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『柊羽ちゃん誘拐攻防50時間・・・▼父親は駐留軍人、ハーフでモテモテ』
は、根本信安容疑者(54)の生い立ちを指すものでしょうか?
誰か、この記事を読まれた方、教えてください。
ちなみに、犯行現場のスペルマン病院は、当時の駐留米軍と来日したNYのスペルマン枢機卿の援助で、1952年から準備を始め、1955年に設立されています。
参照投稿:『<乳児誘拐>生後10日の男児連れ去られる←「裏世界のすべてに通じた黒い教皇」が作った仙台のカトリック病院』
根本信安容疑者が1951年〜1952年の生まれなら、当時の駐留米軍の軍人を父に持つのも不思議ではないし、日本同様に米軍が長く駐留していたフィリピン生まれの妻ともども、カトリック系の可能性も。
1945年秋の進駐軍上陸以降、日本の津々浦々に作られたにカトリック系の教会にも注目。
参照投稿:『松下幸之助とスペルマン枢機卿【創業者 松下幸之助の生涯】、および聖母献身宣教会』
スペルマン病院の院長は「犯人とは面識がない」と言っていますが、根本容疑者の方は、この病院(および複雑な構造の建物)と、病院の現理事長でもある仙台教区の有力司祭のことを、極めてよく知っていたのでは?
ちなみに、日本のキリスト教の勢力分野を見ると、大都市部ではプロテスタント、それ以外はカトリックが強いものの、仙台は都市部ながら例外的にカトリックが強いようです。
スペルマン病院に隣接して、カトリック東仙台教会・カトリック仙台司教館・カトリック仙台司教区司祭の家修道院・ナザレト幼稚園があり、少し離れて、ラサール修道院・ラサール・ホームがあります。
このカトリック仙台教区は、宮城・岩手・青森を束ねる位置にあります。
後藤新平の生家がある水沢市にも、1950年以来、仙台教区のカトリック水沢教会が建っています。
岩手の豪族岩淵近江守秀信の次男が、長崎の五島で洗礼を受けて「五島=後藤」寿庵と名乗り、伊達政宗に召し抱えられて胆沢地方(水沢市福原)のキリシタン領主となりました。
伊達政宗が仙台城にスペインの築城技術を取り入れたのと同様、後藤寿庵も、胆沢川の用水工事にイエズス会経由の技術を使い、現在の穀倉地帯のもとを育てたと伝えられています。
伊達政宗や後藤寿庵のもと、仙台も水沢も、鎖国後の布教活動の中心地となって海外から多くの神父達が訪れました。
幕府のキリシタン禁止令で後藤寿庵が姿を消した後も、水沢界隈には、長崎同様、隠れキリシタンが多く存在したと言われています。
寿庵の偉業をたたえてささげられた野外ミサ |
後藤寿庵の偉業を称える水沢教会主催による「後藤寿庵大祈願祭」では、岩手県内と近隣他県の各教会からの信徒と、地元住民ら約250人が参加し、鷹觜達衛神父をはじめ九人の司祭によりミサがささげられました。(『遺徳たたえて祈願祭 キリシタン武将・後藤寿庵 私財投じてかんがい 岩手・水沢地方を美田に』参照)
この鷹觜達衛神父は、もちろん、スペルマン病院の現理事長です。