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(回答先: 他者の存在しないところで個人の尊重は成り立たない 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 15 日 22:52:28)
>heartさん どうもです。
heartさんは、かなり重要な事を書いています。
>【集団でどう行動するかを決める場合、個人の尊重というのは、互いの意見をよく聞き、話し合い、対話によって物事を決めていく、というそのプロセスに表れると思います。】
と言う点です。
現在の日本では、この【プロセス】が不完全です。
多くの人が「自分で社会を創造しよう」と思わず「誰かに社会を創造してもらおう」としているからです。
「他者依存体質」は日本人は諸外国に比べ多いように感じます。(ここはKの主観)
「個人の尊厳の尊重」というのは「言葉」としては重要な感じをかもし出しますが、具体的には「何処までが、尊重される、自由意志」なのか?ここの定義が抜け落ちると「イメージの先行」になるでしょう。
今回の君が代不起立という具体例に目を戻しましょう。
問題は「歌わない自由権の実力行使」によって、多分、不利益を被る人がいます。
具体的には、管理職に当たる「校長」という立場の役職者などです。
また、出世をしたい「同僚の先生」などにも悪影響が出る可能性もあります。
「式典の妨害行為」の「実力行使」しかも「勤務時間内の上司の業務命令違反」
これは
heartさんの言う
>【集団でどう行動するかを決める場合、個人の尊重というのは、互いの意見をよく聞き、話し合い、対話によって物事を決めていく、というそのプロセスに表れると思います。】
のと整合性が保てるのか?という部分は問題なのだろうと思います。
強制という部分を見直させるためには仕方がないという部分はあるでしょう。
しかし、この点は「社会のプロセスが不完全」であり、権力者の横暴が許される体質があると言う点に問題があるのだろうと思われます。
10人の違い価値感の人が存在するのなら、自分の意見が通るのは10回に1回が普通です。残りの9回は自分の希望を我慢して人の意見に協力するという事にしなければ「集団は成り立たない」のだろうと思います。
heartさんは、数人の人を阿修羅という場から排除しました。
それは、自分の価値観からの判断によって行ったのだろうと思います。
その時からは進歩した。人間は誰だってミスをする。
それらを総合的に判断し、仮に君が代不起立は「それでも、この場合は、実力行使しかない。多少の犠牲はやむおえない。犠牲の部分は私がバックアップする」という事ならば、もうKには言う事はありません。
しかし、この運動によって、得られるもの(具体的には、多数派形成とか、説得力のある「反戦のために絶対必要な闘争との説明」に有利な論証など)に有効な部分が少なく
また、犠牲が増える現実を見ようとしないのでしたら、万歳特攻の「運動する人に犠牲を強いる運動の背中を押しているだけ」ではないでしょうか?
Kは「強制は妥当」とも「強制は行われていない」とも言っていませんし、政府のしている事が良いとは思っていません。
「君が代」を歌わない自由がないとは言いませんが「実力行使は逆効果だろう」と言っています。
誤解のないようにお願いします。