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(回答先: ワヤクチャさん 国家は、稲を豊作にする力はないですよ。 投稿者 hou 日時 2006 年 9 月 24 日 00:09:34)
国家は自然と文化の上に寄生する存在だと言いたいのです。
国家主義者は国家あればこその自然や文化や国民という倒錯を行うのです。
三島由紀夫の精神が「国の為に死ぬ」事を「最高の美」と感じるのであればそれは「文化のミイラ」のようなひからびたものでしょう。
安倍の「美しい国へ」というモチーフは三島や川端康成のパクリでしょう。
日本人が散る桜に「はかなくも潔い美」を見るように。
>ワヤクチャさん 国家は、稲を豊作にする力はないですよ。
豊作を祝うのが自然な文化であり国旗や国歌は不自然な押し付けられた文化(お仕着せの文化)であるという事です。
権力者が国民の恭順度を測るバロメーターです。
>http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/237.html
>投稿者 hou 日時 2006 年 9 月 24 日 00:09:34: HWYlsG4gs5FRk
>(回答先: 国は何をしてくれましたか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 9 月 23 >日 23:03:05)
>ワヤクチャさん
>国家に幻想を抱いてはいけません。
何も幻想はもっていないと思います。
>国家とは形式なのです。
その通り。人工物です。民族と同じ。
>究極の幻想で至高の幻です。
日本列島を愛するという意味が私には分かりません。
自分が暮らす自然を愛するので充分ではないかと思います。
仮に京都に北朝鮮軍が侵略してきたとしたら私は戦うだろうか?
戦わないと思います。
戦争は茶番だと思っているからです。
>たとえば、日本語がつかえるとか
>道路の交通とか
>国防力とか
>国家はシステムであり、あるようでない
>みたいな人の集りによる、システムなのです。
そうでしょうね。
>古代エジプト王朝から現代まで征服で滅びた国家システムはたくさんあります。
>でも
>まだ、国家が形成される前から三日月地帯形成の紀元前5000年まで
>豊作は、自分と自然の力で達成できました。
>国家が豊作を作り出すわけではありません。
その通りです。
>国家とは形式主義の空想のようなものです。
はい。
>わかりやすい例えは、まぼろし貨幣システムは究極の妄想の国家システムです。
はい。根幹ですね。
>非自然的で非日常的なシステムを幻想国家といいます。
共同の幻想を持つ事でこの社会は成り立っているのですね。
幻想を解体する事は不安な事なので誰もそうしないだけです。
しかし、解体しても大丈夫だと私は思っております。
自然がある限り。
地域通貨で勝手に交換をしていたらいいだけです。
>そこには、いっさい自然という不安定要素から切り離れていて
>国家という紙や書類などのみで作り上げられるものを国家といいます。
そうですね。言葉や図に過ぎませんね。国境をここにしようと地図に線を引いただけです。
>非自然的なシステムは何を生み出したか?
>「すさまじきものは宮仕え」や「仁」「国家があなたに何をしてくれるのかを問うの>ではなく、あなたが国家のために何ができるかを問うて欲しい」という言葉です。
後者はケネディの言葉ですね。これぞ国家がブラックホールである事の証明です。
>これらの言葉が、幻想国家が個人には有効ではなく、国家間の戦略や戦術多くの人間>のパワーの集合体が蠢いている状態をすばらしく、表現できています。
幻想が実態になり実態である個人は幻想の再生産の為の奴隷と化すのですね。
>それらは、形式的幻想の国家である存在の結果としてできた言葉です。
>多くの人のが形式的にシステム的に集う場所
>それが「幻想国家システム」なのです。
>でも、多くの人が集っている以上形式的には幻想国家なのです。
>形式的つどいが、形式的で当然なのです。
>形式的な集いがシンボルを担ぐのは当然です。
>それを、幻想と多くの人々を管理するのが幻想国家公務員の役目というのは当然です。
幻想が崩れないように国旗を掲揚し国歌を斉唱して守り続けなければならないワケですね。
国から給料をもらっている国家公務員は幻想維持の義務があると。
敗戦時「国体の護持」が問題になりました。
天皇を象徴ででも残せた事で国体は護持されたとなったようですが天皇制が廃止されたらなくなるような国体とは何か?が問われなければなりませんね。
>幻想を説明しようとわざと膨らまして書いたらなんか変な文章になってしまいまし>た。
いや、理解できると思いますよ。
私も同じような意見です。