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(回答先: 殺し合いにまで至る対立を生むものです。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 16 日 21:49:18)
『国家・民族・宗教は容易に殺し合いにまで至ります。』
良く分かります。
『スポーツもたまには対立するファン同士の殺し合いがあるかも知れません。
しかし、めったにありません。』
フーリガンのような暴徒化する一部のファンや、熱狂的なファン同士のケンカなどは(ヨッパライ)、そこいらで良く見かけます。
居酒屋でバイトしていましたが、暴力沙汰まで行ってしまうのは、スポーツ関係がキッカケだったことが多いように感じました。
『殺し合いにまで至る対立を生むものはそんなに多くはありません。』
その通りだと思います。
街角で布教活動している人達が、暴力を受けている場面を見た事はありません。
異国の人に恐怖感を覚えた事はありますが、異民族である事を理由に暴力は受けないでしょう。
公務員さんや議員さんも同様に、その事が理由では暴力を受けないと思います。
当然、学歴や生まれも関係ないと思います。
『イジメや差別や労働現場での抑圧は殺人に至る事はあるでしょう。』
ここでいわれている抑圧が原因での殺人にピンときません。
怨恨や金の問題での殺人や、精神的におかしい人の凶行はよくわかるのですが。
(そういえば、労働現場の抑圧が殺人にいたるストーリーって、火サスに多いと思います)
わたしの周りにあったイジメの原因で呆れたのが、「見ているTV番組の違い」みたいなのがありました。
国家・民族・宗教も個人的なレベルで見れば、そんなに争いの原因にはなりません。
組織やグループがそれを助長させるのでしょうか。
巨大な利益を生む会社なども「枠」として、それらを問題視するなら、ワヤクチャさんの論旨が現行のルールに合ってないと思います。
どういうルールをどの様に変えれば、すんなり「枠」否定しても良い社会が実現できるとお考えなのですか?
現行ルールの不備を正すのではなく、強い改革を必要としてますよね。
対立や枠を否定しても、それに変わる具体案が乏しくて、理想像として映らないのだと思います。