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『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、最終回
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 7 月 15 日 00:14:00: SO0fHq1bYvRzo
 

『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、最終回


これは次の拙稿の続きです。(4回シリーズの第4回)

http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/306.html
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第3回
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/298.html
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第2回
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/296.html
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第1回


この文章はイズラエル・シャミールによる、2001年秋、9・11事変直後の作品です。

原文Url
http://www.israelshamir.net/English/Medina.htm

[1],[2]などは原作者がつけた注釈ナンバーです。その他の私からの注釈は【訳注: 】の形で訳文の中にはめ込んでおきます。またこの文章の中には、日本語ではその違いやニュアンスが非常に翻訳しづらいJew, Jews, Jewish, Jewry, Judeo-, Judaismなどが多く出てきます。普通に「ユダヤ人」と訳す場合はa Jew や(the) Jews、また形容詞的に「ユダヤの」「ユダヤ人の」はJewishですが、紛らわしい場合には原文を添えておきます。

なお、このシャミールの作品に関する私からのコメントは別途に投稿いたします。

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XIV

 この思想闘争の中に恐るべき大量破壊兵器がある。反対者の悪魔化である。キリスト教神学ではそれは「マニ教的」異端と呼ばれる。もし社会を破壊しようと思うならこれ以上に効果的に全体に効果を及ぼす兵器は無い。誰でも人々を《光の子》と《闇の子》に分けるべきではないのだ。

 ユダヤ人は通常、自分の共同体の中で作られた思想に対しては極めて寛容である。シオニズムの創設者テオドル・ヘルツル(Theodor Hertzl)は非宗教的なユダヤ人以外の何ものでもなかった。信心深いユダヤ人たちは彼を非常に嫌った。にもかかわらず、あるラビが彼について何か良いことを言うように求められた際に、彼は次のようなすばらしい言葉を見つけた。テオドル・ヘルツルはシナゴーグの中では世俗的な話題を決してしゃべらなかった、フィラクタリー【訳注:ユダヤ教徒が額と左腕につける聖句箱】を身に付けているときには決して便所に行かなかった、彼はクリスマス・イヴには決してタルムードを開かなかった、と。実際はこうである。ヘルツルはシナゴーグに行ったことがなかったし、フィラクタリーを身に付けたこともなかったし、タルムードを学んだこともなかった。それだけである。同様の文脈で、ユダヤ人たちは共産主義者のレオン・トロツキー(Leon Trotsky)にも、ナチの支持者であったヤイール・スターン(Yair Stern)にも極めて寛容だった。どのような思想もそのポジティヴな要素を持っていると知っていたからである。近年で言うと、左翼の野党であるヨッシ・サリッド(Yossi Sarid)は暗殺されたユダヤ・ナチの大臣ゼエヴィ(Zeevi)とは友人であり感動的なほどに賞賛していた。
【訳注:ヤイール・スターンは、親ナチのユダヤ・テロリスト組織レヒ(Lehi)=「スターン・ギャング」の創設者アブラハム・スターンのこと。この組織には後にイスラエル首相となったイツァーク・シャミールもいた。】
【訳注:レハヴァム・ゼエヴィ(Rehavam Zeevi)はシャロン政権の閣僚時2001年にPFLPによって暗殺されたが、ウラジミール・ジャボチンスキーのユダヤ・ファシズムを最も強固に受け継いだ人物の一人であった。】

 しかし外の世界に対しては、ユダヤ人たちは通常、永遠に祝福するのとは逆に、憤怒に打ち震え怒りと復讐心に満ちた永遠の呪いの思想を提供した。心理バランスを回復させるために、このユダヤの内に向けての寛容さは普遍化されるべきであり、そしてユダヤの外に向けての不寛容さは拒否されるべきである。

 ユダヤ-アメリカ的思考は外に向けて消費させるために製造され続ける。ロナルド・レーガンはロシアを「邪悪の帝国」と呼んだ。ブッシュはサダム・フセインを「ヒトラー」と呼んだ。メディアの大立者であるロード・ブラック(Lord Black)の妻であり導きの光でもあるバーバラ・アミール(Barbara Amiel)は、現在イスラエルとユダヤ人が邪悪の帝国として紹介されている、と論評した。

 あなたは間違っている、アミール女史。邪悪の帝国などどこにも無いのだ。ただ野放しにされる国があるだけだ。

 ソヴィエト・ロシアは邪悪の帝国ではなかったし、共産主義はスターリンと強制収容所で体現されるようなものでもなかった。ショロコーフ(Sholokhov)、ブロック(Block)、パステルナーク(Pasternak)、エセーニン(Esenin)、マヤコフスキィ(Mayakovsky)、そしてデイネーカ(Deineka)は、ロシア革命を受け入れその理想を芸術に表現した。それは人間の平等と兄弟愛における偉大なそして部分的には成功した実験の場だった。そして貪欲さの魂を打ち破るための勇敢な試みの場だった。共産主義者とその支持者たちは労働を解放しようと試み、地上に天の王国をもたらそうと試み、貧困を取り除きそして人間の魂を解放しようと試みた。共産主義は欧州の社会民主主義をもたらした。

 ドイツは邪悪の帝国ではなかったし、その組織的な伝統主義の精神はヒトラーとアウシュヴィッツで体現されるようなものでもなかった。伝統主義者たちはワーグナー、ニーチェ、そしてヘーゲルに基づいた新しいパラダイムを確立させようと試みた。民衆のルーツと伝統の方に進もうと試みた。それは決して無駄ではなく、クヌート・ハムスン(Knut Hamsun)からルイ・フェルディナン・セリーヌ(Louis Ferdinand Celine)、エヅラ・パウンド(Ezra Pound)、ウイリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)そしてハイデッガー(Heidegger)に至るまでの欧州最良の作家と思想家たちが、伝統主義者の組織的なアプローチを肯定的に見ていた。もしロシアとドイツが悪魔化されなかったとしたら、それらの国があれほどの極端さにまで向かうことはなかったかもしれないし、十分にそう言えるのではないかと思う。

 我々は第2次世界大戦後の世界で失われた精神と議論のバランスを回復させなければならない。それはブルジョアジーの「ユダヤ-アメリカ的」思考のあまりにも完璧な勝利によるものなのだ。行き過ぎと戦争犯罪を非難する一方で、我々はマヤコフスキィ(Mayakovsky)からパウンドに至るまでの精神の王国を取り戻す必要がある。邪悪な人間などいない。我々は神の似姿に創られており、あらゆる思想が新しい思考を作り上げるのに必要とされるのだ。

 この1930年代と1940年代の二つの偉大な主人公は多くの凶暴性を発揮した。しかし罪の無い者が最初の石を投げよ。ドレスデンとヒロシマの後で、そしてデイル・ヤシンとジェニンの虐殺の後で、石を取り上げる資格を持つ者はそんなに多くいない。それらは悪魔化を解かれるべきだ。その悪魔化がバランスの無い思考という危険を作るからである。

 我々は同様にそれらにとっての敵をも悪魔化すべきではない。米国は邪悪な帝国ではない。それは正気に戻すことができるしそうしなければならない。起業家精神、発明、独立心、拘束の無い自由と民主主義という米国精神は、全人類の価値ある財産として保ち続けられるべきである。

 ユダヤ民族は邪悪の帝国ではない。良い組織者と外交官、頑固さと熱心さ、軽々と実行する力、感じやすさ、第一級の思想家たち、そして勇敢な兵士たち、気軽な旅行者、同情心と快活さ;ユダヤ人たちは人類の繁栄のために必要とされる。

 しかしそれらの特徴の一つ一つは、もしチェックを受けないままにしておくと世界を破壊する可能性がある。

 ソヴィエトはその古い世界を取り壊していくときに何千万人もの人々を殺し追放した。彼らは古い教会を破壊し、農民を根こそぎにし、そしてその米国の敵対者と同様に画一性を維持した。ナチスは最も世界に恐ろしい戦争を勃発させ何千万人ものスラブ人とユダヤ人を殺した。現在、ユダヤ-アメリカの勢力が、1945年と1991年の勝利の完璧さによって、歯止めを失った状態にある。彼らはそれを、世界を地獄に突き落とすライセンスであると理解している。彼らのグローバリゼーションの計画は、世界のあらゆる美と固有の価値を絶滅させ、精神を殺し、芸術を地に落とし、魂を吹き払い、自然を破壊し、社会的成果を亡き物にし、人類を主人と奴隷に分けてしまうのかもしれない。彼らが行く所がどこであろうと、古いカフェーとレストランが消えてスターバックスとマクドナルドが乗っ取る。労働者たちは職場を失い、博物館はクズで埋まり、芸術派TVに置き換わる。にもかかわらず、彼らは世界に存在すべきであり、破壊されるべきではないのだ。

 通常我々は戦争を国家的利益のぶつかり合いとして議論する。しかし同時にまた第2次世界大戦の果てしなさは思想の戦争という面だった。これは間違っており不必要なものだった。様々な思想は永遠の闘争の中で共存すべきだからだ。ちょうど陰と陽、あるいは女性力と男性力のように。ユダヤ-アメリカ的思想は、もしそれがチェックを受けないままで走り続けるなら、世界を去勢するだろう。この去勢は米国の中で強く感じられるものである。そこでは男たちはもはや敢えて男であろうとしない。彼らはもし一人の少女を見つめるならば訴えられる。そしてもし一人の少女を見つめなくても訴えられる。偉大なアングロ・サクソンの叙事詩であるBeowulfの中では、ある残酷な女王が自分を見るような無礼な男を全員殺す。しかしこの残虐な女王の精神が世界に君臨することになるだろうとは、ほとんど誰も思わなかったに違いない。

 ユダヤ-アメリカ的思想は生物学的な生活には強く執着するが精神は拒絶する。その支配の下で偉大な芸術作品も偉大な思想も現れてこないことには十分な理由がある。その一方で、その敵対者が持つ純粋に男性的な傾向は、これまた同様に人間種族の生き残りにとって危険なことだった。

 前世紀の三つの敵対者【訳注:ソ連、ナチス・ドイツ、およびユダヤ-アメリカの三つ】は共通の特徴を持っている。それらはキリストを、我々の精神性の基盤を拒絶した。第2次世界大戦の大国指導者の中に神を顧みた者などいなかった。米国人たちは現在、そして共産主義者はかつてそうだったのだが、ユダヤ人たちから馬鹿にされ非難されることのないように、こわごわとキリストのことには触れないようにする。ナチスは強く反キリスト教的だったし、さらにオカルトにまで手を出した。これはバランスの回復を見失わせる第4の要素である。

 こうして、我々は4つの傾向の合成を捜し求める必要がある。自然の生物的で本来的な愛情、地域的なルーツと伝統、あらゆる人間のための社会共同体的な正義、人生への愛と起業家精神である。それに深い精神性が加わる。それらは十字架の新しい意味を表現するだろうし、人類に精神の一致をもたらすだろう。美しい多様性を同時に保ちながらである。


XV

 ユダヤ人の隆盛を研究する多くの学者たちは困難に突き当たる。彼らのダーウィン主義的な本能が彼らをして、ユダヤ人たちには自らを成功に導く他民族より優れた特質があると推定させたのである。マクドナルドは、ユダヤ人はより高い知性を持っていると結論付けた。それは優生学と注意深い結婚の結果であると。私は、彼の研究を読んだときに自分に誇りを持ってしまったのだが、それも私が隣人たちである実際のユダヤ人を眺め回したときまでだった。彼のコンセプトは現実との付き合わせに耐えるものではなかったのだ。では、より高い知性ではないなら、何だろうか?

 ダーウィン主義者の過ちは、成功を一つの社会的な機能として理解することができない点である。伝統的なキリスト教徒の社会では、成功のモデルは、詩人、聖人、芸術家、勇敢な兵士、優秀な労働者や農民、他人のためにより良い生活を送る者、といったものだった。ホーマーの時代のギリシャ人たちにとっては、the Feaciansたち【訳注:ホーマーの叙事詩オデュッセイアに登場するパイエケス島の住民】のすばらしいユートピアから学ぶことができるように、優秀なスポーツマン、船乗り、詩人、音楽家とダンサーが成功のモデルであった。この牧歌的な人々は、昔のオックスフォードの陽気な学生のように、貿易商人や資本家を軽蔑し、優秀なヨット乗りを好んだ。

 ユダヤ人たちによれば二つの異なった成功の概念がある。一つは、ユダヤ共同体の中での成功なのだが、タルムードの研究によって達成されるものであった。もう一つはユダヤ人とキリスト教徒の大きな世界の中での成功である。この成功は遠慮容赦のないカネと権力の積み上げである。

 ユダヤ人の観点から言えば、ユダヤ人たちは常に成功してきたことになる。彼らが二つの種類の成功を持っていたからである。しかし最近まで、ユダヤ人の外的な成功はキリスト教徒たちによっては認められていなかった。常に彼らと同じ観点を分かち合うキリスト教徒たちもいたのだが。しかしそれがリチャード3世(Richard III)とかハルパゴン(Harpagon)のレベルにでもなるとそれは成功のモデルというよりは怪物的であると受け取られた。【訳注:リチャード3世は実在の英国国王(在位1483-85)だがシャミールはシェイクスピアの描いた強欲で暴力的な悪党のリチャード3世を言っているようだ。またハルパゴンはモリエールが1668年に書いた戯曲The Miser(英語名)に登場する大富豪の高利貸し。】19世紀になって限度を超えた怪物たちの集団が成功を収め、かくして貨幣神信仰の世界が誕生した。議論(メディア+大学)への積極的な参加によって、ユダヤ人の考察者たちと思想家たちは貨幣神信仰的な成功の思想を推進させ、それを西側社会の基準的なものに仕立てた。現代のハルパゴンとリチャードは、アイアコッカ(Iacocca)やソロス(Soros)かもしれないが、貨幣神信仰の論議取りまとめ役たちによって創られた新しい社会の中で、幅広く成功を収めているのである。マルクスが位置づけたように、西側世界はユダヤ的になり、そしてそれはユダヤ的な成功の考えを採用した。平たい言葉で言うならば、ユダヤ人たちは「成功して」きたのではない。むしろ彼らの通常の行動が成功を表す代名詞となったのである。

 もし米国での成功に関する議論がアフロ-アメリカンの手の中に移されるのなら、ひょっとすると、優秀なスポーツマンとミュージシャンが成功した者と見なされるようになるのかもしれない。逆に法律家と銀行から失敗者と見なされるかもしれない。現在の貨幣と権力に対する崇拝に比べると、それは人類の将来にとってより良いことなのだろう。


XVI

 ユダヤ人たちの物質的な成功であっても奇跡を使って成し遂げられたものではない。二人のイスラエル人の映画監督であり映画制作者であるメナヘム・ゴラン(Menachem Golan)とヨラム・グロブス(Yoram Globus)によってある試験的な説明が為された。映画芸術としての成果という面では明らかにBクラスでしかない貧弱な才能の人々が、ハリウッドで財を成し、そして失敗に苦しむときまで多くの劣悪な映画を作り続ける。彼らの成功の鍵は上下に伸びたネットワークである。ゴランとグロブスはイングランドと連合王国中の映画館を買い、そしてそこで彼らが選んだ映画を上映した。彼らはいつも決まって(まあほとんどだが)駄作を選んだ。趣味が悪く才能も能力も持っていないからだった。彼らは言った。もしあなたが映画館のチェーンを持っているなら映画の質について心配する必要は無い。グローバリゼーションとネットワーク作りが評価による競争を避ける道なのだ。質の良いカフェーを開くのではなく、すべてのカフェーを買い取ってスターバックに変えてしまう方が簡単だ。人々はあなたのカフェーに来ざるを得なくなるだろう、と。

ユダヤ人の成功の、第2の理由は我々のお互いの心理的な融和性である。敵対者たちは通常これをユダヤ「フリーメーソン」と、ほとんど陰謀として描く。しかし同じ物事を好むことはユダヤ人にとっては極めて自然なことなのだ。イングランド人がベーコン・エッグを好むのと同様である。にもかかわらずそれは人類の進歩にとって問題を作り出してしまう。1920年代のプラハで、二人の同じくらいに質の高い、しかし全く異なった傾向の作家がいた。一人は疎外感を感じる抽象派のフランツ・カフカ(Frantz Kafka)、そして土着のチェコ人の共産主義者であるジャロスラフ・ハシェック(Jaroslaw Hasek, Jaroslav Hašek)である。二人とも良質であり、二人とも人類の進歩にとって必要である。しかしカフカの才能はユダヤ人たちにとってより好みに合うものである。ユダヤ人の文学の教授や新聞編集者がチェコ人のそれよりもはるかに多いために、当然のごとくカフカは一般的に知られ認められているのだが、一方のハシェックの名前はボヘミヤに残るだけである。ハシェックのことを考えるよりもカフカを真似する作家のほうが多い。結果として人類は、米国人だけではなく、より益々「ユダヤ的」に変わってしまう。作家たちは知っている。彼らはユダヤ人の編集者と教授の好みに合う方法で書かなければならない、と。さもないと彼らは小さな区域でしか成功を期待できなくなるのだ。こうやって、何の陰謀もなく、普通の人間のユダヤ的な傾向が、その美しい多様性を滅ぼすことによって、人類の精神を支配していくのである。

 いまこれらの問題が解決される可能性がある。ある程度までの個人的な主導権は良いのだが、ネットワークを作ることは禁止されるべきだ。自分が所有する書店や映画館やカフェーは良い。しかし2軒目に対する買い入れや支配の確立は犯罪として処罰を受けるべきである。

 北極地方のジョークなのだが、一人のイヌイットが米国を訪れたとき蒸気機関車にはねられた。彼はその事故で死ぬことはなかったが、しかしそれ以来、彼はヤカンを見ると片端から壊すのである。彼が言うには、それらは小さなうちに芽を摘んでおかねばならないそうである。独占化とは何かを知ってしまった後では、我々はこの賢いイヌイットのアドヴァイスに従うべきだろう。我々にとって100軒のスターバックスよりも100軒の異なったカフェーのある方が良いのだ。

 人間の収入は工業での平均賃金の2倍までに上限を付けられるべきである。その金額を超えるものがあるなら、税金が100%を超えるべきだ。役員手当ても同様に厳しく押さえられなければならない。メディアや論壇は広く解放されなければならない。人間の思考の分野ではユダヤ人のバラモン的な傾向を白日に曝し対抗者を与えられるべきである。このバラモン階級は敵ではない。しかしその支配に向かう伝統的な傾向は、より良い透明性と責任の持たせ方によって中和させられねばならない。

 我々の統一性を宣言する霊的な交わりが確立されなければならない。それは利益や人種差別への拒絶を含むものである。聖アンブロウズ(Ambrose)【訳注:4世紀のミラノの司教であり聖アンブロジウス(Ambrosius)とも言う】は申命記23:19への注釈で次のように書いた。『取立ての厳しい高利貸しは死刑に当たる罪ではない。戦争する権利があるというのなら、同様に高利貸しにも権利があるのだ。』[17]兄弟や姉妹たちと霊的な交わりを分かち合う人々が高利貸しを呪うことは無い。しかし、もしその交わりがなくなったならば、高利貸し、際限の無い搾取と奴隷化が登場するだろう。奴隷は北米のカルヴァン主義者とユダヤ人たちによってもたらされた。しかしながら、一つの教会で人々が霊的に一致していた場所では奴隷は知られなかったのである。

 そのウィットに富んだCatch-22の中で、ジョセフ・ヘラー(Joseph Heller)は【訳注:ジョセフ・ヘラー(1923-99)は米国の風刺家でCatch-22は彼の1961年の作品である】不信仰について彼の牧師に一般的な質問をしている。『下士官たちは我々が祈るのと同じ神に祈っているのでしょうか?』これは分かち合われる霊的一致の無い世界についての考えである。タルムードがユダヤ人たちにキリスト教徒と一緒にワインを飲むことを禁じるのは理由の無いことではない。ワインを分かち合うことは霊的な一致だからである。ユダヤの律法の目的がキリスト教徒に対するユダヤ人のゆるやかな戦争を維持することであったため、ユダヤ人は同様にキリスト教徒に対する無利子の貸付を禁止された。霊的な交わりを分かち合うことで、社会はこの困難さを克服するだろう。

 こうすることによってユダヤ人の興隆は人類の興隆へと転化させられるだろう。

 このユダヤ民族(the Jewish people)に関する長い物語は未知の結末に向かっている。それは共有性の拒絶から始まった。そしてそれは再び問いかけられる同じ疑問によって終わる。もしシオニズムとその兄である貨幣神崇拝者たちが世界的に勝利するなら、それは多様性と憐みと精神を取り除くかもしれない。もし共有の精神が勝つなら、昔の予言が実現するだろう。我々は言おう。我々は一つの血に属する。パレスチナの人々、アブラハムのと古代イスラエル王国と使徒たちの末裔、パレスチナの正当な住人たち、そしてその近い親戚縁者たち、さ迷えるユダヤの民衆――彼らは父親の土地に戻った放蕩息子のよう帰ってきたのだが。カクン(Kakun)とスバ(Suba)の、パレスチナの村から追放された息子たちは、戻ってきて廃墟となった町を再建するだろう。二度と滅ぼされることがないように(アモス9:15)。聖なる地では一つの民族の二つの枝、ユダヤ人とパレスチナ人がまとまり、結婚しあい新しい民を作り出すだろう。ノルマン人たちがイースト・アングリアとシシリーとノルマンディーで行ったようにである。そして二度と世界の平和を乱すことは無いだろう。

【作者による注釈】

[17] The quote supplied by David Pidcock


【以上、翻訳作業、終了】

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