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メラビアンの法則と云うものがある。
まあ、若干問題なども指摘されているが、それを信じるのなら「一般的社会においては、約7%程度の人しか、理論的判断力がない」と考える事ができる。
実に93%の人は「目(55%)」と「耳(38%)」で、人を評価してしまうのである。
最初に若干問題に触れたが、現実に「この性質は多くのセールス技術に利用されている」のであるから、欧米人と東洋人には差があるとか、パーセントの微調整などは考慮する必要は有るにしても「ある程度は正しい法則」であり、この法則は「詐欺師に重宝される法則」だろうと思う。
見た目が「好感の感じる人」は善人で
見た目が「不快感の感じる人」は悪人と55%の人が「会話の内容に関係なく」思い込んでしまうのである。
これでは「見栄えの良い人」がその気になれば、詐欺師として成功する確率は高いだろう。
多くの企業が「商品の中身」ではなく「セールスマンの見栄え」に重点を考えるようになる。
声の悪い人は「嘘つきの確率が高い」との仮説を提唱すれば、多くの人から「馬鹿な事言うな!お前は差別論者か?」というようなお叱りを受けそうだが、約38%の人は「声から、相手を判断する」のである。
まあ、Kも電話の相手は「可愛いそうな女性の声」の方が良い。
人間は「感情に支配される動物」である。
民衆の感情を刺激し、操作する事によっては「戦争」だって起こせる可能性もある。
ナチスのヒットラーは「民衆の感情を支配・誘導して、独裁者になり、ドイツを戦争に突入された」と云うの歴史認識とも思える。
しかし、同レベルの論客AとBの二人がいて「Aが好きだから、Bが間違っているに決まっている」というなら、それは間違っているだろう。
同レベル論客ならAの正しい確率は2分の1であり、Aを贔屓する人は結果的には合っている可能性は有るが「Bの方が間違っているに決まっている」のではなく、たまたま「今回はAの方が正しかった」だけである。
AとBのどちらの意見が正しいかは、内容の分析を行い、論理的に判断するべきであり、贔屓とか主観はできるだけ排除するのが正しい「判断の仕方」だろう。
こんな事は猿でも分かる事で「Kがワザワザ書く事ではない」のだが、これを自分に当て嵌めて考えようとしない人が多いから「メラビアンの法則」なる法則が成立しているのである。
自己検証、自分を省みる、自己批判・・・言葉は何でも良い、問題は「中身であり」それを実行しているか、いないか、だけである。
そして、そんな事も分からない人が「93%」もいるから、この世は「悪い方向に流れていく」のである。
メラビアンの法則を知っていて、利用しようと云う意見は多くある。ビジネスなどに都合の良い「習性」だから、誰も「その性質を治そう」などとは言い出さない。
しかし「そんな非論理的な性質を治そうとしないから、人間社会は何時まで経っても良くならない」のだろうと思う。