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『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第3回
これは次の拙稿の続きです。(4回シリーズの第3回)
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/298.html
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第2回
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/296.html
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第1回
この文章はイズラエル・シャミールによる、2001年秋、9・11事変直後の作品です。
原文Url
http://www.israelshamir.net/English/Medina.htm
[1],[2]などは原作者がつけた注釈ナンバーです。その他の私からの注釈は【訳注: 】の形で訳文の中にはめ込んでおきます。またこの文章の中には、日本語ではその違いやニュアンスが非常に翻訳しづらいJew, Jews, Jewish, Jewry, Judeo-, Judaismなどが多く出てきます。普通に「ユダヤ人」と訳す場合はa Jew や(the) Jews、また形容詞的に「ユダヤの」「ユダヤ人の」はJewishですが、紛らわしい場合には原文を添えておきます。
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IX
しかしながらマクドナルド教授は、キリスト教徒がユダヤ人を支持する理由をあまりに単純化しすぎるという間違いをしている。ブッシュやラムズフェルドは別として、あるいは立身出世主義者は別として、ユダヤ人を支持する善良な非ユダヤ人たちがいる。ちょうどイサック・ドイチャーの定義による、異端者のユダヤ人や「非ユダヤ的ユダヤ人(non-Jewish Jews)」がいるのと同様である。これはユダヤ共同体の内部にある遠心的な傾向と求心的な傾向という矛盾した本性のためである。非ユダヤ人と出くわす際の個々人の反応によって、ユダヤ人は遠心ユダヤ人(Rim Jews)と求心ユダヤ人(Core Jews)というように分類ができる。遠心ユダヤ人は、結婚することによって、キリスト教や共産主義や他の信条を受け入れることによって、神との霊的な交わりを求めることによって、共同体から去っていこうとする。求心ユダヤ人はゴイムに対する永久の戦争の中で共同体の優越性を宣言する。千年間続く綱引きの中で、キリスト教徒はこの求心性を無効にしようとし、その一方でユダヤは遠心性を破棄しようとする。
それが、どうして2種類の「セム族愛好者」がいるのかの理由である。その一つである善良なキリスト教徒は新しい精神的な安らぎを期待する。彼らは聖書のポジティヴな部分、「汝の隣人を愛せ」に影響を受けている。彼らはユダヤ人たちがかもし出す共同体、所属、伝統の精神を好む。彼らは詩的な本性を魅了する「アウトサイダー」の松明を好む。多くの人々がおり、彼らは自分たちが直接に触れる環境の窒息しそうな退屈さを打破したいと望んでいる。アイルランド人の作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)はブリテン人との血まみれの争いから離れる道としてユダヤ人を見た。マリナ・ツヴェタエワ(Marina Tsvetaeva)はロシアの詩人で、その安定した中間階層の家族の中で自分自身をアウトサイダーであると感じそして書いた。「この大部分のキリスト教世界において、すべての詩人はユダヤ人である」と。ウッディ・アレンの初期の喜劇に出演する魅力的な女優たちは、この内なる異邦人、ユダヤ人に魅惑されているものである。
このような人々がユダヤ共同体の外周部にいる遠心ユダヤ人と常に会っているのは偶然ではない。ジョイスにとってのユダヤ人はイタリアのユダヤ人作家イタロ・スヴェヴォ(Italo Svevo)、ツヴェタエワにとってのユダヤ人はロシア共産主義者のスパイ、セルゲイ・エフロン(Sergey Ephron)であった。ダイアン・キートン(Diane Keaton)とミア・ファーロウ(Mia Farrow)にとってのユダヤ人は愉快なアウトサイダーであるウッディ・アレンだった。ユダヤ共同体の外周部は極めて大きく、そこには常により善良な種類のキリスト教徒異端者との混在がある。
同盟の第二のセットは、ユダヤ・イデオロギーの実際的な面の真価を認める熱心な資本家たちによって作られている。彼らはマフィアの思想とカネの追求を好み、モラルと他人の財産や生命にすら必然的にもたらす社会的な結果を無視する。あらゆる人間を敵と見なし人生を終りの無い戦争と見なす人々は、ユダヤ・イデオロギーの中で、見知らぬ人間は誰も「隣人」ではない、と発見する。それが、最も残虐な支配者、領主、王たちが顧問や大臣としてユダヤ人を選んだ理由なのだ。彼らはユダヤ人たちから自分の臣民をどのように無視すれば良いのかを学んだ。ネロやペドロ残酷王(Pedro the Cruel)、コンラッド・ブラック(Conrad Black)やマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)、マフィアのゴッドファーザーたちと第三世界の独裁者たちは、求心(遠心に敵対する)ユダヤ人たちを好んだ。
【訳注:14世紀のカスティーリャ王であるペドロ残酷王については
http://en.wikipedia.org/wiki/Pedro_the_Cruel 、コンラッド・ブラックについては http://en.wikipedia.org/wiki/Conrad_Black を参照せよ。】
このようにして善良な人々は彼らのユダヤ人と付き合い、邪悪な人々は彼らのユダヤ人と付き合う。ここに問題がある。善良な人々のユダヤ人はアウトサイダーであり、彼らはほとんどユダヤ人として評価されない。一方で邪悪な人々のユダヤ人はパワフルなユダヤ人指導者たちである。そしてこのユダヤ友愛団は構造的に支配階級の団体であり、その権威主義的なリーダーシップに強く影響されている。無自覚のうちにだが、善良なユダヤ人たちは邪悪なユダヤ人たちに利用されてきた。アルバート・アインシュタインはユダヤ共同体を拒絶し、シオニズムに反駁し、決してシナゴーグに行かず、そして彼自身は魅力的な人物だった。しかし彼の研究成果は邪悪なユダヤ人たちによって彼ら自身のコンセプトを推進するのに利用されたのだ。
このようなことは、次の点を理解しようとする人があまり多くないために起こるのである。ユダヤ人は民族でもなく、宗教でもなく、人種でもないのだ、彼らは準宗教的組織(quasi-religious organization)である。ブラウザーとメール発信人がウインドウズの中で一くくりにされるようにカトリック教会がIMFと共に一くくりになっている、それと似たようなものだ。あらゆる種類のカトリックを見出すことができるだろうが、しかし決定はローマで為される。あらゆる種類のユダヤ人が見出されるだろうが、しかし決定はウォール・ストリートで為されるのである。
求心ユダヤ人に対する戦いの間には、遠心ユダヤ人に対するサポートが大切だ。これはキリスト教会の伝統的な手法だった。ユダヤ人(Jews)の精神のためにユダヤ(Jewry)と戦うのである。ユダヤ・ゼロテ党員【訳注:ここではシオニストを指す】である‘マッド’・ゴールドハーゲン(Goldhagen)は彼の本の中で、教会は「アンチ・セミティック」でありその方針がユダヤ・ホロコーストを導いた、と主張した。これほどに誤っていることは無いだろう。教会は精神を正そうと望んだのであって、肉体を殺そうと望んだのではない。実に、ユダヤ人の真の利益とユダヤ人が対立しあっているのだ。
【訳注:ゼロテ党は「熱心党」ともいい、ユダヤの独立を主張して古代ローマ帝国に反抗したユダヤ人集団を指す。またDaniel J. Goldhagenについては 次を参照せよ。http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Goldhagen 】
ユダヤのエリートたちは人々が選択権を与えられるべきであると知っているが、彼らはどれを選んでも確実に誤った選択になるように努めている。そのことが、貨幣神崇拝ユダヤ人がシオニスト・ゼロテ党を支持する理由だ。彼らは我々ユダヤ人に、二つの邪悪のどちらかを選ぶように望んでいるのである。ゼロテ党か、あるいは貨幣神崇拝者か。しかし「第3の哲学」も同じく存在する。その熟達者たちは人類の偉大な友愛団体を信奉しており、ゼロテ党のヘイトと世界支配を目指すパリサイ人の指導のどちらをも拒絶する。彼らは様々な政治的・宗教的な学派に固執して、政治地図の中で左翼になるか右翼になるかでき、キリストやアラー、レーニンやチョムスキー、ニュー・エイジやブッダ、芸術や愛を信じ込むことができる。彼らはイスラエルの半端布(はぎれ)であり、聖パウロによって宣告されたものである。それらが人類に浸透していく中で、キリストの次の言葉が実現されるだろう。一粒の麦は死んで、そして生きる。一粒の麦が生きるなら、それは死ぬのみである。
死と復活の物語は次のような神話的な意味を持っている。死と消滅を恐れてはならない。それが生命へと続く道だからである。ユダヤ人として死んだユダヤ人は生き続けた。スペインでユダヤ共同体が終りを告げた後に、アビラのサンタ・テレサやサン・フアン・デ・ディオスはユダヤ人として死に永久にその生命を残した。【訳注:アビラのサンタ・テレサ1515-1582、サン・フアン・デ・ディオス1495-1550はともに改宗ユダヤ人であり、現在もスペイン・カトリックの中で極めて重要な位置を占める聖人。】アムステルダムやモロッコに行った追放者の名は消え去り忘れられている。彼らはユダヤ人として生き続けた。そして永遠に死んだ。それは1917年にロシアで繰り返された。ユダヤ人として生き残った者達は永遠に死んだ。革命に加わった者達は永遠に生きる。
XIII
【訳注:ここで章番号9と10の間に13が入っているが、作者が番号を間違えたのか、あるいは、元々の2001年の文章では番号どおりになっていたものを2006年に再び取り上げる際に、意図的に順番を変えたのか、判明はつかない。しかし原文通りの順番で翻訳しておく。】
9・11の直前に、米国議会の一グループがパレスチナを訪れ、その中の一人が新聞の見出しになった。それはシェリー・バークリー(Shelley Berkley)議員(ネヴァダ選出、民主党)であり、彼女はパレスチナの長官サエブ・エラカト(Saeb Erakat)にこう言った。『ここは私たちの国です。私たちは戦争に勝ったのです。もしパレスチナ人たちがユダヤ人の支配の下に生きることを望まないのなら、ここから出て行くことを妨げないでしょう。』
シェリー・バークリー先生の言う『私たち』とは誰のことか? 彼女は明らかに『我々米国人』の意味で言ったのではない。あるいは彼女をワシントンに送った『ネヴァダ州民』でもない。私の知っている限りでは、ネヴァダは中東戦争を行わなかったはずだ。一部のナイーヴな人なら、たぶん「イスラエル」と答えるだろうし、そして彼女を「二枚舌の忠誠」で非難さえするかもしれない。手厳しい評論家先生たちは、彼女の忠誠心をある外国に切り替えたことで彼女への投票者の信頼を裏切ったとして、彼女に不信任を突きつけるかもしれない。しかしそれは不誠実な誤読解であろう。ミス・バークリーは決して忠誠心を切り替えたのではないのだ。下院と上院の他のメンバーと同様に、彼女はたった一つの忠誠心を持っている。それはユダヤの大義(the Jewish cause)に対するものである。
ミス・バークリーの言う事は筋が通っている。もしネヴァダ州民や他の米国人たちが激しいユダヤの影響の下に生きることを気にかけないのなら、どうしてパレスチナ人がそれを気にすることがあろうか? 米国人たちは明らかに、彼らの富がグリーンスパン氏の連邦準備委員会の傘の下で、複数の巨大な投資銀行によって運用されていることに対して、全く気にしていないのだ。イエスは救うがモーゼは投資する。ユダヤの影響はその掛け金が止まる場所で終わることはない。米国人の理想はハリウッドによって、その貪欲と成功のカルトをもって形作られている。彼らの思考は大学とメディアの中にいるユダヤの賢人たちによって与えられる。慰めを求めて彼らは「ニューヨーク・タイムズ」チキン・スープをすする。彼らの歴史はホロコースト研究の方向に押し縮められてきた。彼らの本はベロウ(Bellow)とマラムッド(Malamud)【訳注:Saul Bellow,1915-2005、Bernard Malamud,1914-1986は共にユダヤ系米国人の作家】によって書かれている。米国人たちは自国の政治家たちがユダヤの大義のみに心をそそぐ人々の手中にあることを気にもかけない。
彼らがそれを気にしないというのなら、一人のイスラエル・ユダヤ人である私が、どうしてそんなことを気にかけるだろうか? 我が兄弟である米国ユダヤ人たちの偉大な成功に対する誇りの感情などどうでもよいのである。結局、一発の銃声も無しに唯一の超権力を支配することは何ら偉業ではないのだ。これは修辞学的な問題ではない。それは一つの解答を持っている。そしてそれは「自虐的」ではない。私は身分自身に、そして私が出会うユダヤ人の少数派に、完璧に満足している。自虐どころか我々は素晴らしくそして愛すべきものである。そう、他の誰もが素敵であるように。しかし同時にまた、我々は恐るべき強圧的な貪欲で強欲な権力に闇雲に突っ走る社会的マシンを形作る。私は、偉大な米国人ヘンリー・ソロウ(Henry Thoreau)がアメリカ帝国を愛した、ヴォルテールがカトリック教会を愛した、オーゥエルがスターリンの党を愛したのと同程度に、「ユダヤ人」を好んでいるのである。
ユダヤ(Jewry)はイスラエルのユダヤ人たちの敵となっている。パレスチナ人の隣人たちと、教会やモスクと、平和に共存したいと望んでいるイスラエル人たちは、米国ユダヤ人指導部のむき出しの筋肉に対抗できないのだ。善良なイスラエル人たちとそのパレスチナ人の同盟者は、そうするだけの力を持たない限り、勝つことができない。ノルゥエーの物語で、英雄神Thorがその力を試すためにUtgardにやって来た。Utgardの神々は彼に一本の角に入った水を飲み干してみろと注文した。彼はやってみたが失敗した。その角は井戸につながっていたのだ。その連結を断ち切ることによってのみ、彼はその注文に応じることができるだろう。もし、海外に住む私の読者たちであるあなた方がユダヤの支援の海をその場所で食い止めるなら、我々イスラエル人とパレスチナ人はこの地で物事を変化させることができるだろう。あなた方の中にいるユダヤ国家の支援者たちは、あなた方と我々の利益のために、封じ込められるべきである。
X
数ヶ月前のこと、私は旅行でアマゾン盆地の、マドレ・デ・ディオス川によって深く刻むように作られたペルヴィアン・ジャングル【訳注:ペルー南東部】に行った。この離れた地に、果てしなく続く森の中に小さなカヌーでないと渡ることのできない小さな川のある湿地帯が何マイルも広がっている。プエルト・マラドナドから長い船旅をした後、私に付いた現地人のガイドが、色とりどりのインコと私の肩に座る人なつこい猿たちのいるロスト・ワールドに連れて行ってくれたのである。私はそこで細い小道の縁に一本の巨大な木があるのに気付いた。それはジャングルにある他のどの木よりも大きかった。その巨大な根っ子は何ヤード【訳注:1ヤードは約90センチ】にも広がっていた。これが「電報の木(telegraph-tree)だ」と、私のガイドが教えてくれた。彼がその化け物のような木の幹を叩くと音がジャングル中を響き渡った。その巨木はがらんどうだったのだ。
私はそれを間近で眺め、そして今まで見逃していた奇妙な特徴に気付いた。地上およそ7ヤードほどのところに、もう一つ別の幹が、部分的に飲み込まれてしまっているヤシの木が、取り巻いている滑らかな樹皮の中から突き出していた。この「電報の木」は怪物じみた寄生生物であり、ヤシの木の表面で育つ。この寄生生物は自分自身の幹を持たないが、宿主の木を取り囲んでその表面で大きくなる。そして次第にそれを覆い尽してしまいその命を支える樹液を飲み込んでいく。取り付かれた木はその殻の中で枯れて腐っていき、そして空洞の幹が新たに高く伸びて、地元のインディオたちにとっての完璧な太鼓を作り上げるのだ。
これはアメリカ合衆国の生き生きとしたイメージであった。この巨大で空っぽの幹は国々の森の上にそびえ立っているが、中は死んでいるのだ。アメリカ帝国は没落の時期に入っている。ドルはまだ世界の通貨だし、米軍はまだ手の付けられない戦争マシンであり、株式市場は何兆ドルを動かすのだが、しかし、この西側の偉大な国は精神的には取るに足らないものである。米国の政治的な生命はメロヴィング王朝の最後の日々を髣髴とさせる薄暮の状態に入っている。一人のアウトサイダーにとって、この2億7500万人が住む国が、二人の阿呆、ブッシュおよび/またはゴアよりもマシな指導者を見つけることができない、など、ほとんど理解できないことである。両者とも意志薄弱と基本知識の欠如と、そして政治的意思の全面的な空白をあらわにする。たぶん平均的な都市ならこの二人よりもマシな人物を市長の候補者に立てるだろう。
全面的な政治的沈滞は心の弱さに付き添われる。マス・メディアと出版界で見る米国は馬鹿である。第2次大戦前に出されたものと比べると、新しい本にロクなものは無い。米国のテレビは人間の知性を侮辱する。劇場は腐ったカスに満たされ、ビデオテープがアメリカ芸術でございと称している。このユダヤ-貨幣神崇拝者による(the Judeo-Mammonite)乗っ取りは米国の生命力を断ち切り、人々を消費の中に導き入れた。
XI
米国の「ユダヤ」精神は、マルクスによって告発されたものだが、ユダヤ系米国人のジャーナリストであるフィリップ・ワイス(Phillip Weiss)によって輝かされ賞賛されたものである。[12]
《我々が密かに知っているあることを、誰もが言い出すことを許されていない。ユダヤ人が米国を変えた、ということを。公民権運動はユダヤ人の正義についての価値観を反映したものである。フェミニズムはリベラルなユダヤ人の女族長主義の価値観を反映したものである。メディアの中で空前絶後の権力を持ったユダヤ人たちは、情報化時代の到来を告げた。心理学がお手の物であるユダヤ人とハリウッドのユダヤ人は、Seinfeld【訳注:TVのコメディ番組】、Weinstein【訳注:人気TVアニメの人物】などで民衆文化の言葉を変えた。そして我々の社会全体を通しての教育的成功に対する新たな強調はユダヤ人の学習への愛情を反映している。私は財政や法律についてはあまりよく知らないが・・・。こういった流れが米国をより公平にしより創造的にしてきたのだ。ユダヤ人は教会と国家の分離を促進してきた。公的により重要な物事に対する教会の影響の大幅な減少は、世俗化したユダヤ人たちが文化的な力量を手に入れたこと抜きでは起こらなかっただろう。そして今まで誰もこのことについて語らない。支配的な文化における最も重要な変化は、過去25年間に起こり、そして誰にも語られないままだ。》
このワイスのうぬぼれに満ちた自己讃美はある種の冷静さを呼び起こすものである。これらの変化をより幸福に満ちたとはいえない光の中で見ることができるのだ。ユダヤ人が米国を変えたのは過去25〜30年の間だ、とワイスは言う。これらの年代は米国のユダヤ人にとって黄金の年月であった。彼らの権力と影響力のシェアは成長した。しかしこれらの年月は米国の非選民たちにとってはむしろ悪い時代だった。英国の週刊誌エコノミストは、ネオ・リベラリズムの熱心な支持者なのだが、最近次のように報じた。[13]
《貧者と富裕者の間にある差が広がっている。米国ではこの20年間で、人口比で上から5分の1に当たる富裕層の収入は下から5分の1に当たる貧困層のそれと比べて、9倍だったものが15倍へと増加している。1999年には、英国の収入の不平等はこの40年間で最も大きなレベルになった。》
ユダヤ人の影響の増加は社会の分裂を伴った。金持ちは益々金持ちになり、貧乏人は益々貧乏になり、中産階級は失われていった。それは予想されるべきことだった。伝統的にユダヤ共同体の繁栄は一般の人々の利益に逆らって進むのである。聖書は我々に、ヨセフとその兄弟たちに関する祖形的な話を与えてくれる。彼らは普通のエジプト人をファラオのための奴隷にすることによって繁栄した。残虐王ドン・ペドロの時代のスペインでユダヤ共同体は国王の側に付いて一般の民衆と敵対していた。17世紀のポーランドやウクライナでも同様だった。欧州のどこででも王宮の隣にユダヤ人の居住区が位置していたのは根拠の無いことではなかったのだ。
「メディアの中で空前絶後の権力を持ったユダヤ人たち」はそのいつものたわごとに携わった。イスラエルを褒め称えること、ユダヤ・ホロコーストを嘆き悲しむこと、イラクでの大量殺人から米国での黒人の進歩への妨害にいたるまでの、あらゆる唾棄すべき日常的な事柄を支持すること、等々。ユダヤ人の下で、ハリウッドはアメリカ映画をずっと暴力的なものに、押し付け道徳的なものに、押し付けがましいものに、そして俗物的なものに作り変えた。映画界にはウッディ・アレンのような善良なユダヤ人もいるが、しかし彼はハリウッドにはいないしいずれにしてもアンチ・セミットと見なされている。法律の世界では、ユダヤ人の伸張は米国をより公正な社会にはせずに、より激しい訴訟社会にしてしまった。「ユダヤ人弁護士」は夜中に子供を震え上がらせるお化けのような存在になってしまった。「教会と社会の分離」は強制的な反キリスト教化と反精神主義化と見なすことができる。
XII
米国は何通りものあり方でユダヤ国家になっている。イスラエルと同じセキュリティー・チェックがあり、同じホロコースト博物館があり、同じように多数の貧困者と少数の金持ちがいる。この相似性は同様にその味方と敵によっても感じられる。デイヴィッド・クイン(David Quinn)[14]はサンデー・タイムズに次のように書いた。アイルランド知識人が持つ米国の政策に対する拒絶の感情が「あまりに強く、あまりに明白で、あまりに非理性的(!?)であるために、私はアンチ・セミティズム以外の何物をも思い起こすことができないのだ」と。クインは続けて言う。
《米国人たちは、この世界の半分にとっての生贄の山羊としての選択肢となっている点で、ユダヤ人と同様である。ユダヤ人たちは世界の経済をコントロールしていると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは文化と芸術のコントロールを通して退廃を推し進めると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは自分の権力を極悪な使い道に投入すると非難された。そして米国もそうである。》
《米国の力と富、そしてそのユダヤ・ロビーの強さを前提として見た場合、中東で反米と昔からのアンチ・セミティズムを混ぜ合わせて本当に猛毒のスープを作ることは簡単なことだ。何千万人もの人々がこの調合物を飲んで、そして今、ワイマール共和国の多くのドイツ人たちと同様に米国への憎しみに満たされているのだ。》
《オサマ・ビン・ラディンとその支持者たちはその理論的な帰結としてその嫌悪感に従った。ヒトラーが次のように語ったのと同様である。もし米国が本当に世界の問題に責任があるのなら、米国とその国民は根絶されなければならない、と。》
この記事は重要である。これがユダヤ-アメリカ主義(Judeo-Americanism)が染み込んだ者の深層意識を表明しているからである。クインはユダヤ人とネオ-ユダヤ人(Neo-Jews)にアピールしている。米国を支持せよ。米国が、ユダヤの政策を実行して正常な反ユダヤ的(anti-Jewish)反応を引き起こす、ユダヤ国家だからである、と。クインはユダヤ人とアメリカが同一のものであることを認めており、そして彼は新ユダヤ人プロパガンダの常套句を数多く使用する。
それらの常套句の一つは、ユダヤ/アメリカの政策に対する拒絶が「非理性的(irrational)」だ、というものである。次のような信仰の教義があるからだ。『汝、何故に己らの政策の拒絶を生ぜしむるか理解せんと努むるなかれ。ホロコースト教(holocaustism)の預言者であるエリー・ウィーゼル(Elie Wiesel)はあらゆる機会に次のように繰り返す。「全く非理性的だ・・・何の説明もつかない・・・何の理由も無い・・・、ただユダヤ人に対するあらゆる人々の純然たる嫌悪があるのみだ」と。そしてラビ・トニィ・ベイフィールド(Tony Bayfield)が、変わらぬユダヤの熱心さでその意を繰り返す。[15]
《私は、そのような行為(ペンタゴンに対する攻撃など)がある意味で正当化できることはもとより理解さえできることだ、などと抜かすようなヤツラに対する激怒で、はらわたが煮えくり返っている》と。』
私はラビ・ベイフィールドを個人的には知らないが、敢えて荒っぽい推察をしよう。もしあなたが彼にデイル・ヤシンを説明したならば、あるいはイラクでの大量殺戮でもよいが、彼は次のように激怒ではらわたを煮えくり返らせるだろう。どうしてそれらと比較できるというのか!と。彼は、それらの大量殺人は正当化できはっきり理解できることはもちろんである、と見なすだろう。だがユダヤ人が苦しむときは常に、何かの神話的な手段によって以外には、説明も理解もできないのである。
クインは、あらゆる新ユダヤの弁護人同様、否定不可能なことを否定する。彼にとっては。米国は世界の経済をコントロールしていないのだ。この国がそれで非難されているからである。たぶん、米国は北米大陸の大きな部分を占領していることだけで非難されるのだろう。クインのイメージの中で、それは小さな居留区の貧しい家にでも住んでいるのだろう。私はデイヴィッド・クインの出自を知らないが、しかし彼ほどにユダヤ的な人間は誰もいるはずがない。
クインにとっては、ユダヤの優越性/アメリカの支配に敵対する者は、誰であろうがユダヤ人/アメリカ人を殺そうとする新たなヒトラーなのだ。ナセルはスエズを国有化したときにヒトラーだった。アラファトはヒトラーでありベイルートはその隠れ家だった。ソヴィエト・ロシアは、モスクワがヒトラーを打ち倒す役割を果した瞬間以来、ナチス・ドイツと同様のものだった。オサマ・ビン・ラディン、あるいは「何千万人もの中東の人々」は新しいヒトラーとなった。この比較の背後にある思想は、それらの「何千万人もの」イスラム教徒たちがヒトラーとその「ワイマール共和国の多くのドイツ人」同様に取り扱われるべきである、というものである。
ユダヤ-アメリカの論調はそのユダヤ人の先輩たちからこの悪魔化のアイデアを引き継いだ。敵対者に対する議論の中に激憤と憎しみと満ち満ちた復讐心を導入することは、強力で伝統的なユダヤの思想的武器である。それは共同体の中では決してスイッチを入れられることがなく、その外側に対して使用される。悪魔化と激憤は幅広い不快感と論調の偏向を引き起こし、そして結果として社会を破壊する。オックスフォード大学でチャバッド・ラビを務めたラビ・シュムエル・ボテアック(Shmuel Boteach)は、このユダヤ人のやり方を、彼の作品中の「嫌悪すべき時(A Time to Hate)」という項目で次のように紹介した。
《米国に対する恐ろしい攻撃をしでかした卑劣な野蛮人どもに対する適切な返答は、我々の存在のすべてをかけて彼らを憎み、彼らの動機を理解しようとするかもしれないあらゆる同調のカケラからも我々自身を引き離すことである。憎しみこそが価値のある感情である・・・。キリスト教は殴りかかる相手にもう片方の頬を向け憎むべき者を愛せよと勧めるものだが、それとは対称的に、ユダヤ教は我々に全力をあげて憎むべき敵をさげすみ抵抗することを義務付けている。我々にとって、信仰の名の下に〈罪人〉に対して許しと共感を広げることは、危険な罠であるばかりでなくG-dを嘲る好意である。G-dは全員に憐みをかけるのだが、無実の者にとっての正義を要求している。ヒトラーに対する唯一の返答は心底からの軽蔑と激しい嫌悪である。手に負えない邪悪さに対して対応する唯一の方法は、それが地上から完全に根こそぎにされるまで続く絶え間の無い戦いを起こすことである。私は、ヒトラーとその同類を嫌悪しないどのような文化も同情には値しないものであると主張する。実際に、殺人者に対して親切心を示すことは犠牲者に繰り返し暴行を加えることである。したがって正義のためには、邪悪な人間に対する適切な対応とは、その人物を我々の全存在をかけて憎み、この世においても次の世においても彼らが何の安息も得ないことを望む、ということである。》
【作者によるここまでの注釈】
[12] Source: NY Observer of 22 January 2001 by :Phillip Weiss
[13] June 16, 2001
[14] Blaming America, Irish Edition, Sunday Times
[15] Guardian, 14 September, 2001
[16] http://www.arutzsheva.org/