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(回答先: 西欧文明を中和化する戦略には先ず理論的基礎が必要です(バルセロナさんとスパルタコスポノさんへ) 投稿者 岩住達郎 日時 2005 年 2 月 13 日 08:50:25)
岩住達郎さん、はじめまして、ワヤクチャです。
横レス失礼。
非常に興味を持ちました。
論理を日本で構築するにはどうすればいいかを考えていきたいと思います。
>西欧文明を中和化する戦略には先ず理論的基礎が必要です(バルセロナさんとスパル>タコスポノさんへ)
「西欧文明を中和化する」という事は西欧文明に問題があるという事ですね?
それはどのような問題なのでしょうか?
自然から人間を引き剥がしてしまったという事なのでしょうか?
その事によって「人間至上主義」が起こり「自然は人間の下僕」となり
自然を破壊したという事なのでしょうか?
デカルトの「我思う故に我あり」(方法序説)においてそれは言語化されたのでしょうか?
>http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/233.html
>投稿者 岩住達郎 日時 2005 年 2 月 13 日 08:50:25: TcNSd0ZB71Ujg
>西欧文明の本質は論理体系にあり戦略理論を建てやすいのに反し、東洋文明は直感が>主体で論理体系を構築する興味そのものが無かったのです。
中国の中には「孫子の兵法」などの論理があったと思うのですが。
日本では論理的な言葉そのものの生産が少なく、明治以降に翻訳文化から
論理語が多く生まれてきたように思われます。
>しかし、論理体系があれば直感は必要ない、というのは全くの間違いで、論理体系は>直感を合理化し矛盾を取り除く為に作られたものですから、全ての思想の始まりは直>感です。
私もそう思います。
言語になる以前の「あっ!そうだ!」というひらめきがあると思います。
>現在、東洋思想が西欧思想に押されているのは東洋人が論理体系を建てる訓練を受け>て居らず、西欧思想に対抗できるだけの理論を構築できる学者が居なかっただけで、>東洋思想そのものが西欧思想に劣っている訳ではありません。
論理的には劣っていたのでは無いですか?
イエス・ノーがはっきり言えないのは自分の中に肯定・否定の論理が
明確で無いからでしょう。
自分というものの形成が未熟で態度を保留する事が多過ぎるのです。
>所詮、思想とは特定環境にある特定人物の頭で考えた価値観に過ぎず、優劣を付けた>り、宇宙に通用する様な絶対的な物ではないのです。
しかし、批判という行為によって、二者のどちらの思想の方がより真理に近いかは
はっきりしますね?
ホロコーストの実態についていずれは真理が明らかにされるように。
>西欧思想を構築した人達がその文明にサタニズムを持ち込んだのは勿論彼らの環境の>賜であって、もし彼らが度重なる異民族の侵略で酷い目に遭わされた経験が無けれ>>ば、サタニズムの無い、もしかしたら日本の和に似た価値観を構築したかも知れませ>ん。
人殺しを正当化する論理とは何なのか?ですね。
エール大学の「スカル&ボーンズ」という秘密クラブはクラブ員以外の人間に対する
差別を持っております。
エール大学以外の人間を蛮人と思っているようです。
つまり、選ばれた人間が蛮人を殺しても罪では無いという事ですね。
崇高な目的の為には蛮人を殺す事は必要悪なのでしょう。
こういう思想を持った連中に我々は支配されているわけです。
>言い換えれば、日本の和の価値観を基に論理体系を建て、西欧思想と同格又はそれ以>上の日本思想を構築する事が可能です。
「和」とは何でしょうか?
共存でしょうか?
今年のバレンタインチョコレートのテーマは「和」だそうです。
焼酎ボンボンが受けているとか。
他者を大切にする事でしょうか?
ブッシュの戦争に対抗する思想なのでしょうか?
>これこそが私が阿修羅の論議版に書きました「日本の取るべき戦略」(全5回)に述>べてある事なのです。
読むようにいたします。
>私が理論体系の基礎に据えた摂理(第15章)は理論が特定環境の特定個人の価値観>に偏らず、宇宙不変の原理として使える様にしただけであって、ここから派生する形>として、日本特有の価値観を導入する事により日本文明の論理体系が作れるのです。
素晴らしい事ですね。
>第4章と第5章には日本固有の哲学を形成する方法が書いてあります。ただ日本の古>典に帰っただけでは絶対に西欧思想より優れた日本思想に到達できません。東洋には>論理体系の伝統が無かったからです。
>日本のアニメは日本固有の思想や哲学を海外に紹介する有力なメディアになり得ま>>す。しかし今のところそれが出来る人は宮崎駿氏だけではないでしょうか。
「ハウルの動く城」や大体の作品は観ました。
「ハウルの動く城」は反戦でしたね。
反戦を成就するヒントも描かれていたように思います。
しかし、もっともっと言論による論理構築がまず必要だと思います。
「何をなすべきか?」についてもっと対話する事によってそれは作られると思います。
優先順位についての議論です。
>やはり、日本に哲学を大流行させ、厚い哲学者の層が出来なければ外国は注目しない>でしょう。
その為には対話が必要ですね。
これも「何をなすべきか?」をめぐる議論で充分だと思います。
これまでは哲学はあまりにも迂遠な物のように映ってきたと思います。
もっと身近なものとして語る必要があります。
失業をどうして無くすのか?など、問題解決の方法をめぐる論議や行動の
中から実用的哲学を生み出していく必要があります。
社会に存在する問題をリストアップしてそれらのどれから解決するのかの
優先順位も議論しながら、優先的な問題から解決していくべきでしょう。
地球環境問題・戦争の回避・貧困の撲滅・「不幸の撲滅」などは私にとって優先順位の上位にあります。
これらの問題解決の為に哲学は再構築されるべきだと思います。
>それには日本哲学賞を設置して国家が毎年1億円の賞金を出す様にしなくてはなりま>せん。
それもいいですが、ネットでいい意見に対して指定口座にカンパするという事や
アクセス数の多いブログに賞金を出すという制度を作ればいいのではありませんか?
>将来の日本文明を構築するために極めて安い投資です。日本人は先ず論理的な思考訓>練が必要で日本哲学賞は良い励みになるでしょう。
「論理」という名の掲示板を作るのも1つの手ですね。
>次に申し上げたい事は、本物のサタニストは絶対に自分で手を下しませんし命令も出>しません。全ての悪行は手先を使って手先人が自発的にやる様にし向けるのです。
それは、そうでしょうね。
なるべく下請けにさせるのですね。
ヒトラーも「スカル&ボーンズ」に資金援助を受けていたようです。
資金の流れをつかめば誰がやらせているか分かりますね。
「大きな資金の流れの公開」を求めていかねばならないでしょう。
>日本にも明治維新以前からサタニストの手先は何人も送り込まれています。
坂本竜馬も何かの手先だったのですかね?
>なにも1980年代からではありません。ただ、プラザ合意以来急速に手先の数が増>えただけです。
竹中平蔵や小泉なんてアメリカの手先でしょう。
安倍もそうでしょうが。
アメリカの手先同士のケンカでどちらがマシか?なんて情けないですなあ。
>竹下氏は赤子の様に御しやすい手先だったに過ぎません。日本人が本物のサタニスト>自身になる可能性は先ずあり得ません。
でしょう。下請けもいいとこですな。
>そうなるべき経験も理由も緻密な計画力も無いからです。
田中角栄は破れました。
>ではサタニストの手先を日本の政治から排除する方法があるのでしょうか。これは第>24章に書いてある国民による政府の監督機構を導入すれば可能になります。
>問題は国民がそういう監督機構を導入せよと政府に要求し、政府が折れるまで連日全>国でデモ行進をやるだけの熱意があるかどうかに懸かっています。
政府に作らせるのではなく、例えば日本国民党という独立した党組織で監視していく必要があるのでは無いですか?
全国オンブズマン組織とも連携しながら。
>これが本当の民主主義というものです。政治家や官僚は自分達の権力を国民に制限さ>れるので必至になって抵抗するでしょう。欧米の民主主義はサタニストに都合の良い>ように(つまり国民を騙すために)構築されているから国民による監視機構が付いて>いません。だから、口先で自由平等とか民主主義を唱えながら悪行を堂々とやれるの>です。
我々は権力に対抗する組織作りに習熟しなくてはならないでしょう。
その為には権力を監視するという事の必要性を多くの人に理解してもらう必要があります。
二大政党制で監視できるなどという幻想は批判すべきです。
ケリーもブッシュも「スカル&ボーンズ」のメンバーだったのですから。
八百長だったのです。
ケリーはディーンがブッシュに勝つかも知れないので出てきたのでしょう。