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(回答先: Re:共同体と国家を一緒くたにすべきではない 投稿者 たかす 日時 2005 年 7 月 18 日 15:12:54)
「共同体の秩序」と「国家の秩序」の違いですね。
「共同体の秩序」には権力は無く
「国家の秩序」に初めて権力が発生したと。
しかし、一方では国家の下では裕福な人々が多数出現したが、共同体のままの所は貧しいままだったという事がありますね。
これは、国家が他の共同体を収奪してきたからと言えるのでしょうか?
それとも国家が市場経済を発展させてきたからでしょうか?
両方の側面があるでしょうが。
別の言い方をすれば、資本蓄積はその資本の近くにいる者を豊かにしたと言えるのか?
という問題があります。
国家には様々な側面があり、もし国家が人々に何の利益も与えないものであればこのような現状は無かったでしょう。
「国家権力=悪」とばかりは言えないという話です。
ところで国家形成の過程としては、
剰余が大きかったからそれを自分のものにした者がいたという事が発端ですね。
そして、その富を元にその配分の仕方で支配したという事ですか?
利益誘導で支配したと。
国家という巨大組織ができたのは巨大であればあるほど私的に所有できる富も大きいという単純な事であると思います。
小さな集団が戦いによって他の集団を隷属化し巨大な集団になっていったという事でしょう。
しかし、反戦(平和)の思想が誕生し、戦争がしにくくなってきたというのが人類の歴史ではありませんか?
一方、人の命よりも大事なものがあるという思想も生き延びております。
アメリカにおける「無差別テロ」を未然に防止する為ならイラクの人々をいくら殺しても構わないという考えは、人命よりも「アメリカにおけるテロ防止」なるものが大事だという論理でしょう。
「アメリカ人とイラク人の差異」の方が「人命一般」よりも大事だという事です。
話がそれて済みません。
どんどん関心が移っていきます。