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(回答先: ブレジネフは教皇の「使命」を知っていたのでしょう 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 06 日 08:32:27)
バルセロナより愛を込めてさん
ご投稿を、感謝しつつゆっくり読ませていただいています。
バチカンと統一教会といえば、01年のミリンゴ司教事件を思い出します。
「バチカン、ムーニーズをあぶりだし」といった感じで報じられた事件でご存知
かと思いますが、統一教会信者マリア・スンさんと合同結婚式を挙げていた
ザンビア出身のエマヌエル・ミリンゴ(Emmanuel Milingo)司教が、その後
バチカンに逃げ込み、教皇に婚姻の無効を願い出ます。(バチカンに拘束されて
説得されたとの節もあり) その間同僚司教が統一協会の誘拐、洗脳の実態を
明したり、韓国人の奥さんが毎日号泣記者会見を開いたりと、半月ほどテレビは
メロドラマのようでした。
その後、「ムーン、地上にエンジェルを呼び寄せる」
フィアット社が北朝鮮LAMPO港近くに合弁工場を設立していたことが漏れ伝わって
きます。韓国とピョンヤンを結ぶ高速道路の建設にも関わったとかで、バルセロナ
より愛を込めてさんのご投稿にあるように、すべては統一協会のくちききだった
とのことです。
(エンジェルは当時のフィアット会長アニエッリ(Agnelli)氏とかけている)
教皇暗殺未遂。最初はイスラム過激派の仕業で、次は赤い旅団とグレイフォックス
の共闘。ここで旧ソ連圏関与の証拠とされる文章が出たのは、旧体制の完全崩壊
を示す・・とは上記投稿のコリエレ紙の記事です。
そして先日のイタリア地方選は、ニューレフトの圧勝でした。
しかしぷち熟女さんがおっしゃる通り、赤い旅団はしっかり生き残っているし、
仏、マグレブ、南米で力をつけつつあるようです。
・・・・
以下、表題のレップブリカ紙の記事を転載します。
・・・・
バチカンに共謀者 狙撃犯が語る(レップブリカ紙)
http://www.repubblica.it/2005/c/sezioni/esteri/papa4/nuovagca/nuovagca.html
アリ・アグカ(アジャ Agca Ali Mehmet)が語る
「バチカンに私の協力者がいた」
イスタンブール
「バチカンは教皇暗殺に関与していた。祭司や枢機卿の協力無くしては、とても
実行できなかった。悪魔はあの壁の内部にもいる」。
新たな虚をつくメッセージは、仄めかしにとどまらない。ジョヴァンニ・パオロ
2世が病に倒れて2週間後、ブルガリア政府からシュタージファイルの公表が
あった翌日に、アリ・アグカは再び公に姿をあらわした。レップブリカ紙との
インタビューでは、ポンテフィーチェの暗殺者が本を執筆中であることも明らか
にされた。
イスタンブール アジア地区にある頑強な刑務所 Kartal Maltepeに服役している
元グレイ・フォックスは、2ヵ月後に出版予定の本のうち150頁をすでに書き上げた。
囚人服に運動靴。髪は白くなったものの、表情はいつものように抜け目なく快活で
完璧なイタリア語を操る。
メメット・アリ・アグカ(アジャ)、あなたは教皇を狙撃しましたね。理由と
あなたを送った人物について話したいのですか?
「なぜ教皇を撃ったか?わたしの行動は、聖なる神が定めたものだ。ジョバンニ・
パオロ2世との83年のレビッビア(Rebibbia)の謁見で、あれは神のお告げで
あったと告白した」
そうでしたね。しかしポンテフィーチェ(教皇の住まい=バチカン)はあなたの
ことを”権力のイデオロギー”に動かされた”プロの仕事人”と呼んでいます。
どう答えますか?
「私はポーランドの教皇を好きだし、尊敬している。しかし彼をとりまく状況は
錯乱状態だ。最近トニーニ枢機卿が私のことを”幽霊”と呼んだのを見たが、
あれなど頭がおかしい人間の言い草だ。バチカン内部に悪魔が棲んでいる。
聖職者や枢機卿の協力なくしては実行不可能だった。まあ この辺にして
おこう。すべては本に書くつもりだ」
あの日、あなたは教皇を殺害しなければならなかった。ところが怪我を負わせる
にとどめたの。なぜでしょう?
「81年5月13日、あの日私は教皇を殺害し自分も死ぬつもりでいた。そして
任務の遂行だ」
あなたの任務とは? やっと最終的な見解を聞かせていただくときが来ましたか?
「最新バージョンなど存在しないさ。81年5月13日、世界に私の暗殺計画を知る者は
誰もいなかった。最後の瞬間まで完璧に覚えている。計画を断念した。テルミニ駅
発20時の列車に乗ってチューリッヒに戻り、穏やかな生活を続けることに決めたのだ。
しかしその時奇跡が起きた。私は戻って引き金をひいた」
しかし81年5月13日から実に24年を経てもなお、暗殺計画と彼らが企てた状況は完全
なる謎に包まれたままですか?
「世論や庶民の意見は、偽情報システムによってどうにでもなるが、中枢権力に
秘密は存在しない。あるのはたくさんのタブーだけだ。政治的な計算やさまざまな
不安の種が真実に働きかける。バチカンの霊的な壁が、ベルリンの壁のように崩壊する
ことを恐れただれかが、新たな流れを起こそうとしているようだ。そこで尋ねたいの
だが、CIA、Sismi、Siside といった諜報部隊はなぜオルランディ事件を明かそうと
しないのだろう?」
エマヌエラ・オルランディ事件に霧がかかっている理由を、あなたに尋ねたいのですが?
「80年代のバチカンには、私を新しいメシアと信じる勢力がいて、(アジャを)開放
するためにエマヌエラ・オルランディ他の陰謀を企てた」
あなたはそれを言わないのですね。なにかひとつでも、確かなことを言いませんか?
「オルランディ事件の先にある何かを理解したいなら、83年11月14日にSisdeが出した
報告書を分析すればいい。同時の警察長官ヴィンチェンツォ・パリージのものだ。
やってみるがいい。ところで質問だが、04年5月にロベルタ・ヒダルゴ夫人が
バチカンで撮影した写真にエマヌエラが写っているかもしれないのに、なぜあの
写真が公開されないのか?」
アグカ、あなたは確信もって混乱を助長していますね。不確かで信頼に足らぬ
バージョンを言い続け、謎の糸をもつれさせていることを自覚している。
「私の様々な供述が混乱を助長し、事件の輪郭と矛盾それが政治的背景にある
ことは確かだ。そして’私ひとりの罪’を演じた。しかしあの特殊な状況下で
別のなにかを演じることは不可能に近かった。教皇暗殺未遂、オルランディ事件、
私と教皇の会見・・・世界中の半分の情報部隊が絡んできた状況ではね。
しかし繰り返すが、81年5月13日の私の行動を知る者は、地球上に存在しなかった。
今の我々は、政治絡みの嘘っぱち期間を乗り越えてきた。最も重要な点は、私の
信仰に関する供述に嘘偽りはない。考えてもみてくれ、もしあのとき虚偽の
バージョンを受け入れていれば、オルランディ嬢は戻り、私は83年に自由の身に
なって共和国大統領の祝福を受けていたかもしれない。それなのに24年間も刑務所
で辛酸をなめている」
レビッビアの(教皇との)獄中会見も、謎に包まれたままです。ジョヴァンニ・
パオロ2世は最近の本の中でもそれとなく触れていますが、どんな会話が交わされた
のですか?
「83年を聖なる年と宣言したバチカンは、私をキリスト教徒に改宗させたがっていた。
ジョヴァンニ・パオロ2世の訪問はその意図もあり、オルランディ事件は宗教的
理由のみで企てられた。教皇には私が神から直接受けた啓示を伝え、ポンテフィーチェ
はそれを信じた。そこで世界中の新聞がこう書いたわけだ、”私は信仰を同じくする
兄弟に会った”と」
あなたは今いる Kartal Maltepeから、79年に一度脱獄しました。もう一度逃げたいと
思いますか?
「ここから法的に出られる日がいつ来るかは知らない。裁判の過程もまだはっきり
していない。よっていつ自由な日が来るかは知らない。私の人生と肉体的な死、
監禁期間と自由は完璧に神のみこころにある。その日を待っている」