★阿修羅♪ > 日本の事件18 > 639.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: <乳児誘拐>生後10日の男児連れ去られる←「裏世界のすべてに通じた黒い教皇」が作った仙台のカトリック病院 投稿者 姫子音 日時 2006 年 1 月 06 日 14:54:56)
★ 下の記念写真を見ると、カーディナル(枢機卿)・レッド=深緋(こきひ)の法衣を纏った人が大量に出席して、そのプレゼンスを強調しているが、松下グループは米国風のマナーにいたく感動の模様。
111. タイム社創立40周年記念祝賀会に出席 1963年5月
前年2月、タイム誌のカバー・ストーリーで紹介された会長は、昭和38年5月に、いわゆる「世紀のパーティー」として名高いタイム社創立40周年記念祝賀会に夫妻で招待された。このパーティーは、過去にタイム誌の表紙を飾った世界の著名人を招待して、開催されたものである。
5月6日夕刻、会場の二ューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルには、招待者の284人のほかに、総勢2,000人の人たちが続々と詰めかけた。
午後7時15分、会は、スペルマン枢機卿による祈りの言葉から始まった。タイム社の会長のあいさつに続き、次は招待者の紹介である。会場が広いので、紹介者にスポットライトが当たり、前方の大スクリーンにその人の顔写真が写し出された。
この会で、ジョンソン副大統領やラスク国務長官などの祝辞の際に、全員が起立をして敬意を表したことや、延々5時間にもおよぶ長時間のパーティーにもかかわらず、手洗いなどのために席を立つ人がいなかった点など、戦後日本の礼儀と比較して考えさせられるものがあった。
★ この時代、進駐軍経由で侵入したキリスト教は、多くの日本人にとって、「クリスマス」同様、ファッションとして好まれたように見える。
しかしその陰で、多くの宣教師たちが、日本の津々浦々に教区を作り教会を建て、着々と信者を増やしていったことにも着目したい。
この、アクティブで不屈の意思を備えた完全ピラミッド型組織が、今現在、日本国内でどのように機能しているかにも。
古賀 平和の元后
「平和の元后」小教区は1955年古賀(福岡司教区)に建てられた。古賀は福岡市街から東へ約20キロのところに位置する街である。深堀司教は那珂町でオブレート会が成功したことを快く思い、福岡市と北九州市との間の地域の橋渡しをするために、当市の東部に別の宣教活動の拠点を開くよう彼等に求めた。
ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿が、その全建物(教会・司祭館・幼稚園)を建設するための費用を用意した。松の木々を越えて約20メートルの高さにそびえる教会堂の尖塔は、国道高速3号線を行き来する人々にとって感動を呼び、人々を引きつける力となっていた。
ティモシ・マルビー神父がその初代主任司祭だった。初期の頃、福音伝道活動の多くは当地区の結核隔離病院の患者達に費やされた。カトリック信者数は1955年の20人から、1987年には470人にまで増加した。1998年現在、881人である。