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(回答先: 田畑 稔 『マルクスと哲学──方法としてのマルクス再読』刊行に寄せて 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 9 月 09 日 12:01:46)
‥‥
“真っ向からの宣戦に、挨拶代わりに前向上…古式ゆかしき開始の儀礼”
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(勝負というもの)
しかしお前も大変だな…どんなに論者(賛同者)や読者(閲覧数)を味方に付けても、俺には通用しない。
何しろ…もし俺に「勝とうとしても」、「勝つことそのものが」、「滅却されてしまいかねない」のだから。
とりあえず個別主義には、未来永劫、多数主義は太刀打ちできないわけだ(笑)
負けたことが無いと豪語するような“勝ちたくてしょうがない”(…お前がよく知っている)誰かも、
かつて陥穽に落ちていった…。いつもいうことだが…俺は通常は勝てない相手とばかり闘って
きた。俺が常に底辺の側にいるからだが(笑) この底辺にいる人間に誰も勝てないというなら、
勝負というものは、もしかすると、「実在の世界」には成立していないのかもしれない。
あるいは、俺だけが特別なんだよ‥‥
何しろ俺は、「知識や情報や」「他人や多数や」「常識や権威や」
「世界や歴史や世間に依存しないで」“論陣”を張れるのだから。
皆と同じようなことを言っている場合ですら、考えている深さと
厳しさが格段に異なることがありうるので要注意だ(笑)
ギャグでさえ、気楽に渡っていると深みに落ちる(笑)
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田畑の発想は既に死んでいるはずで、如何にいかめしく構築しても、根っこを押さえられてしまっているような(例えば本稿に先行する
「下の小さな投稿」ほどにも意義深さの無い、)ブヨブヨの空念仏に思えるのだ。自慢の社会設計も「社会」が無ければ成り立つまいて(笑)
※‥‥勝負ではない、とお前は言うかもしれない。しかし、ならば路線の違う俺を阻止する理由など無いはずなのだ。
いうまでもなく俺は趨勢に影響を与えない‥‥お前の邪魔はしていないと思う、だったら‥‥。お前は寸暇を惜しんで
「自分の活動」に精を出すのが取るべき道だろう、迷子でなければ。俺は自分のペースで忙しく、かつ公私を分かたず
のんびりと自分の活動をしているはずだが。まさか、そういった長閑な私(個)生活にお前は土足で踏み込みたいのか。
声高な活動家は声高な活動家を“目の上の仇”にすればいいはずのものを…もうそれに飽きたか、俺の持ち場を「荒らす」限りは、
俺に用があると見做していいんだろうな。それも俺に口を挟む限りは…俺に「勝負」を挑んだんだよな? 違うか。違うなら、優しく
諭すうちに去ってくれ、頼む。恐らく俺は他の奴と違って、お前の勉強に成る情報は教えないであろうから。たとえ「核心となる何か」を
学んだとしても、それはお前が活動家であることを完全に辞めるときではないか…。(…大変なことは知らないほうがマシかもしれない)
‥‥嘘で多くを生きて、ここまでくれば嘘のうちに死ぬほうが収まりはいいはずなのだ‥‥気付くのが遅すぎる‥‥多分。俺のほうが「お前が気付く
瞬間」に怯えているのかもしれない。恐らくは…お前にとって真実を知ることは俺にとっても酷すぎるのではないか? そこまでは鬼ではないつもりだ…。
(お前は既に俺に時間を費やし過ぎていると思う…薄っぺらな奴ばかりで寂しいのかもしれないが…しかし、この上に未だ何を?)
‥‥