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(回答先: フォローに感謝。私はアラブ人の要請を受けて日本人の説得を重視している。 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 2 月 13 日 19:33:02)
「ホロコースト」論に関して、私は「真実」を知り得ません。知ってる方がいらっしゃるなら是非お話を伺いたいものです。「ホロコースト」は世界の常識ですので、私は敢えて逆の立場から考察してみますが。「ユダヤ陰謀論」も誤誘導の典型でしょう。ユダヤ人をスケープゴートにしたてた「ユダヤ人」とは何でしょうか。
以下の文章は、数ヶ月前に私がある年配の友人に対して書いたものです。いわゆる「ホロコースト」の話題の際、「ホロコーストの嘘」論は頭ごなしに嫌悪を示されたのですが、「妄信」とはいかなるものか。
論証も大切でしょうが、それですべてが解決するなら苦労はありません。各論に対する揚げ足取りなレスは不要です。本論を突き崩す論であれば真摯に受け入れますが。
以下引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ではあらためて、歴史は偶然の産物だと思いますか?今一度聞きますよ。今でもまだ「ヒトラーはユダヤ人を毒ガスで大量虐殺した」と「妄信」していますか?ご自分で調べてみましたか? 以前のようにここで思考を止め先へ進まないなら、真実の淵を覗き込む勇気を持たないなら、それは歴史の闇に散っていった無数の魂から断罪されるべき態度です。
六百万人を四年で殺戮してごらんなさい。一日何人「処分」しますか?毎日毎日4110人もの人々を来る日も来る日も殺し(地方町村が十日で消える!)、大量の遺体を焼却し無数の大穴を掘って大量の遺灰を埋める?途方もない量の毒ガスと燃料と人員と、あと何が要りますか?施設ですか?そんなところに手間隙かける理由とは?ヒトラーがユダヤ人にパンを売ってもらえなかった怨恨ですか?想像してみてください。そもそも、こんなことが可能だと考える思考回路の方がどうかしているとなぜ思わないのか・・・。良識はないのか。
「情報」というものは、それが「何時」「誰によって」「どのように」流されたか、そして「何が隠されているか」を考えなければいけないはず。また、その情報の結果「誰が利益を得たのか」も。「情報」を和英辞書にみると、「information」「intelligence」とあります。両者の違いは明らかで、「情報」を吟味し精査する「知性=インテリジェンス」こそ重要といっているのです。垂れ流しの「インフォメーション」「大本営発表」を妄信する愚かさをいっているのです。一般大衆の姿そのものです。
誤解のないように補足しておくが、私が批判しているのは、反論を一切受け付けようとしない態度こそです。まして頭から「ホロコースト」を容認する態度こそ忌むべきもので、言論を圧殺するシオニストのそれと同罪です。両論を精査吟味したうえで結論を持つこと自体は問題なく、それが歴史に真摯に向き合う態度だと思いますが。
ナチスドイツはドイツ国内およびヨーロッパに住むアシュケナジーユダヤ人を、ゲットーに押し込め次々と収容所送りにした。強制労働もさせたし、大勢の死傷者も出したでしょう。明らかに「迫害」を行ったことは事実です。この中には、ソ連兵捕虜、反体制ドイツ人、政治犯も含まれる。しかし、このこと自体は戦時には当たり前に見られる光景でしょう。大戦中アメリカでは、日系人を強制収容所に送ったではないか。日本も朝鮮人を徴用連行したではないか。反体制左翼知識人は投獄されたでしょう。それ自体戦争の狂気とはいえ、異論はないはずです。そして、このことと「ホロコースト」とを混同してはいけない。
私が問題としているのは、「ナチスドイツは絶滅収容所において六百万人ものユダヤ人を大量虐殺した」といわれていることを、「歴史の真実」と鵜呑みにするのか?ということです。批判的研究から拠る反証すら存在するのに、真実は誰にも分からないのに、なぜ一方的な結論を妄信するのか。明らかに罪刑法定主義に反する裁きをなぜ正義として支持するのか。ニュルンベルク裁判も東京裁判も勝者の論理をもって行われ、そこには敗者の弁護すら存在していない。そして、これら裁判史観が戦後の世界を支配しているというのに。
また、「大量虐殺」を「ジェノサイド=民族浄化」ではなく「ホロコースト」と称する点はどうか。「ホロコースト」とは、「人身供犠」のことである。宗教儀式上の「人間の生贄」のことであり、ユダヤ教的発想でしょうが。ユダヤ人がユダヤ人のためにユダヤの神に捧げられたのではないか、と言っているんです。
それでは、ヒトラーのいう「ユダヤ人の最終的解決法」の意味を知っていますか?虐殺?違います。「ソ連への強制移住」です、表向きは。そのためにソ連に隣接するポーランド・アウシュビッツに「強制」収容所があった(絶滅収容所ではない)。収容所内では伝染病が蔓延していました、発疹チフスなど。この蔓延を阻止すべく「チクロンB」なる毒ガス(殺虫剤だろ?!)も存在し、使われた。大勢が死んだことでしょう。その写真も存在する。反抗的な「囚人」は多数射殺されたことでしょう、戦争は狂気ですから。それでも信じないでしょうから、核心に迫ります。
ナチスのスポンサーは誰だか知っていますか?知らないでしょう、連合国側と同じく「ユダヤ国際金融資本」です。プレスコット・ブッシュもその一味。ロスチャイルド大財閥の動きも知らずして、語ることはできません。一八九八年にスイスのバーゼルで開催された第一回世界ユダヤ人会議では、主催者ロスチャイルドの宣言によって五〇年後にユダヤ国家イスラエルの樹立が「決議された」。彼らは現在でも、世界の富の九十パーセントを数パーセントの一族で握っています。「国家」よりも遥かな権力と財力を持っています。数年前のアジア金融危機、英国財務省の破綻、日本バブルの生成と破綻などを見れば明らかでしょう。仕掛けたのは奴らでは?経済ですら偶然には推移しないのです。
そして、ユダヤ人同胞が大量虐殺される(「された」ではない)ことで一番得するのは誰ですか?ドイツ人?違います、ユダヤ人です。戦後英米主導でパレスチナの地に「イスラエル共和国」を持ち、旧約聖書の予言が、ロスチャイルドの宣言が成就しましたね。ドイツから多額の賠償金を、今でもがっぽりせしめていますね。そもそも第二次対戦はなぜ起こ「された」か?なぜユダヤ人が数百万も集められたか?「ユダヤ国家樹立」しかないでしょうに。なぜ元アウシュビッツ所長アドルフ・アイヒマンを、亡命先アルゼンチンの国家主権を無視して拉致、処刑した?口封じでしょうが。
樹を見て森を見ない歴史観では「真実」は見えてきやしません。日本においても同じ構図です。
ABCD包囲網が敷かれ、経済封鎖され、国家存亡の危機に立った軍国日本に密かに「金融・エネルギー支援」をし、まんまと太平洋へと誘い出し、戦争を継続させ破滅の道へ導いたのもまた、「ユダヤ国際金融資本」です。そして、アドルフ・ヒトラー、山本五十六共に彼らの結社員であり確信犯、そして駒です。
「なぜそんなことをするのか?」とここで聞くのは愚問です。なぜなら回答を示しても狭い歴史観から「そんなの信じられない」という答えが返ってくるだけだからです。ただ「奴らの利益のため」とだけ言っておきます。
ついでにユダヤ人の定義についても書いておきます。
厳密にユダヤ人という民族は存在せず、ユダヤ教を信仰するものは肌の色を問わすユダヤ人です。スファラディユダヤ人=もとからパレスチナに居住=有色人種=神との契約を敬虔に守る下級市民。アシュケナジーユダヤ人=中世にユダヤ教に改宗したハザール人が祖=白人=イスラエル建国後にパレスチナに帰還(?入植!)=一部はイスラエルそして世界の支配者層。と、簡単ですが、「ではユダヤが悪か!」と短絡するとダメ。「世界のしくみ」はそんな単純ではないのだから。「ユダヤ陰謀論」は誤誘導の典型です。
たった以上の事実だけでも、「通説」が胡散臭いことが分かるでしょう。「大本営発表」を鵜呑みにし歴史の裏を見ようともせず、「反証」を「勉強不足だ」「そんなこと言うと笑われるぞ」と血相かいて一蹴する態度こそ、反ユダヤを圧殺するシオニズムそのものであり、バランス感覚もない支配者の論法と何ら変わらず、極左極右思想とも本質的に同根、客観性のかけらすら存在しない。
戦争はいつでも政治の道具であり、一部の人間により誘導されているというのが真実。アメリカ同時多発テロですら、様々な傍証からアメリカネオコン勢力・シオニストの謀略、ブッシュ・ラムズフェルド・チェイニーらは確信犯といわれアメリカで提訴までされているのに、日本では報道すらされない。アルカイダなど実在すら疑われるのに皆妄信している。ビンラディンやザルカウィは米CIAの子飼いである可能性が高いというのに。アメリカのアフガン・イラク戦争を見てみよ。日本の追従を見てみよ。どこに大儀があるのか。テロ支援国家・悪の枢軸国とはアメリカ・イギリス、それに追従する国々のことだ。皆メディアの「大本営発表」に翻弄されている、六十年経った今でも。無知は共犯でしかない。
確かに亡くなった人々は不幸で気の毒だが、戦争で人々が殺されるのは当然であり、細かな事象をとりあげて「テロだ」「虐殺だ」「侵略だ」と騒ぎ立てても、その本質は決して見えてこない。まして、真実を見ようとしない以上歴史は繰り返されるし、自虐史観を吹聴する似非左翼売国知識人、国家ナショナリズムを扇動する右翼政治家などは確信犯も同然だ。私も以前は騙されていた、情報を妄信するあまりに。
なお信じられないというなら「南京大屠殺(中国的表現、東京裁判史観)」に関して次はどうですか?屠殺=屠城思想こそ中国的発想と思いますが。
「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は日本社会党の田辺誠・書記が二度も頼みに来たので建設しているのだ。三〇万人と言う被害者数は、政治的数字だ」と南京市当局は返答したそうです。もういいですね。後はご自分で調べてみることをお勧めします。ここでも、「百人斬り」などの一側面を以って虐殺全体を肯定できないことは当然であり、両説比較検討する態度こそ大切です。それができないのであれば、片方の説を盲目的に支持することをしてはいけません。
ちなみに私は、盧溝橋抗日戦勝記念館を訪れた際、えもいわれぬ罪悪感を感じたものです。「言葉を発したら、囲まれて殺されるのでは・・・」と言った方の気持ちも分かります。おそらくあれを見せられた日本人の大多数は同じ感想を持つでしょう。そして、それは同時に「正史」を検証することなく妄信する態度をも意味します、赤い皇帝の思惑通りに。
少年の頃からアメリカなどより中国にたいへん興味を持っていた私が、今はっきり言いましょう。「中国は大嫌いだ」と。人民個々人を問題にしているのではない。「共産中国という中華主義覇権国家に吐き気を催す」と言っているのです。中国人自身を大量に虐殺したのは文革毛沢東であり、天安門ケ小平ではないか。内モンゴルやチベット、台湾や尖閣にまで食指を伸ばすような覇権的側面に目をつぶり、弁護に終始する者の態度にも嫌悪を感ずる。人権すら認めない共産中国の政治扇動・プロパガンダにまんまと乗せられているとしか思えない。そうでなければ、北京に準国賓級として三年も滞在し内情を知った上での態度なら、確信的反日共産主義者ではないのか?答えて欲しいものです。人民の立場に立つというのなら、平和主義・人道主義を信望するのなら、なおさら歴史を正視すべきではないのか。さもなくば、世界にごまんと存在する偽善的似非平和人道団体と同じになりさがるでしょう。
歴史を検証するには、国家権力御用学者の論すなわち「正史」は役に立ちません。また、ユダヤを中傷する資料や書籍は公には存在しません。世界中すべての「ユダヤ名誉毀損同盟」が動きますから。真実を知るには障害の多いことこの上ない。「表現・出版の自由」はどこにいったのでしょうね。「民主主義国家」「法治国家」であるはずなのにね。こんなところに胡散臭さを感じませんか?僕はこれらも幻想だと捉えています。
「清き一票」なんて選挙は存在すらしません。世界の国家リーダーは選挙などでは決まっていません。世界の支配者の思惑ひとつです。橋本龍太郎は国益を守ろうとしたからこそ参院選惨敗、退陣「させられた」んではないのか?小泉再選、ブッシュ再選もまた世界の右傾化から当然の流れでしょう。演出された大接戦で民主主義が機能していると誰もが錯覚しているが、裏を読めば私でさえ選挙結果は読めたのに。こんなの予言にもなりはしないでしょう。
もうはっきり言いましょう、「歴史は捏造の産物である」と。それを「正史」と信じ込まされているのが一般大衆であると。「歴史」はじめ「民主主義」「法治主義」ですら幻想である、大衆支配の道具であると。もちろんマスメディアもそう。すべては、支配者・権力者のものなのです。試しに「固定資産税」を未納してごらんなさい。「土地家屋=不動産」が誰のものであるかすぐ分かるから。民主主義・法治主義が誰のためのものであるかすぐ分かるから。不動産を「資産」と錯覚していませんか?むしろ「負債」と認識すべきでは?いつまでも税を搾取されるのが大衆の姿でしょう。不動産神話を信仰するのはいつも一般大衆ばかりです。支配者層は税金など納めませんよ、すべての動産も不動産も自分の物と心得ているから。「一般常識」を妄信すると、こんなからくりにも気づくことができない。
ついでに言うと、「民主主義・資本主義」に対抗する政治経済体制「社会主義・共産主義」を創りだしたのもまた、同じ支配者勢力である。カール・マルクスの『資本論』の書かれた背景を知ればそれは明らかでは?唯物史観・拝金主義に立つときまた、その本質において両者は同じものであり、大衆から搾取し権力者を太らせるシステムでしかない。また、両者の対立を煽る政治的道具でしかなかったのです。ソ連の崩壊、ベルリンの壁崩壊、東欧の解放、これらも偶然の産物ではありません。きちんとレールが敷かれ、脚本に沿って導かれたまでです。理由?必要なくなったからです。次はナショナリズム・テロリズム台頭の布石が打ってあり、実際そのようになっているでしょう。偶然なんかではありません。中東和平など絶対に実現不可能であり、自明の理です。テロリスト・アラファトにノーベル平和賞?歩み寄りなど茶番だと思っていたら案の定、すぐドンパチを再開したでしょ。パレスチナゲリラのスポンサーにもまたユダヤは噛んでます。
東京裁判史観に基づく中国はじめアジア近隣諸国の日本に対する危機意識・敵対意識を裏で扇動しているのはどこの国でしょうか・・・。国際政治、紛争というのは、一事が万事このようなものです。イデオロギー論争も不毛であることが分かるでしょう。高い視野から俯瞰すると極右も極左も根は同じで、志向するものも同じなのです。支配と被支配の構造からしか、歴史の闇は見えてきません。