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(回答先: 「金の亡者」に有利な日本の制度 投稿者 考察者K 日時 2007 年 1 月 06 日 22:25:44)
Re:貨幣の信用力(通用性)の担保は「ひと」である
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/856.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 02 日 23:46:47:Mo7ApAlflbQ6s
興味のある方は、上記リンクから、全文お読み下さい。
重要部分、少し抜粋します。
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まっくすさん:桜のように「決然と咲き、潔くぱっと散る」お金。そうしたら消費税など取らなくてすみます。
なまじ永遠に目減りしないとか、節約すれば、もっと殖やせば楽になるとか思っているから、
我々はあくせく働かなければなりません。結局、お金と時間が引き換えになっていて、
ここでも「分断と対立」が起きているんです。キーは利子の存在にあるでしょう。
あっしらさん:ここがキーですね。
お金が財やサービスを手に入れるためのもの(手段)であるのなら、
財やサービスは人々の活動によって実現されるわけですから、お金は活動を交換する媒体ということになります。
そして、活動は保存できないものですから、まさに「決然と咲き、潔くぱっと散る」ものです。
さらに、そうであるならば、用途が公務員の給与を含め財やサービスを手に入れることである税金は
不要ということになります。
活動(力)に対応しているはずのお金が保存(蓄蔵)できるというのは自己矛盾であり、
「分断と対立」を生み出すことになります。
利息と天賦のものである土地の私有が、あくせく働かず時間も引き換えにしないまま贅沢ができる層の存在を
許容しています。
貨幣については、分配問題が政治的に解決されるなら、利息が付かないということで蓄蔵の問題もほぼクリアできると
思っています。
(主要テーマの一つである江戸期の貨幣を考えるなかで少し考えてみるつもりです)
土地は使ってなんぼのものですから使う権利が保証されていればいいわけで、それを超えた所有権は無用です。
(どこかに持っていけるわけでもありません)
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@財やサービスは、人々の活動によって作られる。
Aお金は、活動を交換する媒体である。
B人々の活動は保存できないものだ。
C活動(力)に対応しているはずのお金が保存(蓄蔵)できるというのは自己矛盾である。
以上が、お金に関する基本原理で、本源的には蓄蔵不能のものであることが、よくわかるであろう。
それなのに、何故、貯め続ける奴が多いのか?
利子が付くからだ。ある一定額以上の元金があれば、自分はまったく”活動”を提供しなくても、
他人の”活動”・”活動成果物”を手に入れることが出来る。もっと元金を増やせば、さらに多くの
財やサービスが手に入る。そして、さらに、もっと・もっと・・・
まさに、無限地獄の餓鬼道だ。もういい加減、この癌細胞に、何らかの適切な制御をかけなければ、
苦しみは増すばかりだろう。
出来れば、「金の亡者」自らが、気づいて行動を改めてくれることを願うが・・・