要なのか?」「本当にその運動と言う方法しかないのか?」「その運動は十分な効果が期待できるのか?」
また、「目的と言うものに対しての有効度は?」
ここの説明もなしに「あの人は非情だ」と言う評価をするなら、それは不当なレッテル貼り攻撃であろう。
こんな簡単なことも分からないのならば、視野狭窄だろうと思う。
その視野狭窄を生み出すのが「憑き物」であろう。
少数派への同情は否定はしない。しかし、この場合に必要なのは「少数派に留まって抵抗する事を単に応援する」と言うことではなく「少数派に留まらないようには、どうすれば良いかを考えることである。」
麻薬治療患者に必要なのは「麻薬を与えること」ではなく、非情とも思える治療であろう。