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(回答先: ドラマのない総裁選で勝利した「花」のない新総裁 安倍晋三C(立花隆の「メディアソシオ・ポリティクス」) 投稿者 gataro 日時 2006 年 9 月 28 日 19:14:50)
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060922_hana/index4.html
各界にはそれぞれに違う姿の「花」がある。見た目の美しさあるいはカッコよさからくる「花」は、芸能界のスターには必要だろうが、政治家には必ずしも必要ではない。
政治家に必要な「花」は、もっぱらその言語能力において表れてくる。彼が(あるいは彼女が)語り出すと、みんな思わずその言葉に耳を傾けてしまうという、演説能力あるいは、言語魔術能力が、その人を真にすぐれた政治家にするのである。
安倍にその「花」があるかというと、ない。
安倍にも、語り出せば、それなりにもっともなことを延々いつまでも並べ立てられる能力(それが政治家に要求されるミニマムの言語能力)はあるようだが、聞く人の側からすると、それが、「思わず耳を引き付けられ、ついついずっと聞いてしまった」、と後にもらすほどの魔術的言語能力のレベルにまで達しているかというと、そういうレベルには全く達していない。
小泉首相にはそのような「花」があったから、小泉首相はどこで演説しても、すぐに大群を集めた。小泉首相が大群衆を集めた背景には、小泉首相が生来持っていた「花」に加えて、「テレビスター小泉」(何しろ毎日テレビに出ている人なのだ)が持っていた「花」があったし、それに総理大臣という椅子そのものが持っていた「花」もあった。それらもろもろの花が総合されて、小泉首相の大きな「花」になっていったのだが、安倍にはそれだけの「花」があったのかというと、ある程度はあったが、小泉首相ほどなない。
これまでも、「あの安倍さん」という有名人の「花」があったし、幹事長とか官房長官という役職がもたらす「花」もあった。これからはそれがさらに、総理大臣という椅子がもたらす「花」に変わるのだから、安部はこれからどこでも大群衆を引き付けるだろう。
だが、彼が総理大臣の椅子を離れたときの生身の人間としての「花」、あるいは肩書きなしの単なる一政治家としての彼が持つ「花」がどれだけあるかといったら、あまりないと言わざるをえない。それがテレビで彼の語りを聞くたびにいつも思う「なんだかつまらん男だ」という印象になっているのだと思う。
◇ 選挙に弱い安倍晋三に政局が乗り切れるのか
安倍は、小泉首相に最初の最初からずっと取り立てられてきた。はじめ官房副長官。次いで幹事長に大抜擢。次いで幹事長代理に降格。次に官房長官に抜擢と、小泉首相は一度も安倍を手放さなかった。
この間、安倍は二度も選挙の担当者になったが、世論調査的人気は一貫して安倍の個人の上にあったものの、自民党の選挙担当者としての安倍は、二度とも選挙に負けている(04年の幹事長から幹事長代理への降格はその責任を取らされたもの)。
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