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自衛隊の是非を問う時に良く言われるのが
「どこかの国が攻めてきたらどうするのだ?」という論法である。
食料資源も少なく、エネルギー資源も少ない日本を「国際社会から批難され、孤立化する覚悟」で日本を侵略する国は多分ないだろう。
しかも、アメリカの子分である日本に手を出せば、親分が黙っていないと思えばなおさらである。
その日本に再び戦争があるとすれば、アメリカが北朝鮮を攻める時か、アメリカが日本を危険と判断した時のどちらかくらいだろう。
良く、日本では「朝鮮」の小中華思想を問題にする。
中国(大中華)が一番偉く、中国に近い朝鮮は「中国の次に偉く、日本よりは自分達の方が偉い」という考え方らしい。
一部の人は「これを、笑い話としてバカにする」
「虎の威を借る狐」という嘲笑である。
しかし、それを笑う人は「小アメリカ思想」の持ち主が多いと言う気がする。
「アメリカと言う白人に跪く、白人コンプレックスの黄色人種」の歪んだ考え方かもしれない。
「集団的自衛権」分かったような分からないような用語だが、早い話が「アメリカの応援のために戦争できる権利が欲しい」と言うことである。
今現在「日本と共有の自衛権が発動できるとしたら、アメリカのみ」だろう。
しかも、これは「エネルギー資源(基本的には石油)の既得権の確保」のための屁理屈である。
「アメリカと日本の共同作業中に攻撃を受けたら、日本だけ戦闘に参加しないと言うわけにはいかない」
はあ?
「アメリカと日本の共同作業中に攻撃をする国はどこに存在するのだろう?」
あるとすれば「アメリカと日本が不当に占拠した国のゲリラが攻撃してくるくらい」しかないだろう。
このような「ありえない論法によって、海外出兵による戦闘を肯定させる方も方だが、なんとなく認めてしまいそうな国民も国民である」
なんか、どんどん日本国民から考察力がなくなっていると言う気がする。
論理的思考が退化して、因果律からの演繹法と帰納法が巧く出来なくなってしまい、感覚で判断するようになってきている。
「言葉による解決」より「実力行使による解決」が選択され
「思考と工夫による」成果より「頑固な闘争」が良いとされるようである。
イメージの形成合戦に終始して、本質の議論に踏み込めないのは、頭で考えずに、感情(心)で考えようとするからだろうと思う。
もっとも、心で判断する方が正しいという場合もあるだろうと思う。
人間はパトスを持った存在であるから、パトスを否定するわけではない。
しかし、ほぼ、あり得ない「他国からの侵略」と「他国からの攻撃」という詭弁を用いて「戦争できる憲法にしようと言う裏には、アメリカと共に戦う子分としての考え方しかない」と言う気がする。
こんな詭弁によって「憲法改正」をさせるわけにはいかないだろう。