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(回答先: 権力を批判する自由が存在しないところでは人間は尊重されているとは言えない(宮沢俊義氏) 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 08 日 18:50:07)
>heartさん 紹介されている考え方は読まさせていただきました。
>【権力を批判する自由が存在しないところでは人間は尊重されているとは言えない(宮沢俊義氏)】
は、その通りだろうと思います。
今現在、Kは結構書きたい事を書いています。その中には「権力批判」と言う部分も多数存在します。
「若干ですが、阿修羅では、妨害行為と思われる行為も受けているような気もしますが、取り合えず、権力側の妨害行為はないと思われます。」
これは、日本は「それなりに良い国である」と言うことだろうと思います。
国によっては「Kくらいの事を書いていれば弾圧される国もあるでしょう。」
憲法の第一章には「天皇」と言う項目があります。
http://constitution.at.infoseek.co.jp/tennou.htm
【天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。】
となっています。
護憲という立場であるなら、この辺りも尊重する必要はあるだろうと思います。
ただし【この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。】のですから、ここが崩れ去るならば話は別です。
【日本国民の総意に基く】のですから、heartさんの意思で変えても良い訳でもないですし、Kの意思で変えても良いのでもありません。
「天皇制度反対」は個人の自由ですが、国民の総意と言う場合は「多数の国民から天皇制度は廃止しても良い」という「総意が示された時」までは、象徴天皇は「日本国民統合の象徴」と考えるべきでしょう。
第三章 国民の権利及び義務
http://constitution.at.infoseek.co.jp/kokumin.htm
の
第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】には
【この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。】
と書いてあります。ここは良く考える必要があるでしょう。
【濫用してはならない】し【常に公共の福祉のためにこれを利用する責任】もあるのです。
【公共の福祉】というのは「自分の主観による判断としての正義」ということではないだろうとKは思います。
ここは、社会貢献と言う部分でしょうが、社会的ルール(勤務時間内の職務規律)を破ってまでの「自己主張をしても良い自由」まで認められない。と言うことだろうと思います。
仮に「君が代反対」は「社会貢献」であり「必要な行動だ」とするのなら、そこを「国民に理解させて、納得させ、法で明記させる必要があるでしょう。」
「学校行事で君が代、日の丸を強制してはいけない」とです。
その事がない限りは「対価報酬の拘束時間」ですから、思想の自由は制限され、ましてや、自分の思想を他人にアピールする自由も、権力者に対する【権威を批判する自由や、権威に反対する自由や、権威の座にある人たちが憎む思想を発表する自由】があるとは思えません。
そのような自由は「自分の自由時間内で行う」べきであり、その際にも【濫用】されてはいけないのです。
権力者の批判をするのは自由でしょうが、権力者ではない「多数派の人達」の批判を行うのは少々危険も伴います。
その結果として孤立無援になるのも自己責任の一種です。
権力批判をした上での不利益は「弾圧」という不当な行為でしょうが
大衆を敵に回して起こった不利益は「自業自得」であり、大衆にも「自分の思想を表現する自由」はあるのです。