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社会生活を送る者(完全な隠遁者を除くすべての人間)の義務は、第一に社会構成員たる各個人の尊厳を最重要視して行動することである。
各個人の尊厳を最重視するとはすなわち各個人の人権を尊重することと同義である。
個人と社会とどちらを価値判断上上位に置いて行動すべきかと問われれば、私は迷わず個人と答える。
各個人の幸福なくして社会全体としての幸せもないはずだからである。
社会の繁栄のために尽くすといったことは各個人の尊厳を重視しようとする結果行われるべきことである。
先に社会の幸せありきという考え方は、各個人が幸せかどうかという観点を埋没させ、各個人の幸福を奪う結果になりかねない。
社会の構成員たる各個人がお互いを尊重することにより、人間としての尊厳を保った生活ができれば、構成員の幸福度は高くなる。
構成員の幸福度の高い社会は必然的に全体としても幸福度が高いはずである。
したがって、追求すべき社会のあり方とは、「個」を尊重し合い、互いの幸せを高めるよう努力した結果、社会全体としても繁栄する、というものである。
他方、しばしば、秩序の名のもと、「個」を抑えて「社会」の一定の行動様式に従うことの必要性が説かれる。
これは必ずしも一律に否定されるべき考え方ではないだろう。
しかし、もしその行動を強いられることにより思想・信条・良心の領域が侵される人がいるのであれば、そのような行動に対し疑義をはさむ余地が出てくる。
思想・信条の領域が侵されるということは社会の構成員の幸福が奪われてしまうということであり、それでは社会全体としての幸福も得られるはずがないからである。
それでも構成員の幸福よりも社会秩序だと強弁するのであれば、それはまさしく全体主義である。
そして、全体主義国家が滅亡することは、歴史が既に証明済みである。
最初に社会ありきでなく、最初に個人ありきの発想が必要だ。