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『ワイマールからヒットラーへ』
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投稿者 外野 日時 2005 年 3 月 15 日 22:38:24: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: 「今は世界大戦前夜なのか?」と問うフランスの新ドキュメンタリー映画(仏『レゾーヴォルテール』) 投稿者 さすれば 日時 2005 年 3 月 15 日 16:10:20)

昨年書いたものですが、今の日本に幾分あてはまるような気がしますので提示しておきます。

     ※    ※

『ワイマールからヒットラーへ』 エーリッヒ・フロム(1991年2月15日刊 紀伊國屋書店)は、原著は『第三帝国前夜における労働者とホワイトカラー』として1980年に発刊されています。
 これはフロムがヒルデ・ヴァイスらとともに、ドイツのフランクフルト社会研究所で、1929年から31年にかけて行ったアンケート調査(対象の無意識の領域まで調査の前提としたため様々な工夫がこらされました)をもとに、当時のドイツの労働者とホワイトカラーの心的構造を分析したものです。主に社会心理学の領域で重要な意味を持つ特定のパーソナリティ特性、なかでも主要視されたのが、「権威主義的、あるいは非権威主義的傾向、個人主義的、あるいは全体主義的志向、とりわけ個人の政治思想の一貫性」です。
 当時ドイツは戦後の転換期にありました。ヴェルサイユ条約の重い枷、1921年から23年にかけてドイツ全国民を巻き込んだ破局となったインフレーションは20年代終わりになっても未だ現実の政治問題として残り、ついには外資の導入によって建て直しをはかってきた経済が29年10月の大恐慌で外資の支えを失います。
 当時はまた、秩序ある共同体維持の基礎である司法機構に対しても、裁判所に対する一般的な不信の声が高まり「信頼の危機」と言われていました。ワイマール憲法第一条には、国家の権力は基本的に国民に発するとされていましたが、真の決定権が国民にあるのかどうかにも強い疑問が持たれていたといいます。
 表は1928年5月と1930年9月の行われたドイツでの総選挙の結果です。

 1930年9月にナチスに票を投じたのは、30%がリベラル政党からの変更、21%が保守政党から、23%が従来の棄権者層だったという総括があります。ただし、投票率を押し上げた棄権者層がナチスを選んだのは14%にすぎなかったといいます。
 ナチスの圧勝は、一夜のうちにドイツを混乱の中へ陥れたといわれますが、この後もナチスの票の増加は続きました。このドイツの政治情勢の不安定化に対して大量の外資が引揚げました。
 しかし、フロムは言います。「ファッシズムを勃興させた経済的社会的条件の問題のほかに、理解を必要とする人間的な問題を理解する必要がある」
 つまり、ナチスをドイツ国民が支持したのは、悪化した経済的社会的条件だけにその要因があるのではなく、個人のパーソナリティ特性にもその因があったとするのです。
「アンケート終了のあと、ドイツに起こったできごとが教えたことは、その折々の政治的意見と全体的パーソナリティとがどの程度に合致するかを問うことが、いかに重要かということであった。なぜなら、ナチズムの勝利は、ドイツの労働者政党の抵抗力の恐るべき欠如を露わにしたからである。それは、彼らが一九三三年以前の選挙戦やデモにおいて、数の上で示した強さときわだったコントラストをなしていた」(フロム)

 フロムが特に重要視したのは権威主義です。左翼政党やその支持者に属し、政治観ではラディカル(マルクス主義のラディカルとは、ものごとを根源から把握することという意味のほうで使われているようです)でありながら、同時に個人的態度では権威主義であった者が多かった、これがナチズムに対してドイツが無力であった大きな要因であったとしています。
 フロムの分析によれば、思想においても心情においても矛盾なくラディカル(注1)であった左翼の率は15%で、この小さなグループのみが、危機に際して他の人を率いて活躍することが期待できた、その”他の【人】を率いて”の同調が期待できた【人】の率は25%いた。そして、確信を持って左翼政党を支持し、次には確信を持ってナチスを支持したような、思想においても感情においても明らかな権威主義的傾向を持っていた者が20%いた。そのうちの5%が一貫して権威主義的と認められる者で、15%はこの態度がむしろ分裂した形で現われていたとしています。

 この”内なる「権威主義」”の考察は、今の問題に様々な示唆を与えてくれるように思います。
 イラク人質事件で見せた日本の世論はこの「権威主義」の現われという一面もあったのではないでしょうか。
『しょうがない』『変わらない』と言って何もしない者の心のうちには、「権威主義」がひそんでいないでしょうか。
 単なるサラリーマンと化していると言われている大マスメディアの者たちが、本当に人や社会にとって必要な情報などを報じないのは、この「権威主義」の要素もあるのでは?等々…。

【注1】ラディカル:
「権威に対する態度」は、左翼的哲学によれば、自分自身とすべての人間の自由への希求によって特徴づけられる。その自由とは、個人が自己の幸福と発展を人生の最高の法則とすることを認めるものである。しかし、その個人の発展は他の人びとに敵対するものであってはならない。むしろ彼の求める自由は、その人びととの連帯関係に基づいてこそ可能となるべきものである。その他の特徴は、個人の自由を、その個人の外にある何かの目的のために制限しようとする、すべての権力に対する憎しみであり、また、すべての虐げられた人びとや弱い人びとに対する自已同化的な同情である。要するに、それは世界に批判的に立ち向かう態度であり、歴史的過程を、人間を超えた力による不可避の作用ではなく、特定の社会的関係の結果と見なし、その関係を変えることによって、人間の運命の一見永遠で必然的な諸相も変えることができると見なす態度である。(『ワイマールからヒットラーへ』エーリッヒ・フロム)


 ところで、ネットで「権威主義」を検索してみて唖然としました。
 そのほとんどすべてが、フロムの言っている「権威主義」とあまりに懸隔があるからです。
 それらが一般に認知されている「権威主義」の様相なのであれば、フロムの主張はついに理解されることはないように思われました。

 フロムのいう「権威主義」を次に『ワイマールからヒットラーへ』から少し紹介しておきます。

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 権威主義的態度は人間が彼を超越した外部の力に隷属することを肯定する。それどころか、それを熱望し、喜ぶ。その力が国家であれ、指導者であれ、自然の法則であれ、過去であれ、あるいは神であれ。強く、力のある者は、まさにその性質のゆえに賛美され、愛される。弱く、力を持たない者は、憎まれ軽蔑される(E.フロム、一九三六a参照)。人生享受と幸福ではなく、犠牲と義務とが権威主義的態度の主たる目標である。
 これら両極端の態度とは別に、第三の改良主義的態度がある。これは権威があまりにも厳しく、あまりにも個人を侵害する場合には、直ちに拒絶するが、そのような性格が表われていない時には、権威を求める。(『ワイマールからヒットラーへ』エーリッヒ・フロム)

 権威主義的性格は、一般に二つの下位グループに分けることができる。すなわち、保守的・権威主義型と、反抗的・権威主義型とである。保守的・権威主義的性格の人びとは、基本的に一つの権威に服従することを望み、自分の社会で公に認められている権威に異議を持つことがない。これの古典的な例は、君主制下の中流階級である──その典型がウィルヘルム時代の君主制小市民階級であった。この階級に属する人びとは、輝かしい権威と権力の象徴とを愛した。彼らは権威に同化し、そのことによって安定と力とを感じた。彼らの生活は、輝かしいものではなかったにしても、確かなものであった。彼らは経済的安定を感じ、一家のあるじであった。どんな反抗的な感情をいだいていたとしても、それは深く隠れて眠っていたのである。
 しかしこの図も、小市民階級の経済的、政治的立場の変化に伴って変わった。彼らは、一九二一〜二三年のインフレーションで、貯えを失った。かつては賛美された王権も、決定的な敗北を喫し、みずから望みを絶ってからは、信頼を失ってしまった。かくして、それまで抑圧されていた反抗の衝動が強力に刺激され、今や表面に現われてきた。小市民層、とりわけ若い年代層が、反抗的・権威主義的特徴を見せるようになり、しだいに憎まれつつある権威に反抗した。権威が譲歩的で弱々しく見えれば見えるほど、憎悪と軽蔑は増した。無力感と経済的困窮とに不断に養われたこの情緒的欲求は、本来潜在的なものであったが、何らかの政治運動が、非力な共和制の権威と、打倒された君主制の権威とのいずれもが持たなかった力を予告する新しい権威の象徴を提示しさえすれば、いつでも活性化することができたのである。
 戦後期にはそのような【反抗的・権威主義的性格類型】が、社会主義政党や共産党に数多く参加した。左翼が彼らにとって魅力であったのは、何よりも、一般の窮状を救うこともなく反対勢力の攻撃の前にきわめて弱体化していた当時の権威に対する戦いを、左翼が代表していたからであった。ところが、幸福、自由、平等という、他の目標に対しては、彼らは無関心であった。左翼政党が、彼らの反抗的衝動に訴える唯一の党であるかぎり、彼らの熱烈な支援を期待することができた。反抗的・権威主義型の人間に対しては、資本主義を破壊し、社会主義社会を打ち立てることの必要性を信じさせることが容易であったからである。しかし、後年、ナチスのプロパガンダもまさにこの点から出発したのである。ナチスもまた反抗的感情のはけ口を与えたが、もちろん違いはあった。彼らが戦いをいどんだ権力のシンボルと権威は、ワイマール共和国と金融資本とユダヤ人であった。同時にこの新しいイデオロギーは新しい権威を打ち立てた。党と純血社会と総統であって、その力は、その残忍さによって強調された。新しいこのイデオロギーはまた二つの欲求を同時に満足させた。反抗的性向と全面服従への潜在的願望とであった。
 私たちの資料中、権威主義的・反抗的類型が最も多く集まったのは、RA-の集団であった。ここの回答者にとって、政治思想の重みはおそらく相当なものであって、多くの場合に強い感情を伴っていた。しかし、その思想の堅固さはきわめて低く評価しなければならない。そのうえ、この場合において、ナチスの理念がパーソナリティに及ぼした影響は、左翼の理論より強かったから、このグループを構成していたのは、結局まさに三〇年代はじめ、あるいはナチスが権力を握った直後に、確信を持った左翼から、同じように確信を持ったナチスになった人びとである。(同)

 明らかなことは、「社会主義」という回答はマルクス主義の教義に合致するが、一方、強力な政府を期待するのは明白に反社会主義の立場に分類できる、ということである。「知識…」、「国際主義」、「富裕税」は、実際に何人かの社会主義者が書いたが、マルクス主義には合致しない。それらは文化、政治、経済の分野で、部分的な解決策を提示してはいるが、資本主義社会を社会主義社会に替えるというラディカルな解決策ではない。
(以下は表4.2)「有名な国家指導者。レーニン、その他の革命的社会主義者を含む」をあげた回答者は、権威主義的性格とした。彼らにとっては、強力な指導者が社会主義のために闘おうと、何か他のもののために闘おうと同じことだということが、回答の組み合わせからわかったからである。決定的となるのはむしろ、強力な指導者像そのものであった。(同)

 権威主義的態度の特徴は、自分の人生をより高い権力に従属させ、自分自身を絶対的に弱いもの、あるいはより高い権カの道具と見なすところにある、ということをも指摘した。他方、権威主義的態度は、弱者を支配し、自分が強者に対して感じている従属関係に彼らを置く性向によってもまた、特徴づけられる。権威主義的態度のこの両面は、権威体系の階級組織(ヒエラルヒー)において満足させられる。そこではだれでも、服従しなければならないだれかが自分の上にいる。そして支配することのできるだれかが自分の下にいる。ふつう、経済について何の力も持たない、今日の社会の平均的市民の状況を観察すると、彼の権威主義的性向はまず私的な領域で発揮される。すなわち、妻と子供に対する関係である。権威主義的な態度が存在するかぎり、それは妻の経済的自立に対する拒否と、さらには、体罰の不足は子供に悪いという信念とに表われる。一方、左翼的理論は、その反対の立場を主張しているのである。(同)

 一方で、回答動向は、心理的要因をも同じように色濃く反映していると言えた。というのは、多くの男性の性格に、本質的に権威主義的な特徴が見られるからである。こういう人びとの心の底にあるのは、自分より弱く、自分に服従し、賛美する人間を意のままにしたいという、ひそかな欲求である。その望みは、女性の従属によって満たされる。疑いもなく、多くの労働者は、政治的には反権威主義的を態度をとった時にも、その性格においては、依然として権威主義的であった。このことは、権威主義的な性格構造自体が歴史の産物である以上、驚くにはあたらない。私たちの調査の時期、すなわち一九二九年には、権威主義的性格は、まず下層中流階級に最も純粋で最も極端な形で見られたが、労働者においてもしばしば見いだされた。家庭の機能の変化も、また、とくに大企業に顕著な労働者の上司に対する伝統的個人関係の崩壊も、徐々に権威に対する態度の変化をもたらした。同時に、同僚労働者との連帯感が育ちつつあったが、とりわけ社会における個人の無力感によって、妻と子供の服従が容易に無視できない重要な代償機能をになうようになった。(同)

 被調査者の大多数が、人間の運命はその社会的な位置の制約を受けると回答しながら、その考えに、それ以上の解説を加えなかった。この回答は、従来の社会主義の思考様式と合致しているようだが、マルクス主義理論の本質的な要点を無視している。この理論の出発点は、人間は自分の社会的な位置に依存しているにもかかわらず、というよりは、まさに依存しているからこそ、政治活動によって自分の運命を変えることができる、というところにある。社会主義のこの重要な実践主義的特徴を強調した回答のみが「ラディカル」として分類され、人間の運命は環境に依存するという単純な回答は、不定と見なされた。権威主義的立場は、一見矛盾した二つの回答類型によって表現された。その一つは、人間は自分の運命を動かすにはまったく無力であると述べた。もう一つは、本人のみが自分の運命にも失敗にも責任を負うべきだ、という回答であった。これら二つの意見とも、人間は自分自身の外にある力に依存していて、必ずそれに服従しなければならない、という信念に基づいている。この場合、第一の回答類型は無力感と服従とを強調し、第二の類型は、内在化された権威、すなわち義務感および意識の判断に従わなければならないと考えた。(同)
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※参考:
「民主主義が破綻するとき――歴史の警告」トム・ハートマン
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/21?expand=1

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